1月19日午後、メディアツーリズムのフィールドワークが行われました。
今回は浅草、東京スカイツリー周辺を、AR技術が使われたスマートフォンアプリ「下町そら散歩」を使って歩きまわるのが目的でした。
が、本題のAR技術に関しては後輩が書いてくれると信じて、私は街歩き中に見かけた紙芝居屋さんについて書きます。浅草寺を抜けて浅草公会堂へ向かう途中、私たちは紙芝居屋さんをみつけました。
花やしき通りで紙芝居を披露するということで、近くの鯛焼き屋で時間をつぶして紙芝居を見ることにしました。
紙芝居屋さんは30年以上紙芝居や大道芸を見せている60ほどのおじさんで、紙芝居を入れる木枠も自転車もボロボロのものを修理して使っていました。ちなみにwikipediaで「紙芝居屋」を検索するとそのおじさんの画像がでてきます。
始め見物客は私達だけで、おじさんは紙芝居を使って簡単ななぞなぞを出して、正解した衣子ちゃんと私はうまい棒をもらいました。
長い前置きの後、本題の紙芝居が始まりました。「○○の幻」(名前忘れました)と「黄金バット」の2本を見ましたが、残念ながらどちらも途中で終わってしまいました。「はいっ! 次はまた明日!」と紙芝居屋特有の終わり方と共に。
紙芝居を読みつつ、紙芝居屋さんは紙芝居屋の全盛期の様子について語ってくれました。テレビが普及する前、子供たちにとって数少ない娯楽であったこと、紙芝居さんの言うことに素直に耳を傾け、怖がったり泣いたりする子供が多かったこと、紙芝居屋さんの影響力は強く、いじめは少なかったなどなど―
平絵の紙芝居は日本独自の存在で、インドネシアのワヤン・クリなどの紙芝居人形を除けば他国にはないものだそうです。
『紙芝居では、演じ手(一人)と観客(複数)とが向き合い、実演を通して直接交流することにより盛り上がる。演じ手は観客の反応を見ながら、絵の引き抜き方、声色、台詞回しなど演じ方を自在に変える事もできる。この双方向性と一体感は、テレビなどの一方通行のメディアでは得られぬ紙芝居の特質である。』 wikipediaより
紙芝居は1930年代に日本で誕生し、戦後日本を占領したGHQも、紙芝居の人気ぶりに驚いて検閲を行うほど影響力がありました。テレビが家庭に普及する前までが全盛期でした。
紙芝居屋さんの担い手は大道芸人や失業者でした。拍子木を打って子供達を集め、紙芝居の前にアンズ飴などの駄菓子を売って生活をしていました。昭和40年代前半は、人口の多い都内にはよく来ていたようです。
紙芝居の中には、ゲゲゲの鬼太郎のルーツとなった「墓場奇太郎」もあり、紙芝居の描き手が漫画化に転身したケースも多いそうです。
私も紙芝居屋さんの存在を知ったのは、ちびまる子ちゃんの漫画の中でした。絵と音で魅せる紙芝居は、その後の日本のアニメ、漫画文化の発展に引き継がれている事は明らかですね。
私たちが見た紙芝居屋さんは、現代を生きる紙芝居屋さんで、なんだか博物館の展示を見ているような、少し残念な気分になりました。2013年で同じ手法は通じないので仕方がないのですが。
スマートフォンやタブレット、携帯ゲームと娯楽があふれる現代ですが、そんな昔のメディアに思いを馳せたフィールドワークでした。
4年 宮内香奈恵

