2015年09月21日

屋久島ツアー YNAC松本毅さんのお話しを伺って

『分散を妨げるもの』をテーマとして9月14~17日までの屋久島ツアーに参加をしてきました。このツアーの直前に体調を崩してしまったため、正直行く前は乗り気ではなかったのですが、合宿を終えた今は「最高に充実していて楽しかった!」が率直な感想です。前記したテーマを掲げて島を回ったことで、この旅がただの「旅行」ではなくなり、自分の脳内でぐるぐると考えながら歩くことが出来たために満足感を感じることが出来たのではないかと思います。屋久島なんてどうせ歩き回って疲れるだけだろうという私の予想を見事に打ち砕いた出来事のうち、このブログでは、特に印象的で屋久島観光について考えさせられたYNAC代表取締役・松本毅さんのお話しを中心に書こうと思います。

1日目の夜、宿泊した研修センターの中にある大きな視聴覚室にて松本さんをお招きして「ゴールデンルートからの分散」というタイトルの元、講義をしていただきました。
YNACはYakushima Nature Activity Center(屋久島野外活動総合センター)の略で、代表取締役である松本さんが1993年に創設した会社です。彼は屋久島出身ではないにも関わらず、YNACと同時に屋久島海洋生物研究会を発足させているほど、屋久島を知り尽くしていらっしゃる方でした。屋久島の魅力に惹き込まれ、その「本当の」魅力を世に広めたいと考えて活動をなさっている方であるのだということが話全体を通して受けた印象です。

世界遺産に登録されたのは縄文杉が評価されたからだと勝手に考えてしまいがちですが、実はそれだけではないことも詳しく教えていただきました。屋久島は一つの島でありながら様々な顔を持つ島です。海岸部は亜熱帯気候で九州や沖縄と同じような気候であるのに対し、中心部は標高が2000mほどで高いため亜高山帯地帯となり気温は北海道とほぼ同じなのだそうです。そのため、「屋久島には日本列島すべての自然が凝縮されている。」というような言葉を島のあちこちでよく耳にしました。1993年に屋久島が世界遺産に登録された後、意外にも観光客は増加せず、むしろ噴火などの災害により減少したということも驚きでした。観光客が急増したのはジブリ映画「もののけ姫」公開後だったそうです。

屋久島への観光はどうしても縄文杉を見に行くという事とイコールに結びついてしまいがちですが、縄文杉は島の住民からすれば、初めて東京に来た人が東京タワーに行かなくては!と思うのと同じように見えるそうです。東京タワーに行けば東京らしさは確かに味わえるけれど、もっと他に行く価値のある東京らしい場所がある。「そんな風にイメージしたらわかりやすいでしょ?」と松本さんは笑いながらおっしゃっていました。その例えは非常に想像しやすく、観光客が縄文杉ばかりに行ってしまうために他の場所の魅力に気が付けない島の方々のもどかしさが少し自分に引き寄せて感じる事が出来ました。

松本さんのお話の中で興味深かったのは観光客の「観光の仕方」に対する指摘でした。YNACはツアーガイドをする際、仕組み、体験、癒し、の3つのことをお客様に大切にしてもらいたいと考えているそうです。

まず、【仕組み】とは、前述したような屋久島の気候や植物の仕組み、「なぜここにこのような植物が生えるのか?」と考え、学びながらトレッキングをすることを指します。例えば、屋久島でしばしばみられる着生(木の上から別種の植物が生えること)は栄養豊富な苔があるおかげだということや、屋久島は植物にとっては根をはりづらい過酷な場所で、だからこそ樹木の年輪は密度が濃く、また長生きするのだということを私たちは教えていただきました。

第二に、【体験】とはそのままの意味で、実際に体で植物に触ったり、生き物を見たり、雨を浴びたりすることを指します。実際、私も黒味岳登山の際に葉の後ろに毛が生えた面白い植物に出会いました。標高が高くなるにつれてその毛は長くなりふさふさとしていてまるでフェルトのようでした。ガイドさん(屋久島のやっくんというニックネームの方でした)によると、この葉は冬になると毛を内側として丸くなり、寒さや雪によって葉が死なないようにするのだそうです。そのために標高に比例して裏側の毛がより長くなるのだと教えていただきました。

最後は、松本さんが最も大切だと言っていた部分で、【癒し】です。これは屋久島を歩くことでここでしか味わうことのできない神秘的な自然を感じることを指します。屋久島に行く際、観光客の多くは「欲張り」になってしまうのだと松本さんはおっしゃっていました。あれもやりたいし、これもやりたいし、となると予定を詰め込みすぎてしまい、結果的に屋久島に行ったという事実だけに満足してしまうのだそうです。そうではなくて、登山を例に挙げるならば、山頂や縄文杉などのゴールへ向かうまでのプロセスが一番大切なことであるということです。途中で出会った不思議な形をした杉や多様な種類の苔、休憩時間に飲んだ川の水の味や柔らかさなどが本当の意味での「癒し」を与え、もう一度屋久島に行きたいという気持ちを起こさせるのだとおっしゃっていました。また、癒しを充分に求めない結果として、ガイド離れが起こったともおっしゃっていました。現在、屋久島に関する詳しいガイドブックが多く出版されています。そのことによって、人々は1万円ものお金を払ってガイドを付けるより、
1000円のガイドブックで済ませてしまうのだそうです。結果として、島の人ならではの情報や、森の楽しみ方を知ることなく、ただガイドブックに載っている情報の確認で終わってしまいます。そうではなく、島の事に詳しい専門家であるガイドさんについていただくことで、より屋久島の魅力を肌で感じることが出来ます。

話を聞いていて、それは、美術館で音声ガイドを借りる行為に似ているなと思いました。自分の目で見たままに絵を鑑賞するのも一つの楽しみですが、音声ガイドは、作品そのものの解説のみならず、画家の生い立ちや時代背景、またその作品に合った音楽を流してくれる場合もあります。その付加的情報はただ絵を見て通り過ぎるよりも多くの満足感を得られると思うのです。ガイドしばしば、松本さんはお客様から、「見ておくべきところはありますか?」と聞かれるそうです。彼は、その質問に対して、「それはあなたの行きたいと思うところです。」と答えるそうです。加えて「たまには一日なにも予定を入れないで海辺でのんびりと過ごすのもいいですよ。」とアドバイスなさるとおっしゃっていました。なぜなら、屋久島に来て本当に良かったなと満足感を得られる時間を過ごしてもらいたいからだそうです。本当に、島の魅力を知り、それに対して誇りを持ち、また愛しているからこそこのような答えになるのだろうと思いました。初日に、松本さんからお話を伺うことが出来たおかげで、2日目から最終日まで山や森を思う存分に楽しむことが出来ました。もう一度行ったからいいや、ではなく季節や場所を違えてまた訪れたいと思うことが出来ました。

以上のように、松本さんは主にガイドに焦点を当てて、「分散を妨げるもの」をテーマにお話してくださいました。松本さんの言葉で印象的だったものがあります。「エコツアーは“情報産業”であり、ガイドではない。タクシーではなくて映画のようなものだ。」ただ目的地にまでガイドさんに連れて行ってもらい、写真を取るだけで終わってしまうのではなく、オープニングから地質や気候、植物とのふれあいや、生物の理論を学習するプロセスを踏むことで、クライマックスである目的地ではより多くの感動を得ることが出来るのです。結果としてこれは屋久島リピーターの増加につながり、それはさらに「分散」へとつながっていくと考えられます。「ガイドさんを付けない」という実態、またその原因となる詳しいガイドブックの普及や、観光客の自然を十分に感じる余裕のなさは分散を妨げる一つの要因であるかもしれません。


kanko14

中島 加奈恵
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2015年09月19日

マレーシアゼミ合宿

8月3日から8日にかけて、マレーシアの西海岸に位置するペラ州を訪れた。今回のゼミ合宿では、首都のクアラルンプールを始め、カンパーやプトラジャヤなどを訪れ、多民族国家ならではのマレーシアの食・文化・町並みを見ることができ、非常にいい経験となった。

また、前回早期体験プログラムでマレーシアに一週間滞在した時とは、全く異なるマレーシアの姿を見ることが出来た。私は、2
年前にマレーシアを訪れた際、クアラルンプールとタマンヌガラに滞在した。その時の印象では、あまりマレーシアに対してポジティブなイメージを持つことが出来なかった。(ごめんなさい)
KLのアロー通りや、ツインタワー以外栄えているという印象はなく、電車は何時間も停まる、街中何かしら臭い、虫が多いといったネガティブなイメージが私の中では強かったのである。

しかし、今回再度訪れてみて、そういったマレーシアに対するネガティブなイメージよりも、ポジティブなイメージが増える結果となった。行程を振り返りながら、前回感じたことと比較し、今回のゼミ合宿について述べたい。

まず1日目は、KLに滞在。前回訪れたセントラルマーケットやGEOホテルに行くことができ、とても懐かしい気持ちになった。この日食べた夕食は、マレー料理と中国料理がミックスして生まれたニョニャという料理であり、正直私の好みではなかった(ごめんなさい)。

2日目は、KLでわずか2リンギ、日本円にするとわずか60円ほどの朝食を食べ、マレー鉄道に乗り、ラーマン大学のあるペラ州カンパーへ。約2時間、マレー鉄道に乗っていたため、KLからカンパーまでの都会から田舎へ、プランテーションなど車窓の景色を楽しむことが出来た。そして3日間滞在するUTARの学生寮へ。中国に比べ、想像よりも綺麗で設備の整った寮にはとても驚いた。

そして3日目には、UTARの学生との交流会、日本語クラスサポートへ。UTARはとても広く、錫が盛んであったために出来た人口池が多いという印象を受けた。また、マレーシアは、マレー系が7割、中華系が2割、その他1割という構成の多民族国家であり、主にマレー系が一番多いため、イスラム国家として思われがちである。しかし、UTARの学生は、ほぼ100%が中華系の学生であり、マレー系やイスラム系とはあまり関わりたくないという印象を受けた。マレー系と中華系について調べてみると、マレーシア国家自体がマレー系を優遇するブミプトラ政策を行っているということが分かった。一例を挙げると、公務員や警察官、その他インフラ系の堅い仕事に就けるのはマレー系のみなどがある。今まで気にしたことはなかったが、確かにクアラルンプール空港を見ても、職員は皆マレー系の職員である。このような現状のため、今年に入ってからブキビンタンで、マレー系と中華系の民族が争う暴動が起こっている。このように、日本では感じることはあまりないが、国内に国際問題を抱えているのが多民族国家特有の問題なのである。また、今まで私は民族国家というと、多くの民族が共存しているため、平和的なイメージを持っていたが、お互い不干渉でバランスを保っているという現状にはただ驚き、また自分の無知さを痛感することになった。

そして交流会、日本語クラスサポートでは、皆日本語を勉強しているということもあり、やはり日本のサブカルチャーに強い関心を持っているという印象を受けた。アニメや漫画はもちろん、コスプレが好きということにはとても驚かされた。日本と同様、コスプレのイベントなどが開催されているなど、マレーシアの日本のサブカルチャーへの強い興味、関心を感じることが出来た。

そして4日目は、映画「セカンドバージン」のロケ地ともなった州都イポーへ。町並みやウォールアート、KELLIES CASTLE、錫の博物館、KEK LOOK TONGなどを見てまわった。余談ではあるが、ウォールアートの作者が行方不明になったマレーシア航空便に乗っていたらしい。

またイポーは、グルメタウンとしても有名であり、その理由としては周囲に広がるカルスト台地の山々から湧き出す水にアルカリ成分が多く含有されているからだと言われている。今回の合宿ではイポーの名物料理である、イポースプラウトチキン、ホワイトコーヒーなどを食べる機会があった。私は、前回マレーシアを訪れた際に、ご飯が凄く美味しい!という印象はあまりなかったが、今回のゼミ合宿では食べるものすべてが美味しいという印象を受けた。

そして最終日には、プトラジャヤでシャングリラホテルの体験宿泊。プトラジャヤは、開発中の連邦直轄領であり、KLとクアラルンプール国際空港との間に位置する行政新都市である。私は、クアラルンプール以外にもこのように、先進国に劣らない新都市があることを全く知らなかったので、とても衝撃的であった。発展途上国ならではの大規模開発を見ることができ、とても意味のある体験であったと感じる。

文章がめちゃくちゃになったが(ごめんなさい)、以上がマレーシアイポー合宿の行程、振り返りである。前回とは違った観点から、マレーシアを再度見ることができて非常に良い経験となり、マレーシアを再訪してよかったと改めて感じた。また、今後マレーシアのブミプトラ問題についてもう少し調べてみたいと思う。

一言で今回のゼミ合宿をまとめると、本当に楽しかった!!


窪田 紗帆
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2015年09月18日

屋久島合宿

9/14~17で屋久島へ行ってきました。
わたしは去年も参加したので屋久島を訪れるのは2回目だったのですが、今回は人数も多く、研修センターでの滞在だったので、去年とは何かと違う点が多かったです。
そしてなにより今回の合宿のテーマが「分散を妨げるもの」ということで、縄文杉には登らないという、多くの旅行者とは少し違った日程で行い、縄文杉を訪れた去年の経験と比較することができたのでよかったです。
先生の「分散を妨げるもの」についての論文を読んで、"縄文杉を訪れない"ことでオーバーユースを防ぎ、さらに里のエコツアーなどの地域振興を促進することにもつながり、屋久島全体の活性化につながるということが分かりました。
しかし今回の合宿を終えて、"妨げるもの=縄文杉"という方程式に疑問を感じる結果となりました。
天候に恵まれた去年とは違い、ひどい雨に見舞われることが多かったということもありますが、屋久島の魅力は前回に比べるとあまり感じられませんでした。ただ単に"2回目だから"という訳ではなく、ガイドの違いが大きな要因だと感じました。
屋久島にとって、ガイドというのは本当に大きな存在だと去年訪れたときにも感じましたが、今回はよりいっそうガイドの重要さを感じる結果となりました。
去年は島津さんをはじめ、YNACの松本さん渡部さん、縄文杉のガイドさん...といかに恵まれていたのかを実感しました。
素晴らしいガイドさんに屋久島を案内していただいたからこそ、本当に屋久島のことが大好きになり、もう一度訪れたいと思うきっかけになりました。
彼らがいなければこんなにも屋久島のことを大好きにはなっていなかったと思います。
旅行先で会った人がその旅行先のイメージにつながる、というのは色々な所を旅行して自分自身感じていることでもありますが、地域と人と交流したりお店の人と仲良くなったりという交流以上に、ガイドが屋久島全体のイメージに与える力は本当に絶大だと思います。
私は普段個人で旅行する際にツアーガイドやパックツアーを利用することはほとんどありません。
観光の授業でも出てくることそのままのようですが、大衆観光に対する抵抗感というか、、、。
ですがもし友達が屋久島に行くと言ったら絶対にガイドさんに案内してもらうことを心からおすすめします。
ガイドさんに案内してもらうかしてもらわないかでは全く印象が変わるからです。


今回は縄文杉を訪れない代わりに、去年は訪れなかった屋久杉自然館や文化村センターを訪れました。
そこでのお話は非常に分かりやすく、自然館にあった縄文杉の枝や縄文杉の実物大の線は、縄文杉の壮大さを感じさせるものでした。
しかしここで一番印象的だったことは、ここで聞いた話のほとんどを去年聞いて覚えていたことでした。
これは屋久島の歴史や成り立ち、屋久杉だけに限らず、木や植物の種類や特性、二代杉や三代杉の存在、ほんとに小さなことまで覚えていました。
一年経っても忘れていなかったのは、ガイドさんに縄文杉や屋久杉ランドを案内してもらいながら、そのひとつひとつを実際に見て触れて感じたしてからだと思いました。
去年の経験なしにこのような話を聞いても小学校の修学旅行のように"勉強感"しかなく、印象も薄いまま終わってしまい、1年後どんな話を聞いたかは覚えていなかったのではないかと思います。
これはガイドブックも同様だと感じました。
ガイドブックにどれだけ詳細に木々や植物、苔、動物、歴史について書いてあったとしても、事実として捉えることしかできず、それを実際に見ながらガイドさんに言葉で説明してもらうのとでは、歴然の差があると感じました。

去年一緒に訪れたメンバーの中でも白谷雲水峽が一番好きな人、里のエコツアーが印象に残った人などそれぞれでしたが、私は縄文杉が一番印象に残っていたといっても過言ではありません。
しかしそれは縄文杉自体の素晴らしさではなく、到達するまでの道のりが一番印象に残っています。
夫婦杉やウィルソン株を見たり、トロッコ道を歩いたり、湧水を飲んだり、木々に囲まれて岩に座ってお弁当を食べたり、ガイドのおじさんがお味噌汁をくれたり、全ての過程が楽しかったです。
なので、オーバーユースなどの問題はあるかもしれませんが、ゲストスピーカーであった松本さんのお話にもあったように、現在屋久島に来る観光客の数が減りつつあるという現状からも、縄文杉の存在は屋久島の観光において欠かすことができず、屋久島を訪れる原動力になるだけではなく、多くのリピーターを作り出すことにもつながるのではないかと思いました。
このことから、"縄文杉が分散を妨げている"と考えるのではなく、縄文杉を含め屋久島を訪れた人に心から屋久島の魅力を理解してもらい、それによってリピーターを増やすことが分散につながるのではないかと感じました。
そしてもっと屋久島の良さを知ってもらうための案として里のエコツアーを提案し、地域の人とのつながりを増やすことでより屋久島の魅力を理解してもらえるのではないかと思います。
もう一つ、分散を妨げている理由として挙げられるのが、縄文杉や白谷雲水峽など目玉といえる観光地以外の観光設備があまり整っていないという点です。
今回縄文杉の代わりに初めて黒味岳を訪れましたが、その際初めて携帯用トイレを購入しました。
実際に使うことはありませんでしたが、黒味岳には入り口と入り口から1.5km(?)地点にしかトイレがなく、また1.5kmにあったトイレは悪臭がひどく、電気もつかないという状況でした。また入り口地点にはお店はおろか自動販売機すらなく、これらは黒味岳の観光の妨げの1つになっているのではないかと感じました。

里のエコツアーに関しても、今回は前回よりたくさんの方と交流ができ、見どころも多く、大変楽しい時間を過ごすことができました。さらに今回はゲストスピーカーの方にお話を聞くことができたことで、里のエコツアーでの報酬は9割が地域に配分されていることや、地域にお金がおちるシステム、外からのまなざしによる伝統文化の見直し、地域の人々の誇りの形成、生きがいなどたくさんのメリットがあることが分かりました。
それと同時に後継者不足や交通の便によって観光客数が左右される現状など課題もたくさんあることが分かりました。
前回訪れるまでは里のエコツアーの存在すら知らず、ゼミで来ていなければ知っていたとしても参加していたかどうかは微妙なところです。
現在里のエコツアーの事務局の方が集落ごとのリーフレット作りや、HPで掲載し紹介しているそうですが、まだ多くの人には浸透していないのが現状だと感じます。
里のエコツアーの魅力の1つとして地域の人との交流が挙げられますが、旅行者としてはお金を払う以上、ある程度の満足度が求められ、それを確実に提供できる保障が今のエコツアーにあるかということには疑問があります。
以上のことから、現段階では"縄文杉が分散を妨げている"ということに関しては反対です。
しかしリピーターの増勢、里のエコツアーの活性化など分散させるための方策は考えていくべきだと感じます。
YNACの松本さんがおっしゃっていた「屋久島リニューアルしました!」というフレーズには大変圧倒されました。

前回携帯の容量がいっぱいで思うように写真が撮れなかったので、今回いい写真(特に苔♡)がたくさん撮れたので、よかったです。
また前回より人数も多くにぎやかで楽しかったです!

次屋久島に来る時は、リバーカヤックと海ガメに会いに行きたいです!
それか冬!!


3年 中野瑞希

posted by 13なかの at 22:43| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マレーシア合宿 2015.8.3-8

8/3〜8/8にかけてゼミ合宿でマレーシアのペラ州を訪れた。

マレーシアはトランジットで入国した経験があるが、滞在は今回が初めてだった。今回の合宿では目的地のペラ州のみならず、首都のKLやPuterajayaという行政都市にも滞在し、マレーシアの様々な文化・街並み・産業・食などを見て聞いて体験する非常に充実したゼミ合宿であった。そして、昨年の延辺合宿に引き続き今回のマレーシア合宿でも現地担当を務めることとなり、UTAR(University Tunku Abdul Rahman)という現地の大学で日本食についてのプレゼンを行った。このプレゼンが今回の合宿の中で、私にとって大きな意味をもつものとなった。

民族構成が極めて複雑で、典型的な多民族国家として知られるマレーシアだが、今回の合宿を通してマレーシアにおける「多民族」とは何かということについて考えさせられ、またそれを肌で体験した。

UTARで日本食についてプレゼンをした時「なぜ、日本でハラルフードなのか?」という質問を華人系の学生から投げかけられた。その質問の根底には、「日本人とムスリムに何のそこまで深い関係があるのか?」という疑問があったのだと後から気づかされた。ここにマレーシアの抱える多民族国家の実態を多少なりとも見て取ることができた。その華人系の学生は何もムスリムに対して敵意を抱いていたわけではなく、同じ国に住む華人系とムスリムでさえも、互いにほとんど干渉をしない(むしろ多少の緊張状態があるくらいの?)関係なのに、なぜ日本人がそこまでムスリムと関わるのかが疑問だったのだろう。
そして、このプレゼンに対する質問だけにとどまらず、民族間同士のちょっとしたいざこざが原因で禁酒令が出たことや過去には5月13日事件という民族衝突もあったという話を通して、多民族国家マレーシアにおける民族間の関わり方に私はとても興味を抱いた。これまで私はマレーシアに対して他の多民族国家と比べても民族が互いに共存しながら発展してきた国であり、相互の混血や交流も盛んなのだというイメージを抱いていたが、実際のところ思っていたほど平和的なものではないのかもしれないということ、自分がマレーシアに対してあまりに無知であったことを痛感した。しかし、これも新たな発見であり、多民族国家としてのマレーシアに興味を抱くきっかけとなったので非常に貴重な経験だったといえるだろう。

土佐嘉孝
posted by masutanis at 16:52| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko13 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月17日

延辺ゼミ合宿

北朝鮮とロシアの近く、朝鮮自治区である中国の延吉に行ってきた。僕にとって日本以外のアジア、及び20人くらいでの海外は初めてのことで貴重な体験だった。毎観光で考えることは勿論色々あるが共通して興味出るのは現地、そこにいる人たちどんな人たちなのかということと音楽をメインにする娯楽についてだ。旅行先にいる人々はそれが現地の人でなくても何かそこにいる理由がありそれは自分とは違うポイントで面白い。延辺ではゼミのスケジュールもありそこまで多くの時間がなかったがそれでも色んな人達との出会いがあった。一番に思い出すのは国際シンポジウムにプレゼンターとして来ていた中田という氏の親子だ。父の方が特に面白くて、格好、髪型がお坊さんなのだがピアスを開けて酒タバコを呑みまくるという男だった。言動も格好には似つかわしくないもので「シンポジウム前に女を抱いてきた」など言っていた。しかしこの男、ただ快楽にだけ走っている不良坊主ではない。天安門事件を生で体験し足にはその傷が残り、そしてあと余命一年という人だった。彼から言われた「君は〜したいが多いよ、黙って〜すれば良いんだよ」は何だか凄く重くて貰った偽ドラエモンのイヤホン(音質悪い)と共に忘れないと思う。
二人目には僕はギターを探していたのだが(結局借りることはできなかった。それだけ浸透してないという発見が出来たから良い)、音楽関連ということでクラシックの先生を延辺大学でしているチューバ奏者のマンさんを思い出す。彼は僕の二つ隣の部屋に住んでいて、「コーヒーは好きかい」と自分の部屋に招待してくれた。その部屋は凄く整頓されていて家具もかなりの数があった、思えば延吉で唯一のリアルライフを送っている人の部屋かもしれない。またそのコーヒーはインスタントではなく豆を挽いてくれた。そのコーヒーを飲みながらクラシックの話をしたり聴いたりした。コーヒーは美味しかったが都にかもかくにもクラシックの楽譜を見た時になんだか凄く安心した。ちゃんとあるんだ、ということが嬉しかったし、うん良い人だった。
遅れちゃってすいません。
kanko14 菅家正礼
posted by masutanis at 16:06| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

延辺ゼミ合宿

私は中国の東北に位置する延辺に行ってきた。16日北京を訪れたときは、あふれかえるごみや色々な食べ物が混ざったにおいがし、さらには買ったアイスもドロドロに溶けていて少し驚いたが中国に来たのだなと実感するきっかけにもなった。
そして、翌日延辺に着いてみると空港の建物の掲示板やお店の看板には漢字とハングルの二か国語表記だった。実際にピザとかを食べたお店では接客をしてくる青年は英語がまったくできず、メニューを指さしたり、手振り身振りで大きさなどを聞いたりした。お店にはお客さんの寄せ書きが多くあり、ほぼ漢字と朝鮮語であった。また、超市(スーパー)でも英語ができる店員さんは少なかった気がする。朝市で欲しいものがあって値段を聞いても中国語で返ってきて理解できなかったので、紙に「多少銭」と書いて渡すと何元か書いて教えてくれたので筆談が役に立つとも分かった。他のメンバーが「こっちでは英語をやるなら朝鮮語を優先する。」と言っていたのを聞き、朝鮮族が多いから納得した。私は英語がどこの国でも使えると思い込んでいたが、国やその地域によって使用し重視する言語はそれぞれであるということを再認識した。他の国においても、その地域と使用言語の関係性、歴史、文化について興味を持った。日本の学校のカリキュラムでは見ることがないようなことがあった。軍事訓練である。大学内を歩いていると校内を隊列行進を行い、朝早くに起きて散歩をしていても、延辺大学のの学生は早朝から行進をしっかとやっていた。この軍事訓練の目的は学生の政治意識や愛国心の向上であると聞いた。延辺大学の一年生は入学して一か月は訓練するそうだ。運動場での訓練を少しのぞいたが、整列などの集団行動に重きを置いているようだった。あと私が個人的に面白いなと感じたのは朝市だ。衝撃的な食材が多かったということもあるが、中国料理が売っていたエリアなんかは目の前で料理を作り、朝早いのに多くの人が訪れていてとても、活気づいていた。舛谷先生が「あの人なんかお店の人だろうな、沢山買ってる。」とおっしゃっていたのを聞いたのと、日本人が私たちぐらいしかいなかったので、中国の人々の生活を支えている場を見れた気がしてなんだか嬉しくなった。揚げたての饅頭と野生のブルーベリーがとても美味だった。
今回私は中国語も朝鮮語も全くしゃべれなかったので延辺大学の学生さんの存在は大きかった。防川国境観光や龍井・市内見学の際は中国語、朝鮮語を日本語にして説明してくれてただ、観光に来ただけじゃわからないようなことも知れた。ただ聞いているだけじゃなく質問なんかもできればよかった。
日本に帰って、多くの人に中国はどうだったかと聞かれ、学会や長白山、防川国境観光、龍井・市内見学のことと中国の人が日本人の私たちを快く歓迎してくれたことを話すと驚かれる場面が多かった。日本人の大半は中国に対して良いイメージを持っていないなと感じた。その分私たちは中国に行き現地の人々と交流をし、いい経験ができたと思う。
岩見健
posted by masutanis at 12:34| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

延辺合宿

今回のゼミ合宿で私は初めて中国を訪れた。
正直、この合宿に参加する前まで私は中国に対してあまりいい印象を持っていなかったし、この合宿がなければ訪れようと思ったこともない国であった。中国人はきっとみんなマナーもよくないし愛想もよくないだろう。中国の街中はゴミが溢れているんだろう。北京、上海、香港以外は田舎だろう。そんなほぼ確信ような先入観を持ってこの合宿に臨んだため、滞在中はショックを受けることが多々あった。
初日乗り継ぎのために降り立った北京では郊外だったため、ホテルの前の通りが生ゴミ臭く、道端で野菜を売ったり服を売ったりと、想像していた北京の街並みとは大きく異なっていた。一方延辺では、きっと田舎で何もないだろうと思っていたが、北京空港の周りとは比べ物にならないくらい都会で、人も車も多く夜でも明るい街であった。
中国人はみんな日本に嫌悪感を抱いているだろうと思っていたが、延辺大学の学生と交流をして、そのような人たちばかりではないということがわかった。延辺大学の学生たちは積極的に話しかけてきてくれたり、日本語を使っていたりと、むしろ日本にプラスのイメージを持っているように感じた。また、2日目の昼食時に訪れた冷麺屋の店員で10年日本に留学していたという人がいたり、帽子山に登った際、娘が日本で暮らしているという人に出会ったり、日本に関係がある人たちが結構多いことがわかった。
悪い面で想像を越えている部分もあった。例えば、レストランやコンビニなど店の店員の態度が、日本では考えられないほど無愛想であった。おそらく中国ではそれが"普通"とされているのだろうが、普段日本のおもてなしの精神のサービスを受け、それに慣れてしまっていた私はどうしても違和感を感じ、また、嫌な態度だと感じてしまった。他にも、英語の通じなさにとても驚かされた。もちろん、日本は世界の中でも英語が通じない国として評価されているが、中国はそれ以上なのではないか、と思った。北京空港で英語を使って質問をしても中国語で返され、わからない様子を伝えても、こちらにわかるよう身振り手振りを加えて説明するというようなことはなく、ひたすら早い中国語で返事をされ、まくしたてられているように感じた。日本では空港など外国人の客が多いところ以外ではあまり英語が通じるとは言えないが、どうにかして理解しよう、伝えようという態度が伺える。しかし中国では街中の店で中国語がわからないと伝えても、理解し合おうという気持ちがあまり見えなかった。
もちろん、笑顔で対応しサービスもよく、素敵な店員のいる店もあった。しかし、そのようなお店は中国というよりは韓国寄りのお店が多いように感じた。このようなことから、やはり、サービスの面で国によって文化が異なり大きく違いが出るんだなと実感した。
この合宿を通して、私はいかに今まで自分が勝手なイメージで物事を判断していたかがはっきりとわかり、それと同時に実際に行って、見て、肌で感じてみないわからないことも多いんだなと思った。また、文化の違いも感じることができ、今まではマナーがなってないなどという私の価値観を押し付けた評価で様々なものを見てきてしまっていたが、それが文化であると受け入れられるようになった。この合宿は私にとって自分の考えを大きく変えた、貴重な機会となった。

中川有紗
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延辺合宿

今回の延辺合宿では、長白山でのマスツーリズム、マナーや交通ルールの違い、使用言語の多様性など、あらゆることに気付き、体感したが、中でも特に私は「ICT」、「食」の2つが私の延辺合宿の大きな関心になったと感じる。

まずは「ICT」についてだが、「Wi-fi」と「VPN」の二つについて日本と比較しながら述べたい。まずこの合宿を通して私は、中国のWi-fi環境は日本よりも制限が少ないように感じた。例えば合宿中、様々な飲食店へと足を運んだが、基本的にどの飲食店にもWi-fi環境が整備されていた。しかし、日本では中々Wi-fiが広く普及せず、例えば全国的チェーン店である「マクドナルド」では、Wi-fiの使用に対してキャリアの制限がかかっているなど不便さが残る。また、たった数十分の使用のために会員登録等を要求することが多く、手軽とは言えない。公共交通機関のWi-fi環境に関してだが、今回使用した公共交通機関の内、空港等の国際的に人口が流入する施設内では日本とのWi-fi環境の違いは特に見られなかったが、5日目に使用した高速道路において違いが見られた。日本ではNEXCOが管理するSA・PA等ではWi-fi環境が整備されているが、中国の高速道路では道路を通行している際にもWi-fiを使用することができた。高速道路を使用する際、通行中でもWi-fiが使用できるというのは、車内での暇つぶしに有効であるなど、サービス面で優れていると言えそうだ。ところが「VPN」に関する話となると、中国は制限の多い国であると感じた。Twitter, LINE, Facebook等の世界的にシェアが拡大しているサービスを中国ではVPNを介さないと使用できず、延辺大学のとある学生さんはこれらのメディアから情報を得られないことに不満を感じていた。また中にはWi-fiが使用できても、VPNは使用できないネット環境も見られた。この制限を知り、私は中国が社会主義国であることを再認識し、携帯のキャリアもネットワークが国営で徹底的に管理されていることに、人々の情報公開・知る権利が阻害されているように感じた。「Wi-fi」と「VPN」という二つの切り口では、中国のICT環境について肯定的か否定的かと意見が分かれた。情報通信技術は今後も発展し続け、国際的に非常に絡み合う事物だと考えられるので、日本・中国双方の動向を追いたいと感じた。
次に「食」についてだ。海外という異文化に飛び込むと必ずと言っていいほど食文化の違いに圧倒される。今回は、延辺が朝鮮民族自治州の一部であるため、円卓に大皿が並べられていくような典型的な中華料理の他に、ビビンバや冷麺などの韓国料理も楽しむことができた。このように文化が混在しているという延吉らしい点を、食を通して知ることができたのは面白い。また、「熊博士」という「HARIBO」にそっくりなグミのお菓子を見つけ、模造品があるというステレオタイプな中国の一面も見ることができた。加えて他のアジア諸国と同様にここでも夜になると屋台が並び、ご当地料理を手軽に食すことができた。屋台は地元を表す、アジアといえば屋台、と単純に私は考えてしまいがちなので、日本の博多、ベトナムのホーチミンなどの他の屋台文化についても更に深く知りたいと思えた。そして何より興味深かったのは珍味である。2日目のバイキングにて米の腸詰、4日目の晩には養蚕を食べたり、7日目の水上市場では人差し指大の芋虫や犬が丸ごと販売されているのを見たりと、日本にはない新鮮な体験をすることができた。食は人々の生活から切り離せない重要な要素であり、珍味はその地の人々の文化を特徴的に示す。例えば、なぜ腸に米をわざわざ詰めたのだろう…などと素朴な疑問から珍味を見ることで、さらに異文化に対して深い理解を示せるのではと考えた。珍味を珍しいものと足らしめる理由は尽きず、珍味という「食」から文化の違いについて再考するのも面白そうであると感じた。

 最後におまけとして、滞在中、延辺大学の院生さんから中国の漫才である「相声」について教えてもらった。外国人の方とおしゃべりすると得るものばかりで本当に楽しい。これからも自分の好奇心のままに、様々なことを体感し、思考したいと思った。

斉藤朱里
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延辺合宿

シンポジウムの最中、延辺大学の学生と話す機会があった。彼らのなかには、中国国内ではfacebookやLINEが使えない(We chat"というSNSが主)ことに不便さを感じる人もいて、「世界との距離を感じる」という研究生の台詞が印象的であった。
日本語学科の学生だから尚更かもしれないが、日本のドラマやバラエティ番組に対してとても敏感だった。大学で教授から教わる日本語は古いらしく、現在放映されているドラマを見ていた方がより新しい日本語に触れられるそうだ。中国のテレビ番組は見ないのかと訊ねると、どこかで見たような真似っこばかりであまり面白くないようだ。
また、彼らは漢族と朝鮮自治州族をはっきりと区別していた。同じ中国国内でも、やはり漢語とハングルとでは文化が結構変わってきてしまうものなのだと思った。
延吉はまだまだこれからの都市である。空港から街中への道からは建設中の建物が多く見えた。今後再び延吉を訪れた際にはまた印象が変わるかもしれない。
中国、北朝鮮、ロシアの国境の防川。もっと物々しい雰囲気かと思っていたがすっかり観光地化していた。観光客は若い人が少なく、ご年配の方々の方が多かった。

田口暖菜
posted by masutanis at 02:24| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

延辺合宿についてただただ主観的な感想

出発する前のわたしはこの合宿に対して良い印象を持っていなかった。以下1〜7、合宿の日程と()内心の声。

1.羽田空港から北京空港まで移動し北京で1泊。(ここまではきっと快適な旅だ。)
2.北京空港から延吉朝陽川空港へ。(どんな僻地へ飛ばされるのか分かったものじゃない。)
3.学会参加。(響きが格好いい。しかし英語が聞き取れない上に話せないわたしがまともに参加出来るものなのか。)
4.長白山見学。(さすが登山ゼミの別名を持つ舛谷ゼミ。これが全日程の中で1番の山場だろう。)
5.防川国境観光。(貴重な体験だ。)
6.龍井・市内見学。(唯一遊ぶことや食べることを楽しむことが出来るオアシスの日。)
7.帰国。(行ってみれば1週間なんてすぐなのかもしれない、こともない。)
加えて、文明利器に溢れた現代を生きる若者の1人としてLINEやTwitterなどのSNSから切り離された生活は過酷極まりないものである。出発前夜はとても憂鬱だった。

しかし実際の合宿は想像と違って普通に楽しかった。

延吉市は僻地ではなくむしろ都会、お洒落なカフェが建ち並ぶ学生街であったし、学会が開かれた延辺大学はかなりの規模を誇り、1つの街かと思うほど広大なキャンパスを持つ。公共の乗り物や車の往来の激しさ、横断歩道での左折車に恐怖したこともあったが、慣れればそこまで気にならない。ご飯も美味しいものばかりで食事が楽しかった。学会は日本語が主に使われていて英語の心配はなかったし、長白山見学も辛い登山ではなく読んで字のごとく見学であった。そして人との出会いにも恵まれた。学会で知り合った延辺大学の学生さんを初めとして、学会最終日の午後から夜にかけて街を案内してくれたおじさん親子や合宿最終日前夜に入ったお店の店員さんで困っているところを何度も助けてくれたお兄さんなど、現地ではたくさんの親切を頂いた。反対に長白山見学では押しがとても強い人もいたが、それが中国人の当たり前なのかもしれないと思った。さすがに北京空港にいた女性スタッフ2人の携帯をいじったり頬杖をついたりする態度は国民性でまとめて良いのか分からないが、日本の接客がどれほど丁寧に行われているのかは再確認できた。またあれほど嘆いていたSNSは立教大学を通して使うことが出来たけれど、寮の部屋にWI-FIは通っていなかったのでほぼ外界とは繋がりを持てない状況にあった。しかし異国の地でゼミ生と過ごす毎日は楽しくて携帯が機能しなくても充実していた。

また行きたいかと言われると行きたくないが、行って良かったと心から思える合宿であった。

観光学部交流文化学科2年 橋本 あかり
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延辺合宿

わたしは、約1週間中国を訪れた。正直、中国にいく前は食事面、トイレやシャワーなどの衛生面、ネットの環境面、治安面など不安なことがたくさんあった。しかし、訪れてみると思ったより過ごしやすい環境であることを実感した。

延辺は、スーパーやレストランがたくさんあり、中でもカフェがたくさんあった。中国と韓国の文化が混ざり合ってるというのだけあって、韓国にいるかのような気分になるカフェがたくさんあった。内装も綺麗でBGMも韓国の曲だった。Wi-Fiの環境もすばらしくよく、毎日そういったカフェを利用していた。寮でWi-Fiが使えなかったことは不便であった。

トイレはトイレットペーパーを流してはだめで、ゴミ箱に捨てなくてはいけないため、臭かった。また、トイレットペーパーが設置されていないところがほとんどで持参しなければならなかった。だから、たまにトイレットペーパーが設置されているトイレにであうと、とても感動したのを覚えている。と、同時に日本のトイレはやはり素晴らしいとおもった。よく、ニュースで中国人がトイレの便座をお土産として買って帰ると聞いたことがあるが、その意味がよくわかった。

水上市場にも行ったが、日本の市場では売っていないものがたくさんあり驚いた。やはり、いちばん衝撃だったのは食用の犬が売られていて、その横を散歩しているペットの犬が堂々と歩いていたことだ。どんな気持ちで歩いているのだろうと思った。しかし、朝早くからこんなにもたくさんのものが売られていて現地の人にとったらとても便利だとも思った。

延辺合宿を通して、その土地にいったらその土地に染まらなければ生活していくのが大変ということと、日本の良さにさらに気がついた。

上原彩
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2015延辺

2015年夏。私はゼミ合宿で初めて中国に、しかも一度も耳にしたことのない延辺という土地へと訪れた。全くの知らない場所だったので私は現地のイメージすら湧くこともなく、先輩方から聞いた情報のみしか頭にない状態で当日を迎えた。率直な感想は、「思ったより全然平気!」だった。延辺大学及び宿泊した寮の周りは飲食店で溢れていたし、不安だったお風呂も、シャワーを使用中なぜか温度表示が26度になったり72度になったりしたこともあったが実際のお湯の温度は全く変わらなかったので、支障なく一週間過ごすことができた。お洒落なカフェもいくつもあり、そのほとんどに無料のWi-Fiが設置されていた。また、そういったカフェは若い従業員が多いためか、英語表示のメニューや、片言の日本語が話せる店員がいるところもあった。反対に若い従業員がいない店では日本語はもちろん英語でも数字すら通じないところがあったので、世代が変わるにつれグローバル化が進んでいることを実感した。
私が今回の滞在で一番面白いと感じたのは、現地の学生との交流によって、現地のリアルな生活を知れたことだ。例えば、私が仲良くなった延辺大学の学生はパソコンのビデオ通話で朝鮮語を教えるアルバイトをしているらしい。時給は600円で、日本の都心では考えられない時給である。しかも、アルバイトを休むと担当している生徒の教師がいなくなってしまうため、学校から帰ったら月曜から金曜までしっかりと働かなくてはいけない。600円の時給で週5のアルバイトと聞くととても厳しく、条件の悪いアルバイトのように私には感じられてしまうのだが、その子に聞いたところ、飲食店では4時間で1000円の給料、つまり時給が250円だという。私は心底驚いたが、中国は日本に比べて物価が安いから問題ないのだとその子は言っていた。また、延辺大学に通う生徒は寮に住む生徒も多いがアパートで友人とシェアルームをしている生徒も十分にいるらしく、そのためアルバイトをしているひとが多いらしい。いくら物価が日本より安いと言っても、日本よりもだいぶ低い時給で、さらに家賃まで払って生活していると考えるとその生活は随分厳しいものに思えた。日本は十分贅沢なんだな、と感じられた。
今回の合宿で、異文化に触れる機会がたくさんあったが、異文化を理解することと、そのひとそのものを理解するのはまた全然違うことだと思える合宿だった。
徳田晏佳
posted by masutanis at 00:02| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

ペラ合宿

8/3〜9でペラ合宿に行ってきました。

クアラルンプールの空港には何度も来ているのですが、マレーシア国内に入るのは初めてでした。
今回の合宿では、初日に大都会のクアラルンプール、2〜5日目で郊外?のペラ、最終日に行政新首都であるプトラジャヤを訪れました。
3都市それぞれで違う雰囲気のマレーシアを見ることができました。

イポーの観光案内所などで、よくホームステイのパンフレットを見かけました。
わたしはマレーシアではホームステイの経験がないのですが、マレーシアでホームステイをしたことのあるゼミ生も多く、マレーシアではホームステイが盛んだという話を舛谷先生から伺いました。
マレーシアのホームステイについて少し調べたので、簡単にまとめたいと思います。

マレーシアにおけるホームステイツーリズムは1970年代に誕生し、1990年代に本格化しました。
マレーシアでのホームステイツーリズムが他の国と違う点として、政府による促進が挙げられます。
農村や少数民族社会でのホームステイを促進することは、ホストファミリーへの経済的な貢献につながるだけではなく、ホストの属するコミュニティにも多大な影響を与えることからプロプアツーリズムやコミュニティ・べースド・ツーリズムとも捉えられます。
このことからホームステイは新しい農村観光開発政策として国家レベルの政策として、観光省を中心に進められてきました。
ホストファミリーによって構成されるホームステイ委員会が村の委員会や農業委員会と連携し、運営を行っており、ホームステイ・コーディネーターとして、受け入れの手助けをしています。
今日のホームステイプログラムに参加するホストファミリーは「主要道路から近いこと」
「個別の寝室と適切なトイレの存在」
「高い衛星状態」などの資格条件を満たした場合、観光省から認可証を与えられるとされており、認可証を与えられると、基本訓練に出席する必要があるそうです。
こうした資格条件を保証することがゲストに安心感を与え、マレーシアでのホームステイは人気が高いのかなと感じました。
マレーシアでのホームステイで多いのが「カンポンステイ」です。カンポンとはマレー語で"田舎"という意味で、カンポンステイとはマレーシアの田舎の村に滞在し、現地の人々との交流などをするプログラムのことです。
こうした受け入れ先を持つ村がマレーシア全土に200~300カ所もあり、場所も農村、漁村、島、あるいは都市近郊のカンポンとバリエーションもさまざまだそうです。
異文化交流や文化・伝統芸能体験(バティック、擬似結婚式、マレー舞踊など)、キャノピーウォークなどの自然体験などがマレーシアでのホームステイの魅力であると言えます。

前期で日本でのホームステイ促進について研究したりもしたので、ルックイースト政策の逆バージョンということで、マレーシアでのホームステイを参考にしていきたいと思いました。

今調べたのはここまでなのですが、もう少し詰めていきたいと思います。(笑)

わりと引用したのでいちおう参考文献つけます(笑)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no95_04.pdf
http://versys.uitm.edu.my/prisma/view/viewPdf.php?pid=36985


パスポートの残存期限が足りないなんてこともありましたが、笑顔と度胸でなんとか入国できて本当によかったです!(笑)

あとラーマン大学でのプレゼンは、思うようにいかなかったので、準備をしっかりして、気を引き締めて今後に活かしたいと思います。


中野瑞希
posted by 13なかの at 22:49| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko13 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2年 延辺合宿

8月16日〜23日の8日間、夏合宿で中国の吉林省、延吉市へ行った。

初日は昼過ぎに羽田空港を出発する便で経由地である北京へ行き、空港近くのホテルで一泊した。
北京といったら大都会のイメージがあったが、空港近くではそのような雰囲気は全く無かった。ホテルの向かいの空き地のような場所には大量のゴミが捨てられており、とても強いにおいを放っていた。夜にそこで高齢の女性がその場所で何かをしているのを目撃したが、ゴミを片づけようとしているのか、その中から何かを探そうとしているのかは分からなかった。

翌日早朝に北京空港へ行き、保安検査をしている際、日本の空港とは違うと強く感じた。係員の対応がとても雑に感じ、検査で引っかかると大きな溜め息をつかれる。まわりのスタッフを見ていても、浮かない顔をしている女性スタッフが多い。ストレスの溜まる仕事であるから仕方ないとは思うが、誰も見ていて良い印象は持たないだろう。
このあたりは想定内であったので驚きはしなかったが、これが中国なのだなと感じた。
そこから延吉市へ向かい、23日朝まで滞在をしたのだが、その中で印象に残ったことを2つ挙げる。

1つ目、私は初めての中国で車の走行を目にして、とても驚いた。横断歩道の信号が青でも、車が減速せずに突入してくる。
「いつ渡ればいいの。」
横断しようとした際、純粋にそう思ってしまった。
日本と違い、青信号でも安全ということは決してないのだ。のろのろと渡っていたらクラクションを鳴らされるどころか、ひかれる危険すらある。歩行者よりも車優先の社会なのである。

また、中国のドライバーはクラクションをかなり多く鳴らす。交通量の多い道路だと、常にクラクションがどこかで鳴っているような印象を受けた。その場では、「中国人はどこまで気が荒いんだ」と思ったが、日本に帰ってこれを調べてみると、日本とはクラクションの使い方が違うということが分かった。
日本では、相手に対して「邪魔だからどけ」というような意味で使われ、ドライバーが怒っているような印象を受けるが、中国では「ここに車がいるから気をつけろ」という意味で使われるそうだ。怒っているのではなく、クラクションによって周りの人や車に注意を呼びかけている。
中国では「後ろに車がいますよ」くらいの軽い気持ちでクラクションをならすのである。そのため、道路のあちこちで音が鳴っている。走行中のドライバーの手を観察してみると、クラクションをいつでも鳴らせるような位置でハンドルを握っていた。

また、タクシーに乗っていて気づいたのだが、走行中の車が車線変更、右左折でウインカーを出さなかったり、むやみにスピードを出して車の間を抜けて行ったりと、運転自体もとても雑であった。
そのような乱暴な運転でも事故を起こさないのは、それなりに運転技術があるとも言えるのだろうが。

とは言っても、歩行者にとって危険なのは変わりない。日本と違って車と歩行者の事故は必ず車に責任がある、とはならない。自分の身は自分で守るといった考え方が主流なのだ。価値観の違いだと考えれば、納得した。
だが、これらを実際に感じて、どのように自動車教習が行われているかという純粋な疑問をもったと同時に、ルールだらけの日本の道路に慣れてしまった自分が、この国で車の運転をするのは厳しいなと思った。

2つ目は、マナーについてだ。日本では、何かを待っている際、列になって並ぶのが普通である。中国においては、それが全く無いという訳ではないが、日本とは違った。スーパーのレジ待ちなど、列自体は存在するが、少しでも隙あれば間に人が入ってくる。現に、長白山へのバス待ちで並んでいる際、列の間に少し隙間ができると、後ろから体を入れて割り込まれるようなケースもあった。列が進行しているときも、後ろから女性が間をくぐりながら、強く体を入れてきて、割り込まれるようなケースもあった。日本ではマナーとして当たり前のことが、ここでは違った。

このように、日本と違うことがいくつもあり、これらのことから中国に対して悪い印象を抱く人も多いかもしれない。ただ、中国人全体に対して悪い印象を持つのは間違っていると思う。
中国に限った話ではないが、異国にいって日本との違いを感じることは当然である。日本で当たり前のことでも、他国では当たり前ではない。環境、教育、その他様々な要因で、日本人とは育ち方、価値観が違うのだから、批判的になっていても仕方ない話だ。外国に行ったら、現地の文化、風習、その他に対してカルチャーショックを感じるかもしれない。だが、それを受け入れていくのが大切だと思う。
例えば、海外から日本に観光に来た人たちのマナーが悪かったとしても、それについて「〜人のマナーは最悪だ」と批判的になっても仕方ない。日本で育ってきた訳ではないのだから。

今回訪れた延吉市はあまり観光客が来るような場所ではないので、現地の人々も観光客慣れはしていない感じであったし、英語が話せる人も少なく、意思が伝わらず困った場面もあった。だが、私たちが外国人だと分かり、親切にしてくれる人は少なからずともいた。
自分が外国人という立場で実際に困ったり助かったりした経験を活かして、日本でも行動していきたいと強く思った。

日本で育ってきたから当たり前かもしれないが、外国を訪れ帰ってくる度に、日本は素晴らしい国だと感じる。そこで、「外国と日本とは何が違うのか」を考えることで、日本の良いところを再認識し、質をあげようとすることで、日本を訪れる外国人観光客へのおもてなしにつなげることも出来るのではないか。

中国は日本と比べれば不便な点も多く、大変さを感じる場面も多かったが、今回訪れることができ、自分の考え方の幅も広がり、とても良い経験になった。

中塩 大地
posted by masutanis at 22:43| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

延辺合宿

今回の延辺は想像とは大きく違うものだった。
それまでの自分の中国へのイメージと、去年行かれた先輩方の話から、滞在しかし、実際行ってみると、過ごしやすい環境だった。寮は、トイレとシャワーが同室にあるという、日本とは異なる形式のものだったが、私の部屋は大きな欠陥もなく、求める最低限の機能は果たされているように思われた。街も、延辺大学のお膝元ということもあり、学生には過ごしやすい街だったように感じる。寮にWiFiは通っていなかったが、結構な割合の店でWiFiが無料で通っていたため、不自由に感じるほど使えないわけではなかった。帰国後に日本で無料WiFiを意識して探してみたところ、全然整っていないように思えた。1000万人を超える訪日外国人がいるというのに、この環境ではリピーター獲得につながらないのでは、と日本の現状を省みる必要性を感じた。
不便に感じたのはトイレで、和式のような形ででトイレットペーパーが常備されていないところが多かった。また、使用済みペーパーをゴミ箱に捨てる習慣にも戸惑った。体に染み付いた習慣を変えるのはなかなか難しいのだと痛感した。トイレットペーパーのみならず、ゴミの処理に関しては日本と大きく違うように感じた。街のあらゆるところにゴミ箱が備え付けられており、そこからはゴミが溢れかえっていた。分別がされているところは少なく、生ゴミも資源ゴミも不燃ゴミも、さらにはペットボトルも同じゴミ箱に入れられているようだった。それが溢れているのだから、街の匂いはあまりいいものではなかった。それは特に1日目に宿泊した北京郊外に言えることだった。そこでは道端でスイカも売っており、その匂いも混じり、凄まじい匂いが充満していた。そこでの体験もあってか、延辺の空気は良かったように感じた。帽子山や長白山など、街を離れた自然の中では日本の都心よりもいい空気だった。
食事は、朝鮮族食事自治州であるだけあってか、韓国料理が多く、中華料理よりも美味しかった。一週間、毎日米を食べられたというのも精神的に支えになっていた。和洋中のビュッフェでは、中国にいることを忘れてしまうようなリラックスしたとともに、先生方やゼミのみんなと楽しい時間を過ごせた。
中国を初めて訪れたと同時に中国人とコミュニケーションをとったのもほぼ初めてだった。
日本語を勉強されている大学生の方と交流することもできた。学会の準備の時のみならず、一緒に街に出るとこができ、その時彼女らの暮らしが見れたように感じた。暴走気味のタクシーには彼女達も怒っていたし、虹が出ていた時は嬉しそうにしていた。語気が強い喋り方だったり、日本のニュースで取り上げられる中国は怖い印象だったが、そこに住む中国人は私たちと変わらぬ感性を持っているとわかり、嬉しくなった。
日本ととこなる点も多く、環境に慣れることが苦手な私には適応が難しかったが、総じて良い経験となり、楽しい時間を過ごせた。自分の今ある価値観を押し付けて考えがちだが、より柔軟な見方が必要だと感じた。

日下部彩月
posted by masutanis at 22:39| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015 北マレーシア合宿

8月3〜8日、今年の海外合宿はマレーシアのペラ州で行われた。マレーシアへはエアアジア利用の際のトランジットで数多く入国しているが、宿泊を伴い滞在するのは2年ぶりだった。その2年前は早期体験プログラムでクアラルンプールと国立公園のタマンヌガラを訪れた。今回の合宿では当時感じたこととはまた違ったマレーシアの姿を発見できた点で、大変収穫の大きいものとなった。

始めに簡単に今合宿の行程をあげる。主な活動内容はペラ州のKamparにあるUTAR(University Tunku Abudul Rahman)での交流プログラム、州都イポーの見学、新都市Putrajayaの5つ星ホテル体験宿泊といったものだった。1日目はKLに宿泊したが、早期体験の時に泊まったホテルや訪れたセントラルマーケットにも寄ったので、個人的に懐古に馳せる瞬間であった。2日目から3泊はUTARの学生寮一軒をゼミメンバー、舛谷先生でシェアするスタイルだった。KamparまではKLから約2時間、マレー鉄道のKTMで向かったがその車窓からは開発の範囲が進んでいるなという印象を受けた。以前はもっとすぐにKLから離れると熱帯雨林やプランテーションが広がっていた印象だったが、KLから離れてからも高層ビルが建てられている地区を何か所か確認できた。それでも40分ほど(?)走るともうプランテーションやその後背に高地や山が連なっており美しい景観だった。以下合宿での活動のうち特に印象深い2つの項目について、前回の滞在で感じたこととの比較も交え述べていく。

1つ目はUTARでの学生との交流や、学生へ向けて行ったプレゼンテーションなどの活動から得たことである。まずUTARについて簡単に紹介する。2002年設立の私立大学で、学生の9割が中華系マレーシア人である。近年はマレー系、インド系のマレーシア人学生も増加傾向にあるそうだが、実際に大学内で行動してみてほぼ中華系の学生が占めていたため、マレーシアにいるということを忘れ、中国に来ているかのような感覚であった。それこそKLに滞在している時とは全く違った感覚である。これは今回第一に受けたマレーシアの新たな印象である。KLでは三民族が共生しているという印象を強く受けたが、この地域では完全に華人のコミュニティで形成されており、「マレーシア」という国単位より独立した地域のように感じられた。これほど違和感のようなものを感じてしまった要因は、マレーシアは多民族共生の社会を持つという既存の認識に安心しきっていたからだ。このように地域ごとに人口を占める民族の比率は均等ではない。この地方に中華系が多い理由は、かつて展開された錫産業と深く関係している。広大な大学のキャンパスに存在する湖も錫鉱山の露天掘り跡にできた人口湖であり、市内にはTin Mining Museumもあるようにかつて錫の一大産地であったこの地方に労働力として中華系の移民が流入したため、比率が高くなっているのだ。多民族共生という言葉では互いの文化や風習を許容して共に生活しているかのように見えて、現実は単純ではなく距離を保ちつつ成り立っているということを知った。KLでもこのころ飲酒禁止となる地区が発生するなど民族関連の問題が発生していると聞き驚いた。

この多民族社会への認識は、今回マレーシアの大学で日本語を勉強する学生に向けたプレゼンテーションを行う我々にとって課題をもたらすことになった。このプレゼンは土佐君と共に担当したが、日本の文化について日本食をテーマとし、それに絡めて日本におけるハラルフード対応への動きについて紹介した。華人が多いという情報はありながらも、マレー系の多い「マレーシア」という国単位で捉えれば、ムスリムやハラルの話題について取り上げても通用するだろうという期待を持ち臨んだ。しかし、実際にはある1つの衝撃的な質問をぶつけられた。その質問は以下である。「なぜ、日本でハラルフードを提供するのか。」この理由については我々のプレゼンにおいて、日本食が世界の人にも人気がある為、日本を訪れるムスリムの観光客が増加している為という2点をもって説明していたのだが、それを踏まえた上でさらに投げかけられたものであった。その時我々が答え得る回答は上記の2点のように、日本食を食べたいというムスリムの人たちの需要があると考えるからといったものであった。しかし彼女の質問が意味したことはもっと根本的な部分であった。その根本的な部分とは、他民族に対する関わり方であり、つまり意図するものは中華系は他民族に対しあまり干渉しないような姿勢が取られているということである。そのため、中華系の彼女にとっては、同国に住む我々であっても他民族に距離を持つのに、何故日本人がムスリムに関心を寄せるのか、という解釈である。この質問は多民族社会の様相について捉え直し、民族の共生について改めて考える契機となった。また今回のやり取りで今までの自分自身の単純な認識の仕方を反省するのと同時に、複数民族が共存する社会への耐性を持ちにくい日本人の、世界に対する遅れのようなものを痛感する機会となった。

また、今回のプレゼンは日本語で行ったが受講者は日本語を習い始めて半年満たないということだったので、全編UTARの先生の通訳を介すことになり、英語で準備すべきだったと後悔した。しかし舛谷先生によれば学生にとって同年代の日本人の生の日本語を聞く機会は限られており何らかの影響にはなったはずだということであった。よって彼らにとって少しでも日本語を学ぶ上での活力または日本に対する関心を引くものとなったことを願ってやまない。プレゼンに加え2時間の日本語クラスを2コマ、みっちり学生同士のディスカッションを通すことで本当の意味でのinteractionになったと感じた。このようにUTARでの活動は、自分に対し多民族社会について新たな観点を与える経験になった。

二項目述べようとしていたが、長くなってしまったので2つ目は簡潔に…、新行政都市Putrajayaの開発について書きたい。プトラジャヤはKLIA国際空港とKLの間に位置し、もとはプランテーションだった土地を大規模に開発し造られた新しい都市である。KLの郊外に政府機関を移行し副都心として開発が進行しているこのような都市があるとは知らず学習不足であった。古い時代の建造物が残るイポーのように大規模開発が成されていない地方都市や、Kamparのような田舎街を見て非常に好ましく感じるが、プトラジャヤのように完璧な計画都市にも心奪われてしまい若干複雑な気持ちになった。体験宿泊させて頂いたシャングリラは、都市開発と同時に建設が計画されてできたホテルであり、ともに「自然との調和」をコンセプトとしていたことが印象的であった。開発するにあたって闇雲に高層ビルを建てるのではなく、確かに自然が多く空間に余裕を持った都市景観は魅力的であった。イギリスの植民地時代と日本占領時代を感じるペラ州都のイポーを訪れた後、合宿の最後にプトラジャヤを訪れたことは特別な意味を持ったと思う。まさに現在進行形のマレーシアの発展を目の当たりにした感覚だった。

終わりに、今回直面した多民族社会の様相と外国語教育の現場から、今後はマレーシアの教育制度と実体について民族の観点からより詳しく調べてみたい。この6日間、マレーシアについて前回考えが至らなかった点に至るなど新たに学ぶことが多く、再訪出来て本当に良かった。もちろん、また行きたい。ブログを書いてみるとイポーの歴史や食文化など記述したい項目は他にも出てきたが、ひとまずこの辺にしておく。

3年 眞鍋智佳
posted by 13まなべ at 17:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko13 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

延辺ゼミ合宿

8/16〜23まで中国延辺朝鮮族自治州でゼミ合宿を行った。1日目は北京に宿泊し、飛行機を乗り継いで延辺へ向かい、延辺大学の留学生寮に滞在した。
出発前の私の中にある中国のイメージはお世辞にも良いものとは言えなかった。食品に表記とは異なるものどころか食用以外の物質が混合されるなどの食品偽装問題、ルール無視の建築による道路や建物の陥没や倒壊などメディアによる様々なショッキングなニュースが負のイメージを形成し、不信感で一杯であった。更に日本が過去に中国に対して犯してしまった罪と近年の両国間の関係悪化が加わり、一種の罪悪感と無意識的に日本を擁護しようとする反感のようなもの、敵だらけの中に足を踏み入れるような恐怖など様々な感情が交差していた。

中国ではやはり日本の文化は通用せず、驚かされることばかりであった。まず驚いたのは接客である。客は商品を選ぶとき手に取ったり、試しに身につけてみたりするものであるが、それにより乱れた陳列を客の目の前で直す。商品は汚れるからと触らせない。客にべったり付いて回ることが多く監視されているようで兎に角落ち着かない。比較的高級なレストランでケーキを注文した時も注文を忘れてたいた上、ケーキのパックを取りながら店員がやってきて失笑してしまった覚えがある。どれも日本でしてしまえば注意されるのは勿論のこと、最悪クビにされるような対応であり、日本人が不快感を覚えるのも無理はない。しかしよく考えてみれば、売り手は常に買手より下の立場に立ち、「買っていただく」という接客の価値観自体が日本のものであり、この価値観を中心として中国をみても通用しないのは当然のことである。
延辺大学で行われたシンポジウムにおける日本人と中国人の価値観の違いをテーマにした公演で聞いたことだが、日本人はある人から手伝いましょうかという趣旨の好意の申し出を受けてそれを断る場合、一般的に折角の好意に添えなくて申し訳ないとまず謝罪をする。一方で中国人はまず好意に対する感謝をし、これからの関係に言及するようである。日本人は依頼だけでなく、様々な事柄において上下関係を作り出し相手の下に立つことを礼儀とするが、中国では依頼する側される側、売り手買い手であろうと基本的に立場は対等なのである。このような根本的な価値観の違いを知らずに客である自分は上の立場だという前提で良し悪しを判断するのは正しくない。

列に並ばないというのも噂では聞いていたが、やはり実際体験すると驚いてしまった。はじめ列に並ばないのは、自分さえよければいいという自己中心的な考えのもとの行為だと思っていたが、中国で暫く生活していくうちにそうしなければ自分の順番は一生回ってこないということがよくわかった。交通も同じである。いちいちクラクションに反応して譲っていたらいつまでたっても道を渡れないのである。はじめは抜かされても唖然として何も言えなかった私も後半には自分の番だと主張するようになっていた。しっかり主張すれば抜かす相手も悪い顔などすることなく納得する。日本では全てがルールに頼って動いているが、ルールのない中国では間違っていたらそれは違うと自分の口ではっきり言うしかないのである。
ルールよりも対等な個人と個人が主張しあい、物事が進んでいくという感覚は不思議であるが暫くすれば当然のように馴染んでくる。私自身も帰国した日、電車待ちで無意識に列を抜かしていた自分にとても驚いた。そこに悪意などは全くなく、私には当然になっていたのである。

你好と谢谢しか分からない状態で行ったため、語気の強い中国語に圧倒されはじめは全員が怒っているように思えた。しかし観光案内をしてくださった延辺大学の学生はじめ中国語の発音矯正をしてくださったスーパーのおばさん、ラーメンを食べさせてくれたおじさん、飛行機で色々助けてくれたおばさんなど親切な人は多かった。日本は嫌われていると疑心暗鬼になっていた自分がなんだか恥ずかしい。国の括り関係なく一個人として相手を見るべきという当然の事を忘れていた。

日本と中国の文化は真逆のような相容れない関係であるため、理解し難いまさに異文化と言えるだろう。そのような異文化に浸った一週間は驚きと学びの連続であり、非常に貴重な体験であった。

平川 絢景
posted by masutanis at 14:25| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015.08.16-08.23海外合宿 

今回ゼミ合宿で訪れた延辺は、今まで私が経験したことの無いような地であり、またそれと同時に如何に今まで実際の事実に触れないまま、色眼鏡をかけていたまま物事を見ていたかということに深く反省させられました。正直、いままで「中国」という地や民族に対して大きなイメージを持っていました。具体的に言えば、「中国人は何だか愛想や態度が悪い」や「国に制限されてばかりで自由に物事を考えられていないのではないか」と言ったものです。確かに、すべての人がその型にはまることはないことは訪れる前から分かっているつもりではいたのですが、やはり、新聞やマスメディアから得た一口サイズに食べやすく、理解しやすく、切り取られた情報からのイメージはあまりにも怖いことに簡単にぬぐうことはできませんでした。それは、大きな国である中国に対してあまりに単純すぎる幼稚な考えであったと恥ずかしく思っています。そのイメージをかえた契機となる出来事というのは合宿の中でいくつもありました。

まず、一つ目は延辺大学での学会準備でのことです。学生たちは、学会の準備を始める前から私たちと交流を持とうと、積極的に声をかけてきてくれました。個人同士での交流をはぐくむ中で、学生たちは「中国人」という枠にはまった人間ではなく、日本語を一年勉強して小柄でほのぼのとした性格のソンさんや、新潟に一年留学していた日本語の上手なメイシンさんといったように「名前のある個人」として考えることが出来ました。合宿4日目の学会閉会式前の準備の際は、前日の大雨のせいか会場の座席が水浸しになるというハプニングがありましたが、お互い冷静に案を出し合い、試行錯誤した上で何とか閉会式に間に合わせることが出来きました。(結果、延辺大学の学生の案で、モップに水を吸わせて手で直接絞るという大胆な方法で処理をすることになり、非常に驚いたのですが良い交流を持つ機会となったと思います…。)

夜のホテルでの懇親会では、中国人の日本語教師の方や、中国でマーケティングを教えていらっしゃるという先生方と相席になり、お話をすることが出来ました。中国では、(地方にもよると思うのですが)日本語の授業が英語や、第二外国語のように中学生から学校で学ぶのだそうで、会食の席でお話しをさせていただいた日本語教師の方は「特にやりたいこともなかったから日本語教師になんとなくなった。」とおっしゃっていて驚きました。それでも、日本語は流暢ですし、学会に参加されているので相当努力をされたのだろうと感じました。やはり、日本と中国の間には暗い歴史的背景があったことは頭に染みついてしまっているので、彼女が「なんとなく」という思いでも日本語に興味を持ち、選び取り、今は学生たちに教えている立場となっていることが、とても不思議で、また同時に素直に嬉しく思いました。マーケティング専門の先生からは、中国語の基本中の基本の発音を根気よく丁寧に教えていただきました。

懇親会の後、(舛谷先生に連れていかれるがままに)登った通称帽子山では、朝鮮系の中国人の親子と方とゼミ生のメンバーが仲良くなったことをきっかけに、市内を案内していただいた上に、アイスクリームやスナック菓子のようなものをゼミ生全員分買って下さり、さらには晩御飯の中国式?BBQまで御馳走して下さるという出来事もありました。

合宿7日目には、延辺大学の学生とともに尹東柱のゆかりの地である龍井に訪れました。その道中、シュウさんという学生の方に親しくしていただき、また短い時間でしたが深いお話をすることが出来ました。日本と中国の間にある「戦争の傷」という大きな壁に関しては、やはり向こうの学生も気になるようでシュウさんから「かなえはどう思うか」と尋ねられました。(不意に投げかけられた質問であったので)うまく答えることが出来ず、そこは少し心残りですが、シュウさんは、言葉をじっくりと選びながら「私は、国同士にあった歴史はお互いの立場で正しく知るべきだけれど、私たちのように仲良しな友達の関係が沢山出来たらもっと国の関係はよくなると思う。」とおっしゃっていました。核心をついた鋭い発言だと思います。国という大きな国同士での交流ではどうしても過去の歴史やそれらの認識の違いに縛られて前になかなか進めず、八方塞がりの様に思えてしまいます。ですが、個人レベルでの交流であれば多少の意見のぶつかり合いがあったとしてもより柔軟性を持って物事を考えていくことが出来ます。その個人での交流が大きく広がれば、日中の国交の完全な回復に一歩歩みを進めることが出来るかもしれません。彼女の発言の内容はもちろん、そのような話題を私と話してみたいとシュウさんが思ってくれたことは本当に驚きつつも嬉しい出来事でした。

最終日の朝には、寮から15分ほど離れた川沿いの朝市で、「君は日本から来たのか!」と色んな方に声を掛けていただきました。買うわけでもないのにも関わらす気さくに話しかけてくださる方もいらっしゃって、自分の今まで抱えていた偏見が馬鹿らしく思えました。

もちろん地域にもよると思いますが、今回の延辺合宿では出会う方、お話しする方みな一人ひとり「中国人」ではあっても個性的で気さくで、私たちに好意的な好奇心を持って接してくださったことが驚きでした。以前、私が旅行で訪れた台北では、出店の商品を眺めた後「やはり買わない」と立ち去った瞬間に塩を投げられるという経験をしました。韓国に旅行に出かけた友人は買い物をした際にお釣りを投げられたというエピソードを私にしてくれたこともあります。日本でも、コリアンタウンである新大久保駅で韓国の方を非難するデモ行進があったことも事実です。日本と中国、また朝鮮半島の間に大きな「暗い歴史の壁」が未だにあるのは事実でしょうが、だからといって「これだから中国の人は」などという安易な考えを持つのは「これだからB型の人は」などという発言と(同じと言ってしまうと語弊がありますので)似たようなものであると反省させられました。シュウさんは「絶対に日本に遊びに行くからね。」とWeChatの番号を渡してくれました。今度は私たち日本が本当の「おもてなし」を見せる番です。



舛谷ゼミ14生

中島加奈恵
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2015年09月12日

延辺合宿

1週間にわたり私は中国の延辺朝鮮族自治州延辺大学に滞在した。私自身初めての中国滞在ということもあり、多くの驚きや発見があったが、特に印象に残った事を3つ述べていきたい。
まず初めに、街に出て車のクラクションの音にとても驚いた。中国の道路ではクラクションがなり続けていた。日本の道路ではクラクションの音はそんなに聞くことができない。クラクションの音がなれば皆が振り向き、注目する。中国では自分が通る道に車や歩行者がいれば、すぐクラクションを鳴らしていた。その音には3日もすれば慣れたが、非常に不思議な体験であった。
2つめに、日本のレストランではお冷が飲み物としてでてくるが、中国ではお湯がでてきた。中にはトウモロコシ茶が出てくるところもあったが、ほとんどの場合お水を頼むとお湯が出てきた。以前中国人の友人が日本に遊びに来ていて、一緒にレストランに行った際、「なぜ日本のレストランでは冷たい水がでてくるのか?お腹が痛くならないのか?」と言っていたことを思い出した。友人によると、健康のため中国では白湯を飲むのが一般的であるそうだ。夏では氷水がでてくる日本と対照的な文化の違いを体験することができとても面白く感じた。
最後に、中国では七夕に薔薇の花を男性が女性に贈る習慣について。七夕の夜、韓国料理店に行った際、お店の方から薔薇の花を頂いた。薔薇の花を持ってお店の外に出ると街を歩く多くの女性が薔薇の花を持っていた。調べてみると、中国では旧暦7月7日は「恋人の日」と称され、伝統的な記念日であり、男性が女性に薔薇の花をプレゼントするそうだ。また、送る薔薇の本数により相手に伝える気持ちが変わるそうだ。日本にはこのような習慣がないので、とても面白く感じた。
以上のことが私が特に印象に残った事である。他にも中国ではここでは書ききれないほどの貴重な体験をした。日本では中国について多くの報道がされ、両国の関係も深い。そのため、中国についての報道から多くの日本人は中国について勝手なイメージを持っていると感じる。私もその一人だった。譲り合いがなくクラクションが鳴り響く、自己の主張が激しく並ぶ列を無視する。日本人にとってそれがとも不快に感じるのは、日本に暗黙の了解として「譲り合い」と「列の順番は守る」というルールが存在し、中国ではそのルールが全く無視されているからだと考える。だが、その自国ルールに従っていないからといってある国を嫌ったり、嫌悪感を持つことは余りにも自分勝手だと今回合宿に行き、気づいた。日本には日本のルールがあり、中国には中国のルールが存在する。そこには優劣もなく、それぞれの個性と捉えた方が面白いのではないか。今回のゼミ合宿は自分の視点をかえる、私にとって大きないみのあるものであった。

参考
http://www.hirogin.co.jp/lib/kaigai/shanghai/report/s1203.pdf
2015.9.11アクセス

観光学部交流文化学科2年
鈴木 佳穂子
posted by masutanis at 20:54| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育とアイデンティティ

今回の訪問地は、中国の吉林省(省都は長春)延吉市延辺朝鮮自治州(州都は延吉市)である。名称から明らかなように、この地は朝鮮族により自治が行われている。私にとってこの地が初めての中国であった訳だが、そこには思い描いていたものとの大きな差があった。特に私は、延辺大学のような立派な教育機関があることに驚いた。事前学習の際に、延辺が「教育之郷」と呼ばれているのは知っていたが、私は頭のどこかで延辺の人々の教育水準は、日本に劣ると考えていたようだ。また、前述にあるように、延辺は朝鮮族が中国人として生きている場所である。私は、ここに住む人々のアイデンティティ・クライシスはどのようになっているのだろうか、と非常に気になった。そこで、今回は延辺朝鮮自治州の教育制度について特筆することとする。私は、教育とは人格形成の土台であると考えるため、中国朝鮮族の教育について調べることで、彼らのアイデンティティについても考察することが可能であると考えた。執筆に際して、花井みわ(2011年3月)、「中国朝鮮族の人口移動と教育」、早稲田社会科学総合研究第11巻第3号 を参考とする。
 まず、中国における朝鮮族の人口からその規模を考察する。中国全土の人口は13・57億人(2013年)、中国朝鮮族総人口は約192万人、吉林省には延辺朝鮮自治州を含み約114万人の朝鮮族がおり、この数値は中国の55の少数民族の中で14位を占めている1。現在延辺朝鮮族自治州の総人口は約218万人、この地における民族区分は、およそ漢族60%・朝鮮族40%である2。
中国朝鮮族とは、朝鮮半島から中国に移民してきた、中国国籍を持つ朝鮮民族である。延辺朝鮮族自治州は、中国朝鮮族の民族共同体の中心地であり、他地域の中国朝鮮族は延辺朝鮮族自治州の教育・文化モデルを手本としてきた。中国朝鮮族の民族共同体を維持できた要因は何か。私は、今回の旅でそれが教育システムなのではないかと感じた。朝鮮族は農耕民で、移民してから東北地域で稲作栽培に貢献していたようだ。彼らには元来、子女の教育を重視する傾向があり、村には必ず学校が建てられた3 。この農村部における学校建設は朝鮮民族の民族教育の発展に寄与し、民族共同体の発展にもつながったと考えられる。花井によると、朝鮮族教育共同体には、以下の特徴が挙げられる。@自立を重んじる。A朝鮮族教育は、基礎教育から師範教育、民族芸術教育及び高等教育に至るまでの自身の教育体系を持つ。B朝鮮語を第一言語とし、漢語を第二言語としている⁴。このような朝鮮族教育が維持された結果、朝鮮族の教育は功漢族を含む中国56の民族の中で、最も高い教育水準となった。朝鮮族の学校教育の発達は、朝鮮族の民族文化と言語を継承・維持する上で重要な役割を果たしたことが分かった。
しかし、論文を読み進めると、中国全土で行われた一人っ子政策の影響や戸籍問題などによる朝鮮族の人口移動が、教育システムに大きな影響を及ぼしていることも分かった。現在ほとんどの大学が学生数を確保するために、漢族の学生の受け入れをしている。学校によっては、漢族の学生数が朝鮮族の学生数を上回るところもあるようだ。また花井によると、延辺から毎年4000人以上の若者が大学卒業後延辺を離れ、都市へ就職する。私が現地でお世話になった学生(黄さん)は、黒龍江省の出身であったが、彼女自身も将来は都市部での就職を望んでいると語っていた。また、彼女の両親は韓国のソウルで働いているらしい。日本では多くない家族の別国居住というのは、中国では非常に一般的であるようだ。朝鮮族が中国社会で生きるためには、漢語能力は必須である。そのため、近年は朝鮮族の子供を漢族の学校へ通わせる親も増えているようだ。私は朝鮮語の存続を危ぶんだが、延辺朝鮮族の自民族言語に対する意識は非常に高く、民族教育の特色はまずは自民族言語を学ぶことであり、それがアイデンティティに直結すると考えているようだ。このような意識の結果、朝鮮族は朝鮮語・漢語・英語を操るトライリンガルとなったのである。三種言語に加えて、日本語の学習も盛んである。街中でも、日本留学を推奨する宣伝を良く目にした。
 ここまで延辺朝鮮自治州における朝鮮族の教育について執筆してきたが、これはあくまでも延辺という地域的考察であり、民族的考察までは及んでいないと考える。しかし、中国という国単位で行われる教育政策と共生しつつも、民族教育という個性を潰さない教育にも力を注いでいる姿は、賞賛に値するものだと思うし、日本も見習う部分があるのではないかと思った。日本生まれ育った我々は、民族や国という単位でのアイデンティティ・クライシスに陥る機会は少ないのではないだろうか。その点延辺では、漢族の学校に入学するか、朝鮮族の学校に入学するか、などと家族一体となって考えるのである。この機会というのは、自身について考察するまたとない機会になるだろう。自己分析というのは、人間にとって生きていく上で非常に重要なことだと考える。何故ならば、職業選択の類のみならず、生き方を変えるものだからである。この機会にしっかり向き合った者は、人によっては国や民族の一員という意識が生まれ、責任感が芽生える。この意識は度が過ぎると危険であるが、パワーの源にもなり得るだろう。よくオリンピックなどで、国を背負う、などというフレーズを耳にするが、中国人選手などが発する場合はその重さが日本とではどことなく違うように聞こえてしまう。また、各々アイデンティティについて考えることの意味は、私は自己の確立に直結することにあると考える。何故自己の確立が必要なのか。それを私は、今を生きるために必要だからだと考える。私は、今を生きるという言葉を以下のように定義する。「反応すること」。何か刺激物に出会った時、素早く鋭く反応できるのは、柔らかいものと硬いものとどちらであろうか。無論、硬いものだ。私は、固くなるために自己の確立、アイデンティティの考察が必要であると考える。自分を固くする、というのは一見、一つのものの見方に固執してしまうような、頑固になってしまうような印象を受けるかも知れないが、他人の考えを撥ね付けるための固さを必要としているのではない。比較するための固さが必要だと考えるのである。私は常にフレキシブルな状態でいたいと思っている。アイデンティティの考察とはすぐに出来るものでは無いし、考えれば考えるほどに絡まる面倒なものだと思う。それでいて明確な答えがあるとも限らない未知のものなのだ。しかし、自分は一番自分を知らないとも言えるだろうが、それでも一番自分に近い他人なのだと思う。今回の訪問で、私は自分のアンテナの足りなさも痛感したし、考える力の不足も実感し恥ずかしく思った。舛谷先生と、少しばかり観察する目を養う練習という内容のお話しをさせて頂いたが、本当にその通りだと思う。日頃からの癖漬けが不可欠なのである。
本稿執筆により、教育が民族共同体形成の核であることを再確認し、またアイデンティティの形成についても少し考えることが出来た。また、私にとって未開の地であった中国・韓国が少し身近に感じられるようになり、連日のニュースなどにも、関心が向くようになった。最後に、今回の合宿に際して、舛谷先生を筆頭にお世話になったすべての人に感謝を申し上げる。

<註>
1 許青善・姜永徳『中国朝鮮族教育史』(延辺教育出版社、2009)p.152。
2 延辺朝鮮自治州統計局『延辺統計年鑑』(吉林人民出版社、2007)p.55。(尚、これは
戸籍上の人口であり、居住人口ではない。中国では人の移動は可能だが戸籍は農村戸籍・都市戸籍と区別されており、移動は原則出来ない。)
3 鄭仁甲「中国朝鮮教育共同体反思」金 炳鎬『中国朝鮮族人口問題研究』(民族出版社、2007)。 p.181。
4 鄭仁甲・前掲(註3)p.176。

<参考文献>
・花井みわ(2011年3月)、「中国朝鮮族の人口移動と教育」、早稲田社会科学総合研究第11巻第3号

舛谷ゼミ 延辺合宿 2015.8.16〜23
立教大学観光学部交流文化学科2年 小杉 真奈
posted by 14こすぎ at 13:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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