私は、中国に約1週間ほど滞在した中で特に気になった、中国と日本の価値観の違いと、英語について考えていきたいと思う。
まずは接客に関して、サービスの違いを感じた。具体的には飲食店などで、私たちが中国語を全く理解できないとわかったら、あからさまにいや顔をしたり、食事を提供するときに無言で雑にテーブルにおいていったり、まるで怒っているのかと感じてしまうほどのところもあった。また、北京空港では飛行機が2時間ほど遅れているにも関わらず、グランドスタッフはwechatや携帯ゲームをやっていて、飛行機が遅れているとクレームが入っても、私たちにはどうすることもできないから関係ないといった様子で、私は少々驚いてしまった。しかしよく考えてみると、これは中国の国民が不親切であるとかではなくて、「普通」の基準が違うからなのではないかという考えに至った。日本では「お客様は神様」という言葉にもあるように、常にお客様のために全力を尽くすのが一般的である。自分自身もそれをよく心得ているし、幼いころからそのようなサービスを受けているから、それが当たり前であると思っている。だから自分が飲食店でアルバイトをしていて、もしたとえ自分のせいではなくても店の不手際でお客様に不快な思いをさせてしまったら謝るし、笑顔もふりまくし、きちんとおもてなしをする。これが日本の「普通」である。それに対し中国はラフな対応で、しかしそれが彼らにとって「普通」なのだ。お客さんもそれが「普通」だと思っているから、特に気にならず、不快に感じることもない。このように、育った環境の違いで何が「普通」であるかというのが違うので、こちらの「普通」を観光客の立場で中国側に押しつけるのはよくないのではないかと感じた。
次に、延辺で英語があまり通じないことに驚いたので、その点に関して少し調べてみた。中国の英語教育は、すでに2001年の時点で小学校3年生からの必修化されているらしく、これは日本以上の量と質と言われている。ではなぜ延辺ではあんなに英語が通じなかったのであろうか。それは延辺の位置と何か関係があるのではないかと考えた。延辺は吉林省朝鮮自治区というところに属していて、中国の中で北朝鮮、ロシア、韓国、日本まで一番近い所にある。そして、民族別人口では漢族の人口が最も多く、全体の57%を占め、その次の朝鮮族は約40%を占めている。町の看板にはハングルと中国語どちらも表記することが法律で定められていて、中国なのか韓国なのかわからなくなってしまうほど町は韓国のものであふれていた。現地の学生に、「なぜこの地域の人々はこんなに英語が通じないのか。」と尋ねると、「この地域では英語よりも朝鮮語ができる方が暮らしの役に立つし、英語を使う機会があまりないから英語を学校で習ってもすぐに忘れてしまう。」と言っていた。延辺は観光地として世界によく知られているというわけではないし、実感として特に西洋や欧米からの外国人観光客が極端に少ないことを感じたので、あまり英語を話す観光客と接触する機会がないために、英語での対応に慣れていないのではないかと考えた。
日本と中国は隣の国であるにも関わらず、お互いがお互いのことをよく思っているとはあまり言えない状況である。実際に私自身も、中国で生活する中で嫌悪感を抱いてしまったこともたくさんある。だが冷静に考えると、すべて自国を基準に考えるのではなくて、その国の状況や土地柄、歴史的背景、文化など、いろいろなものを考慮したうえで、相手を理解しようとする心が大切なのではないだろうかと思った。旅で得た印象を、いい悪いではなく、考察的にとらえられるような人になりたいと考えさせられるようなそんな旅だった。
野原ほのか
参考文献
・Sience Portal China現代中国における英語教育(2015.9.4 閲覧)
http://www.spc.jst.go.jp/experiences/education/education_1304.html
・中国朝鮮族の民族語に対する言語意識からみる アイデンティティの考察
――延辺大学における質問表調査を通して 趙 南実 (論文)
2015年09月04日
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