今回の訪問地は、中国の吉林省(省都は長春)延吉市延辺朝鮮自治州(州都は延吉市)である。名称から明らかなように、この地は朝鮮族により自治が行われている。私にとってこの地が初めての中国であった訳だが、そこには思い描いていたものとの大きな差があった。特に私は、延辺大学のような立派な教育機関があることに驚いた。事前学習の際に、延辺が「教育之郷」と呼ばれているのは知っていたが、私は頭のどこかで延辺の人々の教育水準は、日本に劣ると考えていたようだ。また、前述にあるように、延辺は朝鮮族が中国人として生きている場所である。私は、ここに住む人々のアイデンティティ・クライシスはどのようになっているのだろうか、と非常に気になった。そこで、今回は延辺朝鮮自治州の教育制度について特筆することとする。私は、教育とは人格形成の土台であると考えるため、中国朝鮮族の教育について調べることで、彼らのアイデンティティについても考察することが可能であると考えた。執筆に際して、花井みわ(2011年3月)、「中国朝鮮族の人口移動と教育」、早稲田社会科学総合研究第11巻第3号 を参考とする。
まず、中国における朝鮮族の人口からその規模を考察する。中国全土の人口は13・57億人(2013年)、中国朝鮮族総人口は約192万人、吉林省には延辺朝鮮自治州を含み約114万人の朝鮮族がおり、この数値は中国の55の少数民族の中で14位を占めている1。現在延辺朝鮮族自治州の総人口は約218万人、この地における民族区分は、およそ漢族60%・朝鮮族40%である2。
中国朝鮮族とは、朝鮮半島から中国に移民してきた、中国国籍を持つ朝鮮民族である。延辺朝鮮族自治州は、中国朝鮮族の民族共同体の中心地であり、他地域の中国朝鮮族は延辺朝鮮族自治州の教育・文化モデルを手本としてきた。中国朝鮮族の民族共同体を維持できた要因は何か。私は、今回の旅でそれが教育システムなのではないかと感じた。朝鮮族は農耕民で、移民してから東北地域で稲作栽培に貢献していたようだ。彼らには元来、子女の教育を重視する傾向があり、村には必ず学校が建てられた3 。この農村部における学校建設は朝鮮民族の民族教育の発展に寄与し、民族共同体の発展にもつながったと考えられる。花井によると、朝鮮族教育共同体には、以下の特徴が挙げられる。@自立を重んじる。A朝鮮族教育は、基礎教育から師範教育、民族芸術教育及び高等教育に至るまでの自身の教育体系を持つ。B朝鮮語を第一言語とし、漢語を第二言語としている⁴。このような朝鮮族教育が維持された結果、朝鮮族の教育は功漢族を含む中国56の民族の中で、最も高い教育水準となった。朝鮮族の学校教育の発達は、朝鮮族の民族文化と言語を継承・維持する上で重要な役割を果たしたことが分かった。
しかし、論文を読み進めると、中国全土で行われた一人っ子政策の影響や戸籍問題などによる朝鮮族の人口移動が、教育システムに大きな影響を及ぼしていることも分かった。現在ほとんどの大学が学生数を確保するために、漢族の学生の受け入れをしている。学校によっては、漢族の学生数が朝鮮族の学生数を上回るところもあるようだ。また花井によると、延辺から毎年4000人以上の若者が大学卒業後延辺を離れ、都市へ就職する。私が現地でお世話になった学生(黄さん)は、黒龍江省の出身であったが、彼女自身も将来は都市部での就職を望んでいると語っていた。また、彼女の両親は韓国のソウルで働いているらしい。日本では多くない家族の別国居住というのは、中国では非常に一般的であるようだ。朝鮮族が中国社会で生きるためには、漢語能力は必須である。そのため、近年は朝鮮族の子供を漢族の学校へ通わせる親も増えているようだ。私は朝鮮語の存続を危ぶんだが、延辺朝鮮族の自民族言語に対する意識は非常に高く、民族教育の特色はまずは自民族言語を学ぶことであり、それがアイデンティティに直結すると考えているようだ。このような意識の結果、朝鮮族は朝鮮語・漢語・英語を操るトライリンガルとなったのである。三種言語に加えて、日本語の学習も盛んである。街中でも、日本留学を推奨する宣伝を良く目にした。
ここまで延辺朝鮮自治州における朝鮮族の教育について執筆してきたが、これはあくまでも延辺という地域的考察であり、民族的考察までは及んでいないと考える。しかし、中国という国単位で行われる教育政策と共生しつつも、民族教育という個性を潰さない教育にも力を注いでいる姿は、賞賛に値するものだと思うし、日本も見習う部分があるのではないかと思った。日本生まれ育った我々は、民族や国という単位でのアイデンティティ・クライシスに陥る機会は少ないのではないだろうか。その点延辺では、漢族の学校に入学するか、朝鮮族の学校に入学するか、などと家族一体となって考えるのである。この機会というのは、自身について考察するまたとない機会になるだろう。自己分析というのは、人間にとって生きていく上で非常に重要なことだと考える。何故ならば、職業選択の類のみならず、生き方を変えるものだからである。この機会にしっかり向き合った者は、人によっては国や民族の一員という意識が生まれ、責任感が芽生える。この意識は度が過ぎると危険であるが、パワーの源にもなり得るだろう。よくオリンピックなどで、国を背負う、などというフレーズを耳にするが、中国人選手などが発する場合はその重さが日本とではどことなく違うように聞こえてしまう。また、各々アイデンティティについて考えることの意味は、私は自己の確立に直結することにあると考える。何故自己の確立が必要なのか。それを私は、今を生きるために必要だからだと考える。私は、今を生きるという言葉を以下のように定義する。「反応すること」。何か刺激物に出会った時、素早く鋭く反応できるのは、柔らかいものと硬いものとどちらであろうか。無論、硬いものだ。私は、固くなるために自己の確立、アイデンティティの考察が必要であると考える。自分を固くする、というのは一見、一つのものの見方に固執してしまうような、頑固になってしまうような印象を受けるかも知れないが、他人の考えを撥ね付けるための固さを必要としているのではない。比較するための固さが必要だと考えるのである。私は常にフレキシブルな状態でいたいと思っている。アイデンティティの考察とはすぐに出来るものでは無いし、考えれば考えるほどに絡まる面倒なものだと思う。それでいて明確な答えがあるとも限らない未知のものなのだ。しかし、自分は一番自分を知らないとも言えるだろうが、それでも一番自分に近い他人なのだと思う。今回の訪問で、私は自分のアンテナの足りなさも痛感したし、考える力の不足も実感し恥ずかしく思った。舛谷先生と、少しばかり観察する目を養う練習という内容のお話しをさせて頂いたが、本当にその通りだと思う。日頃からの癖漬けが不可欠なのである。
本稿執筆により、教育が民族共同体形成の核であることを再確認し、またアイデンティティの形成についても少し考えることが出来た。また、私にとって未開の地であった中国・韓国が少し身近に感じられるようになり、連日のニュースなどにも、関心が向くようになった。最後に、今回の合宿に際して、舛谷先生を筆頭にお世話になったすべての人に感謝を申し上げる。
<註>
1 許青善・姜永徳『中国朝鮮族教育史』(延辺教育出版社、2009)p.152。
2 延辺朝鮮自治州統計局『延辺統計年鑑』(吉林人民出版社、2007)p.55。(尚、これは
戸籍上の人口であり、居住人口ではない。中国では人の移動は可能だが戸籍は農村戸籍・都市戸籍と区別されており、移動は原則出来ない。)
3 鄭仁甲「中国朝鮮教育共同体反思」金 炳鎬『中国朝鮮族人口問題研究』(民族出版社、2007)。 p.181。
4 鄭仁甲・前掲(註3)p.176。
<参考文献>
・花井みわ(2011年3月)、「中国朝鮮族の人口移動と教育」、早稲田社会科学総合研究第11巻第3号
舛谷ゼミ 延辺合宿 2015.8.16〜23
立教大学観光学部交流文化学科2年 小杉 真奈
2015年09月12日
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