2014年07月14日

川越のまちづくり

P7121836.JPGP7121847.JPGP7121880.JPGP7121888.JPGP7121902.JPGP7121965.JPGP7121982.JPG4年の土田です。

7月12日に埼玉県は川越でフィールドワークに行ってきました。



川越の中でも有名な蔵造りの町並みを中心にフィールドワークを行いました。

川越は川越市全体で年間600万人以上を動員している首都圏でも有数の観光地です。

その蔵造りの町並みでまちづくりに関わっている「NPO
法人川越蔵の会」に川越のまちづくりについてのお話を伺ってきました。その際にどのようなお話があったのかを振り返りながら、川越のまちづくりと課題だと思う点をまとめてみたいと思います。



1、「川越は観光客に来て欲しいわけではない。商店街の活性化が最大の目標」



川越蔵の会の方からこのようなお話がありました。

蔵造りの町並みを保存して商店街活性化をする経緯には、駅前の商店街や大型商業店舗に昔ながらの商店街が対抗するために始めたというのが始めた理由の一つとお話がありました。こういった流れの中で川越蔵の会は1983年に発足したそうです。

蔵造りの町並みを駅前の商店街に負けない商店街にするためには川越に昔からある産業を活かした店を大切にし、その店のリピーターになってもらうことを狙っていて、一過性の観光客はあまり必要としていないとのことでした。

しかし、現在では年間600万人が訪れる川越で一過性の観光客が多くなってしまっているのが課題であるとお話がありました。

川越蔵の会は住民による住民のための団体で、川越の町並みも観光客のために整備しているわけではないということが伺えました。もしかしたら観光学部の学生にとってみれば観光客目当てじゃないなら自分たちの勉強とは何も関係がないものと思った人もいるかもしれませんが、地域にまったく根ざしていないものを売り物にして観光客を呼び込み逆に地域の観光資源を壊してきたマスツーリズムの反省を活かして、このような地域に根ざした地域活性化が川越に限らず日本全国で行われているし、これからも一過性の観光よりも地域の文化を活かした観光が大切になってくると思うので、こういった地域活性化は観光が担う役割の一つだと思います。




2、「伝統的建造物群保存地区」と「歴まち法」



これも蔵の会とのお話の中で出てきた大事なキーワードです。

知らない人が多いようだったのでここで簡単に解説しておきます。



まずは「伝統的建造物群保存地区」について。

長ったらしい名前だけど、その名の通り「伝統的な」「建物たちが」「保存された」「地区」

ってこと。略して「伝建地区」って呼ばれています。

この伝建地区は京都や金沢や長崎など日本全国に今は108地区あって1975年に始まった法律です。

各自治体が古い町並みを伝建地区に指定して、勝手に古い建物を壊して現代的な建物に建て替えないように色々と規制をかけます。その代わりに建物の修理や改築には申請を役所に出せば、補助金が出るのが伝建地区の制度です。

その伝建地区の中でも特に保存状態がいいところを文化庁が文化財として選定して、選ばれた地区は「重要伝統的建造物群保存地区」として国からも補助金がもらえるという町並みにはとてもお得な制度です。略して「重伝建」と呼ばれています。
これが伝統的建造物群保存地区です。もちろん川越も重伝建地区に選ばれていて、国からの補助金で蔵造りの建物の修理や改築をしています。



次に「歴まち法」。

これは国の法律で正確には「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」って言います。長すぎて誰も覚えられないので「歴史まちづくり法」って言い換えて、もっと短くして「歴まち法」って呼ばれています。2008年に始まった法律です。

国と自治体で地域にある歴史ある建物とかを守っていきましょうねってのが歴まち法。
伝建地区と何が違うのかというと、伝建地区よりも広い範囲を保存地区に設定してそこに補助金が出してもらえるのが歴まち法の大きなメリットです。

例えば、ある街に重要文化財になっている五重塔があってその周りの景観ももっと良くしたいねってなったら歴まち法で広い範囲を保存対象にして補助金をもらえる。五重塔のようなひとつの建物だけじゃなくて、さっき出てきた「伝建地区」も使える。だから川越も蔵造りの町並み(伝建地区)とその周りの景観を良くしようとするために歴まち法を使っています。

伝建地区との違いをさらに挙げると、伝建地区は「保存」するだけだったけれど、歴まち法は「景観向上」もしていきましょうというポジティブな考え方が入っています。

そして建物だけじゃなくて歴史ある景観(電柱とか街路灯など)や伝統的工芸品の技術も改善・保存対象に入れることができます。しかも技術指導も専門家がしてくれるから知識や技術がない地方自治体も安心して歴まち法を活かすことができる。こういった点で、伝建地区より歴まち法の方が総合的に歴史の風情を感じられるまちづくりができるようになったということです。

川越の方々はこういった法律を勉強会などで学び、地域活性化に活かしています。




3、課題

川越蔵の会の方からも少し触れていただきましたが、もともとは蔵造りの建物を壊して高層マンションにする計画もありました。今の時代は古い建物に住むよりも新しい建物に作り変えるのが一般的だし手間もかからないので、多くの街は古い建物を手放してきました。そんな時代の流れに逆らって残っているのが川越の町並みです。そしてただ残すだけじゃなくて地域活性化に役立てて、自分たちのような観光客をも楽しませてくれています。

フィールドワークを行った日は気温が35℃もあった日なので所々でお土産屋さんなどいくつかのお店に立ち寄りましたが、多くのお店はチェーン店にあるようなマニュアルの接客ではなく、家に帰ってきたような温かみのある接客をしてくれました。これだけの観光客が訪れているのにもかかわらず、いかに川越の商店では地元の人が働いているかが伺えました。

ただ、いくつかもったいないなと思うことがありました。

ひとつは川越の文化を体験できる施設がほとんどないことです。川越まつり会館や蔵造り資料館など、川越の文化を紹介する施設はありますが、どれも川越にまつわるものがただ展示されているだけで、川越にまつわるものを触ったり作ったりする体験ができないのがとても残念です。江戸時代や明治時代の文化を自分たちのような現代人が体験できることは、歴史を生かした観光地ではとても大切なことだと思うので今後はそういった施設が必要だと思いました。

もうひとつは蔵造りの町並みの周りの景観です。川越駅などから町並みまでの道のりはいくつか古そうな建物は点在していましたが、ほとんどが現代的な景観です。町並みからも現代的なマンションが見えるし、一歩町並みから外れるともう日常的な景色に変わってしまうことがとても残念でした。これは歴まち法でこれから改善されていくものかもしれませんが、現状ではまだまだ整備に物足りなさを感じます。

駅前の商店街と差別化するために町並み保存をしているから景観の連続性は必要ないと言われてしまえばその通りですが、観光客の立場からすると観光しているという実感が得られることは大切なことだと思います。住民主体のまちづくりと比較するのは野暮なことですが、テーマパークの王様、東京ディズニーランドは舞浜駅を降りた時から楽しめる仕掛けをいくつもしています。ディズニーの真似をする必要はないけれど、川越を楽しみながら知ってもらえる仕掛けが必要だなと思います。そしてそれは町並み保存とか景観整備とかの専門家じゃなくて観光の専門家の出番だと思います。



以上、川越のまちづくりのまとめと課題だと思うところを書いてみました。長くなってごめんなさい。



川越の伝建地区と歴まち法の風致地区を地図に落としてみました↓
見れるかわからないけど。

https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zdkMKdyPoRzw.k6XJ8Ln0j-nk




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立教大学観光学部観光学科
土田大樹(Daiki Tsuchida)
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2014年07月06日

エスニックタウン清瀬

半年ぶりの投稿です。4年拓です。
先日のハンセン病とフィリピン料理FWのフィリピンの部分だけ行ったので共有しておきます。

駅を降りると非常に普通の郊外都市というイメージの清瀬ですが、商店街を奥へ奥へと進んでいくとエスニック料理店やフィリピンパブなどが増えてきました。
昼食先のフィリピン料理屋のご主人(妻はフィリピン人)とお話したところ、清瀬は非常にフィリピンと歴史の深い街だそうです。
ここからはお店の主人の方に聞いたお話なので信じるか信じないかはあなた次第ですw
1936年清瀬に初めてキリスト教の教会ができたのは日本が軍国主義へ走り始めるきっかけとなった二二六事件の年だったそうです。
当時の清瀬はハンセン病患者の隔離された街というイメージが強く、街の雰囲気も非常に暗く、まだ畑も多かったそう。
しかし日本軍によるフィリピン占領時に多くの日本兵がフィリピン人女性と交流し、フィリピンは女性を出稼ぎの手段として戦後多く移民させたそうです。
戦後間もない中で、日本で一番人口の多い東京都心部の近くで、しかも教会のある土地として多くのフィリピン人女性が清瀬に住み、パブを運営したり、都内のパブで働いたそうです。
そして今その孫や子供たちがパブだけでなく英会話教室やレストランという形で清瀬の教会付近に多くのエスニックなお店を残している。
日本人の旦那、フィリピン人の妻という構図が一般的なようです、「外ごもり」の構図ですね。
そしてこの清瀬の付近の滝川団地などには元日本兵としてフィリピンに派兵された方々が当時の思い出をしのびながら住んでいるそうです。(研究事例はなかったですが)

前回聖蹟桜ヶ丘で、高齢化社会への移り変わりを団地が表象している様子を感じましたが、宗教拠点や歴史があることでまた街に新たな文化があるのですね。
それをこないだ楓か誰かが言っていた群馬の富士重工の労働者がつくりあげたブラジル人街のように商品化するかどうかはそれが日本にとって輝かしい歴史だったかどうかにもかかっているのではないかなとおもいました。

短い時間ながらとても興味深い時間でした。
既存の観光地を回るのも楽しいですが、こういう観光地じゃないとこのおもしろさを探れるのも観光学部、舛谷ゼミならではかなと思います。
後期のFWも楽しみです。


4年日本とアジア 近藤 拓
posted by masutanis at 15:40| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月01日

聖地巡礼@聖蹟桜ヶ丘

PC010157-11.jpgPC010174-11.jpgPC010196-11.jpgPC010202-11.jpgPC010217-11.jpgPC010245-11.jpgPC010247-11.jpgPC010251-11.jpg3年の土田です!

今日はメディツーのFWで聖蹟桜ヶ丘へ行ってきました。
なぜ聖蹟桜ヶ丘かというと、ジブリ映画の「耳をすませば」の舞台になった(とされる)場所だからです。

聖蹟桜ヶ丘駅は新宿から京王線の特急で30分くらいの場所にあって、周りには住宅地が広がっている場所です。聖蹟桜ヶ丘のある多摩市は多摩ニュータウンの一部で、多摩丘陵を削ったところに団地が建てられています。今でも団地型マンションが建てられ続けていて、人口も増加しているそうです。団地は多摩丘陵の下の方に建てられて、丘の上には高級住宅街が広がっています。なんとなく格差を感じました。ちなみに聖司くんは高級住宅街、雫は団地住まいという完全な格差婚、雫の玉の輿婚です。高級住宅街からは下々の生活がよく見下ろせる、眺めのいい立地でした。

そんな聖蹟桜ヶ丘を舞台にした「耳をすませば」の作品に出てくるシーンと実在の場所を照らし合わせながら、約4km、4時間ほど歩いてきました。

FWを終えての率直な感想としては、あまり聖地巡礼を積極的に観光やまちづくりに取り入れようとしているようには思えませんでした。ジブリ側が公式に聖蹟桜ヶ丘を作品の舞台としていないこともあるかもしれませんが、住民の方からは自分たちのような巡礼者を歓迎する空気は感じませんでした。すれ違ったり目があっても挨拶をされることはありませんでした。むしろ奇声を発してくる人もいて、巡礼者を避ける様子が見て取れました。

ここは拓が書いていますが、ヒロインの雫がデブ猫のムーンを追いかけてたどり着いた、猫の男爵バロンが置いてあった「地球屋」(実際にはない)のあった場所には耳すまスタンプが押せる洋菓子店(日曜日は休み)や、耳すまファンが気まぐれで開けているお店があったり、鍋焼きうどんを食べられるうどん屋があったりと、耳すまファンを歓迎している雰囲気があったのはここだけでした。歓迎といっても夏に聖地巡礼のFWで行った鷲宮駅前の商店の店主さんや鷲宮神社前のお茶屋さんでらきすたファンに長々と地元愛やらきすた愛話について長々聞かされるありがたい出会いはなく、形式的な歓迎といった感じでさみしいものでした。・

鷲宮と聖蹟桜ヶ丘でのFWを通じて、聖地巡礼の聖地と巡礼者の観光活動を見てきましたが、どちらもまだまだ互いにギャップがあるように思いました。特に聖地の住民が無視されて、巡礼者(ファン)が一方的に楽しむだけという構図が共通しているように思いました。そのギャップが互いに埋め合う努力ができるようにするのも聖地巡礼の課題のようにも思います。

ゲストとホストのギャップは個人的に関心のあるものの一つなので、FWで感じ取ることができて良かったです。
そして高低差のある町はやっぱり楽しい。

最後に2年生、雫、聖司、夕子、杉村、やってくれてありがとう!
posted by masutanis at 23:49| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

耳をすませばFW@聖蹟桜ヶ丘・多摩ニュータウン

3年近藤拓です!!
今回は単に耳をすませばが好きというだけでメディツーのFWに参加しました。駅前は映画の中よりも開発がかなり進んでいた印象で20年前の映画だったのだということを再認識させられました。
まもるがとてもわかりやすい資料を用意してくれていてめちゃめちゃ楽しく回れました。

訪れたスポットの中で最も映画の中に近かったのは、杉村が雫に告白するシーンに出てくる神社でした。ここには恋愛みくじの機械が用意されており、コンテンツツーリズムの流れに乗っかろうとしている印象を受けました。
また丘の上のロータリーには地球屋のあったところに、耳をすませばの大ファンだった女性がきまぐれで営業しているアンティークショップがあり、バロンの模型や耳をすませばの原作がおいてありました。巡礼ノートもしっかりと用意されていました。
アンティークショップの隣にはうどん屋さんが。ここでは映画の中で雫がおじいさんに小説の原稿を持って来た時に食べた鍋焼きうどんが食べられます。めっっちゃうまいです。

多摩ニュータウンに関していうとニュータウンが今直面している少子高齢化の問題が目に見える形で現れていました。日曜の午後なのにも関わらず、子供のいない公園、入居者のいなそうな団地、多くの高齢者。人通りもかなり少なく、耳すまの世界の中のいわゆる青春はもうこの街からは失われているように感じました。

とはいえ、地図を片手に観光するカップル、巡礼ノートには遠方からはるばるやってきたという記述、耳すま見てずっとこの街に住みたくてついに住めたという人もノートの中にいて、まだまだ観光地としての可能性、これから居住人口へと展開していける交流人口の層はあるように感じます。特に耳をすませばは日常を描いていた作品なのでその可能性はあると思います。

もう20年後、この街を訪れた時に耳をすませばの中の様に青春のイメージがぴったり合う若々しい街であるといいですね。観光協会がなかったのでつくって欲しいです、行政の取り組みに期待です。
お疲れ様でした。
posted by masutanis at 19:36| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月14日

インドネシア合宿報告

ゼミ合宿お疲れ様でした。3年拓です。
3、4年生の合同海外合宿を兼ねた、インドネシア大学プログラムについての報告です。
とにかくこの合宿はハードかつ多様でした。富士山7月に登りましたがあれよりいろいろな意味できつかった。ですがそれ以上に吸収しきれないほどの刺激でした。
初日スカルノハッタ空港降りてすぐインドネシア大学の日本学科の学生が迎えにきてくれました。大学の校内にある宿泊施設まですぐ向かいましたが名物である世界最大級の渋滞に暖かく迎え入れられ、車で3時間半以上かかりました。車線は守らないし、信号もない、バイクにはヘルメットなし4人乗り、トラックの荷台には10人近くの人、早くも先行きが不安になるくらいでした。
翌日は学食で朝食をとり、学内見学。学食は屋根があるのみでドアはなく、タバコもすい放題で若干不潔な感はありましたが、今この後の経験を踏まえて考えると大したことありませんでした。その後市内のショッピングセンターを訪問、みんなで両替をしたところ、ショップの金庫が空になり両替商の方々に銀行と何往復もしてもらいました。物価の違いはおそろしいです。
その後タマンミニというインドネシアの多民族多文化のすべてを見れるテーマパーク、タマンミニを見学。インドネシア民族衣装「バティク」や東ティモールtの関係、アスマットという民族のお話など、インドネシアを知るためには欠かせない観光スポットといえたと思います。初日に訪れることができてよかったです、ただ両替のせいで時間が少なくなってしまいましたのが残念でした。
3日目は日本祭りの見学、甲大さんやももちさんはインドネシア人に大人気で会場で写真を撮るために列ができていましたwww
東京外大の八木を始め、現地で暮らす日本人にも会えたのは、興味深かった。JKTの人気には驚きました。インドネシア人のコスプレもすごかった。
夜は先生の古くからの友人のご家族と夕食、この時に教授の娘さんと話せて一番国際交流できたなって感じでした。
4日目午前中日本学部で日本語のチューターをやらせてもらいました。教科書に載っている日本語がきれいすぎて、自分たちの日本語を見直す良い経験になりました。昼過ぎに大学を出て空港へ飛行機の遅れでバリにつくのは深夜、しかも翌日はボロブドゥール組は朝4時出発でした。(ここらへんからきつくなってきた)
しかしホテルの清潔感は日本のホテルを越えるレベルで、まさに「リゾート」でした。
ホテルのバーで飲むという経験を初めてしました。
5日目ボロブドゥールとプランバナンという2つの世界遺産、日本の皇室御用達の銀細工工場、バティク工場などこの日は一日ツーリストでした。バリで遊べなかったのは残念だけど特にプランバナンは夕日に染まる景色が圧巻で、いけてよかったです。
そしてバリに深夜に戻り、慶応の倉沢先生の経営するヴィラに深夜着。施設はきれいでシャワールームもリゾートチックでジャグジー付き、しかし給湯設備が弱かったり、トイレが壊れていたり、その外観とのギャップがかなり大きかったです。
倉沢先生から直接お話を伺う機会はありませんでしたが、宿におかれていた著書を一部読ませていただくことができ、カンポンについての知識を深めることができました。それまでの期間で自分が感じていたインドネシアの未熟さというととても失礼ですが、それに近いものを整理できたような気分でした。
6日午前中はゆっくりして午後ホストファミリーが迎えにきました(バイクに二人乗り)。お父さんは英語が通じたため、指さし会話帳なくてもいけるとおもいましたが他には通じる人間はおらず、本当に指さしなしでは会話が成立しない状況でした。しかしながら、サッカーしたり、トランプしたり(神経衰弱・ばばぬき)、コーヒー飲んだり、言葉を超えるツールのおかげで本当に楽しい時間を過ごせました。家には家族計画通り子供は2人しかいませんでしたが、近所のたくさんの子供たちが一緒に遊んでくれました。また村では多くの怖い顔をした犬が放し飼いにされていて、追いかけられたこともあり
ました。家はお寺のような立派な作りをしていて、しかしながら風呂は自分のところ以外は水浴び+自分で流すトイレだったようです。寝室にはイモリだかヤモリだかがたくさんwww夜は誕生日パーティー、翌日はお葬式の手伝いとホームステイではなければできない経験を数多くできました。ここで思い出さねばならないのは、ここがバリ島だということ。おとといのテンパザールとは異国のようでした。
7日目はウブドゥ見学などをしてケチャのダンスを見ました。空港につきましたが、飛行機が早朝便(しかも大幅遅れ)だったため、謎のトランプオールwww
ふらつきながら飛行機に乗り込みなんとか日本にかえってきました。

多様な宿泊施設、多様な人種、多様な経験、ほんとにこの合宿は盛りだくさん!!つっちーもいっていましたが、消化不良をおこしそうです。しかしながら旅行者としての視点は間違いなく拡張されました、もうツーリストとしてしかバリを見れないなんてことはないです。
次の合宿も楽しみです。

3年まちづくり、グロスタ
近藤 拓
posted by masutanis at 16:41| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月24日

えきぽを使ったFW @福生


3年の土田です。
初投稿します!

ものすごーく今更ですが、6月に行った福生でのFWのブログを書きます。


今回はJR東日本が提供しているアプリ、「えきぽ」を使ったFWを行いました。

「えきぽ」とは駅から歩くウォークラリーを合言葉に、
各駅ごとに用意されたコースマップがあり、そのコース上に決められたいくつかのポイントを全部通ると
『駅スタンプ』なるものが取得できます。
コースは各駅の名所を通り、距離も5、6キロ程度なので誰でも手軽に楽しめます。

今回のFWではJR青梅線の福生駅をチョイスして街歩きをしました。

なんで福生なのか!?
それはおいしいお酒とおいしいハムがあるからです!!
この日をどれだけ楽しみにしていたことか。


福生駅のえきぽコースは以下のコースでした。

JR福生駅⇒田村酒造場⇒新橋⇒青岩院⇒大多摩ハム⇒国道沿いの商店街⇒JR福生駅

自分はこの日は体調を崩して
大多摩ハムからの参加となってしまいました。

あー日頃の行いが悪いからこうなるんですね。。


大多摩ハムは1932年創業のハム工場で
ドイツ式ハムの作り方を日本に伝えたローマイヤーさん直伝の製法を今に受け継いでいます。

工場の前には直売所とレストランがあって
今回はおいしいハムとベーコンをいただきました。
この日はレストランが満席でしたが出来るリーダーが予約をしてくれていたのですんなり入れました。
いただいたものは1人1000円くらいでハムとベーコン、それにウインナーがたっぷりのっていました。

ここではえきぽ参加特典でドリンク一杯サービスしてもらいました。
みんなが美味しそうに食べていましたね。
自分はみんなが美味しそうに食べているのを眺めているだけでしたよ。あーあ。

悔しかったので直売所で700円もするベーコンを購入して後日おいしくいただきました。

大多摩ハムのハムやベーコンは都内の百貨店などでも購入できるそうです。
直売所で売っている商品はどれもスーパーで売っているものより値段が倍くらいしました。
でも値段に見合うくらい美味しいものになっていると思います。

大多摩ハムの直売所とレストランは
外観がドイツのローテンブルクにあるような茶色い三角屋根の趣ある建物になっています。
すぐ裏はコンクリート造りの工場なので三角屋根の建物はかなり浮いていました。

さらにローテンブルクはWW2の時にアメリカ軍に空襲されているので
大多摩ハムのすぐ近くに横田基地があるのはちょっと皮肉に見えました。

埋め込み画像 1




続いて国道沿いの商店街へ向かいました。

ここは先述のように横田基地が目の前にあり、
国道沿いにアメリカの街の一角に迷い込んだかのようなお店が並ぶストリートになっています。

横田基地は総面積が約700万uで
南北約4.5キロ、東西約2.9キロ、周囲約14キロの巨大な基地です。
(昭島市ホームページ「横田基地の概要」より引用


国道沿いの商店街も
端から端までゆっくり歩くと30分以上かかってしまうほど長くて
たくさんのアメリカンなお店が並んでいました。
売っているものだけでなく、店の外観から看板まで何もかもがアメリカンでした。
印象としてはアメリカ東海岸というより西海岸よりの雰囲気を感じました。
ニューヨークというよりサンフランシスコって感じです。

中には蕎麦屋など和食もありました。
和食店の外のメニュー表には英語の表記がなかったのですが
米兵には入ってもらえるのか気になりました。

途中にあったアイスクリームショップでは
メンバーの一人が米ドルで支払いをしていました。

ここでは米ドルが使えるんですね、さすが米軍基地のお膝元です。
この時の「お釣りは米ドルですか?日本円ですか?」というやりとりが印象的でした。

埋め込み画像 3








埋め込み画像 2

実はメンバーと合流した大多摩ハムの前に
田村酒造場を通りました。
とても立派な蔵と塀が並んでいて裏には綺麗な玉川上水が流れていました。

酒造場の前には立派な寺があり、
日本らしい風景が広がっていました。

駅を降りたときは
どこにでもありそうな郊外都市といった印象でしたが
えきぽのコースを歩いてみると
福生には日本・ドイツ・アメリカを感じられる場所が
それぞれの特徴を妨害することなく共存していました。

福生は若い方も年配の方も楽しめる街ではないかと思います。

そういえば福生に自転車屋さんがたくさんあったのは
横田基地と関係があるのかな。


3年 土田大樹
posted by masutanis at 22:54| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月14日

らき☆すた聖地巡礼FW

image.jpegimage.jpegもう大分経ってしまいましたが、
6/30にメディアツーリズムで鷲宮にFWに行って来ました。
鷲宮がアニメでまちおこしを行っている地域の代表例であることから今回のFWは決まりましたが、まず書いておかなければならないのは、鷲宮がらき☆すたの聖地になってから(アニメが放送開始されてから)6年経過していることです。ドラマにしろ、アニメにしろ、一時的に人気が出てもある程度の期間が経つとその人気が風化していくのが普通だと思います。私たちはFWに行く前に鷲宮とらきすたについての文献をいくつか読んでから行きましたが、そのほとんどはまだアニメ放送から数年しか経っていないものでした。なので現場とのギャップはかなり感じましたが、アニメ放送から6年経過していることを考えると、鷲宮がらき☆すたというコンテンツでまちおこしを続けていること自体、まず一つすごいことなのではないかと思います。

実際訪れてみて、率直な感想を述べると、やはり時間が経っているということもあり、多少人気の衰えは感じました。しかし、鷲宮神社の痛絵馬や、巡礼ノートを見る限り、ファンの巡礼も続いているようでした。
街中や鷲宮神社の周辺を回ってみましたが、聖地と呼ばれる割に、らきすた関連のスポットがたくさんあるわけでもなく、これではすぐに飽きられてしまうのではないか、と疑問に思いましたが、昼食をとった鷲宮神社前の大酉茶屋で、らき☆すたのファンの方にお話を聞いた際に、「らきすたを通して知り合った地元の人たちに会いに来ている。友達に会いにくる感覚と似ている」とおっしゃっていました。鷲宮神社周辺に集まるファンの人たちも、らきすたがすきな人たちというよりは、様々なジャンルのオタクが集まっている場所という感じでした。アニメ放送開始から6年経った今、鷲宮を訪れる人は、純粋にらきすたの聖地巡礼という目的で訪れる人よりも、趣味の合う友人、仲間に会うという目的で訪れている方が多いのでは、と感じました。鷲宮が長い間ファンが絶えない聖地として存在する理由の一つは、ファンが鷲宮に求めるものが、らきすたというコンテンツから、人との関わりに移ってきたからではないかと思います。

全体として、コンテンツツーリズムとは言っても、その対象はアニメファンに限定されており、内向きな印象を受けました。ARアプリなど県と連携して新しい取り組みをしていましたが、その内容もファンの人向けであり、新たな観光客を取り入れようという感じは見受けられず、今いるファンを飽きさせない、繋ぎとめるための策のように思いました。
正直最盛期との比較ができないことが残念ですが、他の聖地と比べてみたりしたら、またそれぞれ違って面白いのではないかと思います。

マイナスの感想が多かったですが、ファンの方の熱意はかなりのものを感じました。あの熱意があれば、そらまちおこしできちゃうわ、って感じです。


3年リーダー すがぬま はるか
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2013年07月04日

日吉台地下壕FW(6/22)

6月22日に神奈川県横浜市は日吉駅付近の地下壕見学を行った。

慶応大学日吉キャンパスには連合艦隊司令部が置かれ地下には防空壕や非常時の作戦室などが置かれた。内部はコンクリートの壁が続き、沖縄のガマといったいわゆる自然型の防空壕とは異なり、当時最新だった蛍光灯や大量の食糧が保存されていたという。通路もしっかりしていて、旧日本軍の総力を結集したのがうかがえる。

さて、今回のFW
はダークツーリズムをテーマに進めてきた学習の現地研修という形で行った。ダークツーリズムとはなんだろうかということから始まり、学ぶ観光、戦争観の形成を学んでから行ったわけだが皆はどう感じただろうか。

私の関心は日吉地下壕解体の話が進んでいる中、戦争遺跡の保存をどう考えるかということだった。地下壕は国が文化遺産として指定していないため、市としては宅地開発を止めることができない。一方国は地元から何の訴えもないから動けないというものだ。

しかし、かつて工事が地元住民の強い反対で中止されたことから(少なくともその時点では)保存に関する強い要望があったと言える。なお、国は数年前に調査を実施しているがその結果を発表していないという。私はこの点が最も疑問である。保存の会は何度も役所に足を運んでいるが、やはり調査結果が出ないと保存に向けた法的取り決めをできないと突き返されるのだという。そのため保存のために会が動いていることは署名運動や出版物により市民の声を集めて何とかしようということである。なぜ国が調査結果を公表しないのか、それは責任問題からではないだろうか。調査結果が公表されると戦争犯罪が明らかにされ、それに対する賠償や処罰、または外交に関しても何らかの影響が生じるのではないだろうか。戦争遺跡はそのようなダークな面も含んでいるのではないかと考える。

保存に関して。ガイドの方はこうおっしゃっていた。この防空壕見学を通して戦争のことだけでなく自分の人生についても何か感じてほしい、と。見学者の一人は地元に住んでいて地元にこんなものがあるのだから死ぬ前に見ておきたくてグループで来た。また別の見学者は教育関係者でその勉強のために訪れた。そもそもなぜ戦争遺跡を保存しなければならなのだろうか。悲惨な戦争をまた起こさないために?これが最も多い回答だと思う。そして日本においてこれは正しいだろう。しかしあくまで伝えるという作業を行うのは人であって物ではない。今回はガイドの方が日吉と戦争について伝えてくれ、人生について考えて欲しいとおっしゃっていた。戦争を繰り返さないといった我々にとって当たり前の世界観は人が作っていくものなのだ。日本にとっての戦争を語り伝える人がいなくなったらそんな戦争観は消えてなくなるかもしれない。

今回のFW
では戦争を忘れないため、というよりは歴史について、市民の見聞を深めるために地下壕は保存されなければならないと感じ、戦争遺跡は戦争観の維持の一つの道具だと考えた。



p.s. FWでは多くの人に聞き取り等を行うべきたった。





おのだ
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2013年07月03日

日吉FW

遅くなりました。拓です(^^)/日吉FWについて報告です。
学徒出陣後の慶応義塾大学の地下に建設された本土決戦に備えた連合艦隊司令部の地下壕。今はただ空間があるのみで、どのように使われてたかなどはか壁にある、部屋名から想定するしかありませんでした。ではなぜその部屋名を判別することができたのか、それは戦後元々海軍将校だった人々からのオーラルヒストリーだったそう。近年、戦争経験者が次々となくなってゆく中、オーラルヒストリーとしての発見は下火なのかとおもいきや、秘密事項などが格上の元将校だった人々が亡くなることで当時格下の若い海兵だった人々から出てくることもあり、まだまだ太平洋戦争のオーラルヒストリーは終わらないそうです。また連合艦隊の司令部ということもあり沖縄戦や戦艦大和との通信など日本の太平洋戦争末期の各地の激戦とも関わっていました。特攻隊との通信もここで行っていたそうです。当時一番の技術が使われた、日本の太平洋戦争末期の海軍の中心の存在がこれからも多くの人にそれこそ口コミで広がっていってくれたらいいと思います。

3年 近藤 拓
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2013年06月26日

屋形船FW

こんにちは(^o^)
3年の平山です。
久しぶりのゼミブログ更新。。。。
メールの下書きフォルダに、ブログの下書きが溜まっております。
が、今回はちゃちゃっと更新してしまいます。


さて、6月といえば、、、
舛谷ゼミ恒例行事、屋形船FW!!!!
今年も行って参りました。
今年はOBOGさんや先生方も来てくださり、60人で貸し切り*

課題として、「粋」はどこで演出されているのか、というものがあったので、その視点から書きます。


―「粋」とは。

"もともとは「意気」と書き【心ばえ、気合い】などをいいましたが、様々な意味を持つようになり、精神だけでなく衣装風俗にも使われるようになります。最初は男性に対して多く使いましたが、江戸後期になると主に女性に対して使われ、一種の美的理念を表すことばとして定着したのです。 "
「トクする日本語 − NHK アナウンスルーム」より
http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/125350.html


簡単に言ってしまうと、「粋」というのは、江戸時代に生まれた一種の美意識のことです。


私がまず、「粋」を感じたのが、提灯。
提灯は船に乗るまでの小道と船自体にもあったのですが、提灯がゆらゆらと揺れているのをみると「粋」だなあと思います。

調べてみると、提灯は江戸時代以前は、上流階級において宗教的な祭礼や儀式に使われていて、江戸時代以降に蝋燭が普及したため、庶民も照明器具として使うようになったようですね。今は、電球が使われていますが、LEDや蛍光灯より温かみを感じます。



次が、船の構造です。
私は、納涼船にも乗ったことがあるのですが、そのときは浴衣を着ていたのにも関わらず全く粋というものを感じませんでした。

納涼船と屋形船の何が違うか考えたときに、船の構造なのかなあと。
小さく、水面が近いことであったり。木が使われているところ、畳みに座れる構造になっているところ、靴を脱ぐところ、提灯などなど。(船の色には風情が感じられなかったけど)

屋形船の構造への配慮が「粋」を演出しているのではないかと。

そんな船の上でお酒とご飯と景色を味わって楽しむということが江戸時代の屋形船の遊びとリンクして、粋を感じることができたかなと思います。



また、今回はもんじゃが料理として出てきましたが(本来ならば豪華な料理を楽しむ)、そのもんじゃというのも安いながらに粋を感じることのできる工夫のひとつかなと思いました。


―これが例えば、焼肉だったら。

粋は感じられないと思います。


もんじゃが生まれたのは昭和ですが、その原型は安土桃山時代からあります。現代では東京下町の伝統的な食べ物として認知されているもんじゃだからこそ粋が感じられるのではないかと思いました。



この感覚って、外国人はどう感じるんだろうとふと疑問が。日本人は日本で過ごしてきたからこそ感じられる「粋」があるわけで。
外国人からしたら、「粋」って感覚がわからないのか、侍だ!って思うのか(侍はなんか違いますね、笑)

留学生とかといっしょに乗って、「粋」をどこに感じたのか聞いてみるのも面白いかもしれないです。(5000円は高いかな。あと、宗教によっては食べ物の問題もあったり。)



舛谷ゼミでは毎年5000円の屋形船に乗っていますが、本来ならば10000円ぐらいしたりして。
でもその分、料理がお刺身だったり、天ぷらだったりと豪華です。
はぜ釣りができる屋形船もあってびっくりしました!(いつかはそんな屋形船にも乗ってみたい)



少し話は変わりますが、同じ船の観光でいうと、日本橋から神田川や隅田川のクルーズというのもあります。

このあいだ神田川クルーズに行ってきたのですが、江戸城のお堀のあとがそのまま残ってたり、いつもとは違う角度から東京を見ることができて、すごく面白かったです(^〇^)


調べてみたら、ものによっては40人で貸しきりとかもできるみたいなので、こちらもFWでいけたらいいなと思います。値段も2500円とか。食べ物はでないけど。



まあ何はともあれ、楽しかったです今年も。こうやって学年関係なく仲がよくなっていけるのは、舛谷ゼミならではですね。(^_^)

これからもみんなで楽しみながら、ゼミの活動をしていけたらいいなと思います。



観光まちづくり3年
平山楓
posted by masutanis at 22:04| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月16日

えきぽFW@福生

拓です!!
観光まちづくりFWについて報告します(^^)
今回はJR東日本のキャンペーン「えきぽ〜駅から歩くウォークラリー」を東京都福生市で行いました。
福生駅に集合しえきぽアプリをダウンロードしていざ出発。
まずは福生市の観光案内所「くるみる福生」を訪れ、立教大学観光学部の名前を振りかざし、強引にもお話を聞くことに成功。
福生市の観光スポットだけでなく街の歴史、観光案内所の仕事について、福生市の観光事業の今後の展望など興味深い話をたくさん聞くことができ興味深かったです。観光地化があまり進んでいない街の観光案内所だからこそ聞けたお話でした。

次に清岩院を訪れましたがここでも住職さんに説明を聞くことができました。お寺に眠る秘宝のお話と玉川上水の歴史のお話が印象的でした。
続いて訪れたのが田村酒造場、ここは清岩院の住職さんが教えてくれた通り本当に玉川上水から水を引いていたようで、用水路がありました。さすがこの町の大地主の家だけあり、見事な庭園でした。
玉川上水を横切り、福生駅を北へ。大多摩ハムのレストランで昼食、どうやら人気のお店のようで満席。予約しておいてよかったです。ハムとドイツビールが最高でした。
ここではえきぽアプリを使うことでワンドリンクサービスしてもらいました。
さらに北へ進み国道16号線へ。
ここは先ほどの玉川上水のイメージからは程遠く、アメリカがありました。異国情緒漂う街並みで福生市もこの風景を福生10景としてPR。観光資源として友好的な関係を保てているのかと思いきや、通り沿いの公園では横田基地反対の集会のようなものが行われていて、なかなかうまくはいかないものだと感じました。この16号線沿いは訪れるには良いですが、騒音問題などがあり、住むには向かないのかもしれませんね。
ブルーシールアイスを食べました。支払いは米ドルですww

福生の街には玉川上水と米軍基地という二面性があり、街歩きとしては一石二鳥です。地域の人達のお話も聞けて勉強になりました。えきぽのアプリに関してはARよりも実用性はある気がします。観光地ではないところを観光するには使えると思います。他のコースも今後いけたらいいですね。

観光まちづくり3年
近藤 拓
posted by masutanis at 17:39| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

ブルネイ・マレーシアでの二週間

 初海外としておりたったのは、マレーシアクアラルンプールの空港。最初の印象は入国審査をしてくれる空港職員の愛想の悪さとじめじめした暑さのために、良いものではなかった。ブルネイへの移動までそこで過ごしたが、初めてのリアル・エスニック料理(この表し方は自分的にはとてもしっくりくるけれど、適切ではないかもしれない)や異国のトイレに免疫がないため楽しさ半分、気疲れ半分であった。
ここから先は一週間のブルネイホームステイ。日本国内で日本人の家庭だったとしても、見ず知らずの家族と過ごすなんてすごいことなのに、文化も言葉も宗教も違う異国の家族の一員になるなんてホームステイとはとても大胆な試みだな、なんて考えながらのスタートだった。
そこから先の毎日は異文化への慣れと新体験への驚きの連続だった。
一つ大きなものは食事!
ホストファミリーはブルネイ国内になるいろいろな国のレストランに私たちを連れて行ってくれた。マレー、インド、中国そして日本。日本国内にあるエスニック料理店と同じく、その国の人々の口にあうようにカスタマイズされているのだろうな、という印象を受けたがどれも思っていたよりも香辛料が強くなくおいしく食べることができた。
しかしこれは日が経つにつれて私の舌が香辛料に慣れてきていたためかな、とも思える。私たちのホストマザーが辛いものが得意でなかったからかもしれないが、ブルネイとマレーシアを比較したときに、マレーシアのほうが私のイメージする「エスニック」の味、独特な香辛料の味がした。
そしてビッグイベント、テンブロンへ行ったわけだが、一つ印象としては欧米からの観光客が非常に多いな、ということである。ボートに乗って川を下り、トレッキングで山道を登り、川を歩いて滝まで行くという流れであったが、正直に言うとそこまでの新鮮味や異国まできてやりたいものとは感じられなかった。動物や鳥があまり見られなかったことと、自分が植物に詳しくないのも一つの原因であり、ガイドさんがほとんど説明をしてくれなかったせいもあると思うが、「ここでしか味わえないもの」という印象を感じることはできなかった。エコツーリズムとは、そういった「新鮮味、珍しさ」を味わうことが目的ではないかもしれないが、少なくとも現地で多く遭遇した欧米の人々や自分たちも、「日常とは違う環境」を求めてテンブロンへとやってきた部分があると思う。しかしあの場で体験したことのほとんどは私は育ってきた環境とほとんど変わらないものであったし、体験する側の私の意識の問題でもあるが、「みんなで行ったから楽しい」という感想を強く持って終わってしまった。
一方でマレーシアのタマンヌガラでは、森の中に宿泊し、ナイトサファリというなかなかできない体験をすることができた。見たことない生き物を間近で見ることができたというのもあるが、ガイドをしてくれたヘルマーさんの説明と気配りのうまさゆえだったかもしれない。原住民の人々を訪れたときも、ヘルマーさんがそこと信頼関係を築いてくれていたから、私たちもあそこでリラックスして訪れることができたのだと思う。正直、今回のホームステイとマレーシア合宿を通して一番印象深かったのがこの経験である。自分が見られる側だったら絶対に嫌だなって思うが、子供たちも最後手をふってくれて、私たちのようにみにくる者 に対して抵抗はあっても拒絶はしないんだなと衝撃を受けた。
新しい経験や未知のものばかりで初海外にしては非常に刺激の大きなもので、日本の印象や日本の暮らしに関しての考え方が変わった。色んな人とも出会えてありきたりだが世界が一気に変わった。
戸惑うことも多かったがまた行ってみたいと思う2週間だった。

長島 菜実子
posted by masutanis at 23:40| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月15日

マレーシア合宿レポート

三月の初めにマレーシアへホームステイとジャングルツアーへ行ってきました。

LCCを初めて利用した感想は、寒い・身体が不自由になってしんどいというものでした。安く移動ができるのは魅力的ですが、体の調子が悪いととても苦しい環境です。


7時間程のエアアジアフライトの後、KLIAに到着し拙い英語で昼飯代を両替しアジア料理を注文しました。辛い鳥と野菜と炒めた飯が乗っているプレートと、塩ラーメンに魚のすり身を丸くして揚げたものがのっているものとミネラルウォーター。アジアっぽいです
2,3時間程でブルネイへ到着し、小さな空港でホストファミリーと合流しました。ブルネイは完全に車社会であり、交通手段としては他にバスが数本あるだけでした。貧富の格差は明らかにあり、それは住居の違いからよくわかりました。

受け入れてもらった家庭は、大企業を定年退職した父を中心とし娘・息子が5人いる大家族でした。娘さんの1人はイスラム教徒と結婚しており、イスラム教徒の正装を家の中でしていてそこからも宗教の違いが身近に感じられました。パーティや農園に招かれたりといった、珍しい体験をさせてもらいとても面白かったです。最終日前日にホストファミリーの反応で困惑したのは、ファミリーへの土産だけでなく、パーティの屋敷や農園主へのお土産を求められたことでした。
私はその時にファミリーへ感謝を表すため、数点持って行っていたお土産を全てあげることに決めていたのです。そう決めたけれど、自分が思っていたようには喜んでもらえなかったように感じ少し残念でした。しかし、家族の一員のように扱われ様々な経験をさせてもらい家庭の暖かさを感じられました。

メインであるマレーシアでのジャングルツアーについて書きたいと思います。とにかく行きの長いボートは直射日光が凄まじく、行くだけでかなりバテました。バスにしてもボートにしても、安全性はあまり感じられませんでした。いつ大破してもおかしくないような振動と軋み具合でひやひやします。
初日に先生に同行し、ジャングルへ踏み入れる際に扉をしめた瞬間に首を虫に噛まれてびっくりしました。日本の虫除けを体につけていても、敵わないらしく、土地にあったきちんとした対策(現地調達含む)が必要だと感じました。猿、昆虫、鹿、バク等珍しい生き物が見られたことはよかったです。宿は最初の旅行会社から想像ができないくらい綺麗で、食事も素晴らしく、寝食はツアーのうちでも大切だなと改めて屋久島の宿舎を思い出しました。

メインのジャングルツアーからホテルへ戻り、夜デパートへ遊びに行ったあと高熱を出し寝込んだのはとても残念でした。見知らぬ土地で病気になるって心細いですし、楽しみが減ってさみしかったです。帰国までも非常に大変でしたし、帰国してからも熱が下がらず苦しみました。書類を揃え保険金を請求する、といった普通はあまり機会のないことを経験しました。結局発症から二週間程度で完治しました。


南国マレーシアは食事・人・移動手段と日本とは異なることばかりでした。総じて眩しい太陽の光の下、色彩が鮮やかに見えてきもちがよかったです。ジャングルツアー、エコツアーは西洋人向けにあまり負担の無いものにつくられているのかなと感じました。


三年 高山
posted by masutanis at 14:59| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブルネイホームステイ

ブルネイに着いたときの印象はすごく綺麗であるということ。東南アジアのイメージって、がやがやしていて汚くて人がいっぱいいて、信号守らなくて、道がぼこぼこしていて…みたいな。他の東南アジアはベトナムしか行ったことないので、比べるのがベトナムだけだけれど、とりあえず、とても綺麗な国でした。


ブルネイでの滞在は1週間ホームステイだったので、言葉の問題もあるし、イスラム教のこととかも詳しくは知らなかったのでとても緊張していましたが、とても親しみやすいホストファミリーだったのでとてもよかったです。



ブルネイは電車もないし、バスもタクシーもほとんどないので移動は車でした。1日のほとんどを車で過ごしているくらい乗っていました。ホストファザーは車に乗っているとすれ違う車や追い抜かしていく車に乗っている人にしょっちゅう手を挙げて挨拶をしていました。みんな彼の友達らしいです。ブルネイ人の車に乗ってる時間がそれくらい多くて道も少ないから合う確率が高いのかなと思いました。出掛けてるときに知り合いに会うなんて日本ではそうあることではないので、なんか面白いなと思いました。



ホームステイならではの経験といえば家族のことですが、ブルネイの人ほんと家族仲いいなと思いました。日本より平均的な家族人数も多い感じがした。あとホストファミリーは毎週金曜ジュマのあとに親戚が家に集まってお昼を食べていました。私の日本の家ではお正月とお盆の時しか親戚は集まらないので(仲が悪いわけではないけれど)、すごく羨ましいし、それだけ頻繁に会っていれば仲も良くなるだろうなと思いました。
イスラム教ってもっとかたいイメージでもっと厳しい生活を送っているのかと勝手に思っていたけれど(こういう思い込み良くないですね。笑)、ぜんぜんそんなことはなくて、食事とお祈りと服装以外そんな変わったことはなかったです。
でもあとから聞いた話だとマレーシアよりブルネイの方がイスラム教の戒律が厳しいらしいですね。金曜日がお休みってこと以外は私にはあまり感じられなかったけれど。



それから食事が5食って聞いてたのですが、それは盛りすぎでした。実際は、私の家族の場合4食でした。
朝ごはん、昼ごはん、ハイティー、夜ごはん。みたいな。ハイティーは、お茶と軽食で、夜ご飯の2,3時間前に食べる感じでした。
ブルネイの食事、私は大好きでした。ブルネイの食事というか、ホストおばあちゃんのごはんが最高においしかったです!料理上手!



自分の経験もそうだけれど、あとから他のゼミ生にホームステイ先の話とか聞くのはとても面白かった。それぞれの家庭で日本とは違う文化を目の当たりにしていて、当たり前だけど、家庭ごとに生活の仕方がいろいろ違くて。だから「ブルネイの人はこうだ」とかいうようなことは今回のホームステイだけじゃ何も言えないけれど、ウィキペディアには書いていない生きた生活を見て、知って、本当ブルネイホームステイに行く機会に恵まれたことを嬉しく思いました。



3年 細谷
posted by masutanis at 14:52| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Brunei

私はブルネイホームステイについて書こうと思います。

ブルネイに行く前は不安でいっぱいでした。食事面、衛生面、言葉、人見知りなこと…何よりほとんど日本から出たことのない私にとって日本と違う環境で、しかもダイレクトにその国の生活や文化が感じられるホームステイをすることはかなりの挑戦でした。
ホームステイ中は些細なことに驚き、感動し、またとまどいもしましたが、今ブルネイでの生活を思い返すと本当に良い経験ができたと心から思います。

印象的であったことをいくつか書こうと思います。
まず、ブルネイの車社会。家族がどこに行くにしても、お父さんが送り迎えします。お父さんは仕事の途中であっても娘たちの送り迎えのために車を走らせます。私の常識では仕事中に家族の送り迎えのために、ぬけるなんてありえないと思っていたし、第一家にはほかにも車あるし、みんな免許持ってるし…家族や仕事に対する考え、文化の違いをい感じました。

あとは、ブルネイにあるお店や商品のほとんどが他国のものであること。デパートには、韓国のコスメショップや家電製品屋が立ち並び、それもいくつかでなく、新大久保並。それと日本の食べ物屋、例えばビアードパパや茶の道だったり…が立ち並んで。ゲームセンターには昔日本で使われていたと思われるゲームがたくさん。ブルネイにあるデパートなのに、ブルネイの会社だろうなと感じられるお店はあまり見かけませんでした。ほかにも車やPCは日本の会社で、食品は中国、タイ、インドネシアなど。ブルネイはブルネイ独自の文化というより、さまざまな国の文化のミックスという印象を受けました。

そして、私が最も素晴らしい体験ができたと思えることは、パパさんの友達のお家に連れて行ってもらったことです。ほかの家庭でも親戚の家や友達の家に連れていってもらったようですが、私たちの場合はみんなとは少し違ったように思います。あまり適切な表現ではないのかもしれないですが、私たちが連れて行ってもらったお家は広い客間があったり、高そうなものに囲まれたいわゆる私たちの思い描く上流階級というようなお家ではなく、一般家庭のお家。これはみんなと違う体験ができたのでは…?と思っています。2軒尋ねましたが、どちらもまだ引っ越したばかりのお家でした。ブルネイでは、王様から家が与えられるらしいです。日本でいう不動産とか大家さんはブルネイでは国、政府にあたるようで、国に家賃を支払うようです。そして、何十年か支払うとそこは永久に自分の家となる。でも私の記憶が正しければ、4か月分の家賃が私の1人暮らしのアパートの家賃1か月分であった気がします。物価は確かに日本よりも安いですが、それにしても家族で暮らす一軒家がこの家賃とは、国がいかに国民の負担を軽減しているのかが感じられます。同じ地域に立ち並ぶ家はすべて同じ造りで、リフォームは個人の自由。自分たちの好きなように、いうならばカスタマイズしていくような形で違ったものになっていく。私の理解が正しければきっとこうです。まずこのシステム自体が新鮮で、家もきれいで。国から支給されるというと、そんなにきれいさとか広さを期待していなかったので、とても驚きました。そしてまだそんなに荷物のない新居を家族とともに自分たちのカラーにしていく様子が素敵で。車での送り迎えをしていた件もそうですが、ブルネイはもちろん日本の家族も思いは同じものの、日本よりも家族を、家族との時間を大切にしていることが伝わってきました。

私にとって新鮮なことばかりで、どこに行ったことも家でしたこともどれもエピソードになるぐらいですが、キリがないのでそろそろやめます。
全く話は変わりますが、私はブルネイのお家の雰囲気が大好きで、どのお家を見ても可愛くて、空と植物と家だけでどこを撮っても絵になって…。大量に写真を撮ったぐらい好きです!家の周りものどかでとてもリラックスできて、ホストファミリーには様々な場所に連れて行ってもらいましたが、何より家の周りを散歩したことが映像として心に強く印象に残っています。ブルネイは刺激も受け心も安らぎ、とても素敵な国でした。

最後に…ブルネイ、マレーシアともに感じたことですが、K-POPパワー(笑)江南スタイルと何度言われたことか…(韓国人だと思ったらしい)。ラジオからK-POP流れるわ、テレビでもあってるわ、共通の話題となりました。文化や言語の壁を越えて人々をつなぐK-POP……素晴らしいですね!!!

以上、山本 優衣でした。
posted by masutanis at 14:50| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

春合宿

春合宿について報告です。
ブルネイホームステイを経てGEOホテルにてみんなと合流。クアラルンプールは池袋ほどの混雑さはないもののかなりの都会でした。マラヤ大にて現地で留学&同化を目指す中央大学の緒方さんともお話ししてクアラルンプールの魅力的な場所や現地の人々についてお話を伺いました。マラヤ大の講義に参加して感じたことは以外にも中国語や韓国語を勉強している学生が多く日本語を勉強している学生が少なかったこと、ルックイースト政策の影響は文系の学生には浸透していないのでしょうか。
二三泊目はタマンヌガラ国立公園。
固有種のマレーバクやサルが自分達のキャビンの周りをうろついてた環境はここでしか味わえなかったものでしょう。トレッキングに関しては気温が高かった分ハードではありましたが、屋久島などに比べるとやや物足りなかったですね笑
エコツーリズムを新たな視点で見つめられ、より一層マレーシアという国を好きになれた気がしました。

近藤 拓
posted by masutanis at 14:42| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼミ合宿について

みんな続々とゼミ合宿についてのブログを書いているので私も書きたいと思います。(笑)

概要はみんなのブログで触れていることと同じなので、私はこの合宿のメインであるジャングルでの体験について書きたいと思います。

タマンヌガラの意味は国立公園。大事な自然を守るために、立ち入る際には、カメラの持ち込みの申請が必要だったり、他にも様々なルールがあり、厳重に管理されていました。
タマンヌガラに行くのには、現地のツアー会社にお世話になり、バスと船でかなりの時間かけて向かいました。
船といってもフェリーのような大きな船ではなく、ただの木船。
あの窮屈な船に2時間も乗ること自体なかなかできない経験でした。今にも水が入って来そうな木船で、ゼミ生爆睡。みんなの(私含め)適応能力、さすがでした。

私たちが泊まったホテルはタマンヌガラの中でも高級リゾートだそうで、二人一部屋のバンガローは、冷房も完備された、とてもジャングルとは思えないような場所でした。
でも一歩外に出ると野生の動物と遭遇し、虫の声が響いていて、非日常的な光景が広がっていました。

個人的には、田舎の山の中で育ったこともあり、自然や野生の動物に対する興味や、目新しさもあまり感じなかったのですが、さすがにナイトウォークでバクやタランチュラ、サソリに出会ったときは、これがジャングルか…!と感動しました。

そんな二泊三日のジャングル生活のなかで私が一番気になったのが、動物たちがあまりに人間に慣れすぎていることです。
ホテル内をうろつく、イノシシもサルもバクも、そこに人が居ることが当たり前かのように生活していました。
さらに、バクはホテルの従業員に餌付けをされていました。
人間が食べ物を持っていると、ホテル内に入れば食糧があるとわかっている。野生の動物たちが、飼いならされているなぁという印象を受けました。
野生の動物を見ることも観光の楽しみの一つとして考えられるでしょう。でも、私は人間に慣れすぎている、飼いならされている動物たちの姿にあまり良い印象を受けませんでした。
なんだかあまり楽しくなさそうなブログになってしまいましたが(笑)、タマンヌガラのツアーは、ホテルに泊まっているだけでも非日常性を感じられて、面白いアトラクションもあり、たくさんの工夫が見えました。環境にも配慮しながら、自然を楽しめる、ツアーだったなぁと思います。

以上まとまりませんが、私の合宿報告終わります。

菅沼
posted by masutanis at 14:17| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マレーシア合宿☆

image.jpeg

ひさびさってか、
二回目のブログ書きます。笑

新三女れいちぇるですヽ(*゚∀゚*)ノ
よろしくお願いします。笑

えー、遡ること
私がまだ二年生だった春休み。
海外合宿ということで、
マレーシアに行って来ました。
今回の主な目的は…

そう、ジャングル(笑)

海外合宿ではなく
ジャングル合宿と言ってもいいのではないか?というくらい
主にジャングルにいました。笑

ちょっと小話を挟むと、
屋久島のときは
足を捻挫し、靭帯損傷したりと
怪我したまま行っていたのですが
今回も案の定、膝を負傷したまま
合宿にのぞみました。笑
次の合宿は
どーなることやら…( ̄▽ ̄)笑


えー、本題に戻ります(笑)

マレーシア行の飛行機は
初のLCCっ(。・ω・。)!
極寒だよ!と脅されてましたが
そこまで寒くなくて一安心。
飛行機では爆睡でした。笑

マレーシアについたら、
暑いこと暑いこと!
着いた直後に熱風に襲われ
サウナにいる感覚でした!

バンに乗って
朝日を見つつ
なんとかホテルについて
換金する場所を探してましたが
何処も開店しておらず、
朝ごはんおあずけ状態でした。
先生が買ってくれた水でがまん。笑

その後開店時間になり
やっと朝ごはん!
マレーシア来て初の食事は
カレーでした!
こっちのナンはクレープみたいに
薄っぺらいもので、
ナン好きには
どこか物足りない感じでした!

ブルネイ組と合流して
お昼ご飯を
セントラルマーケットで済ませて、
向かうはマラヤ大学!

マラヤ大学はとにかく広い!
学校内にバスや車が通ってるほど!
大学にいるなんて
思いもしませんでした!
マラヤ大生と交流して
ホテルに戻り、
またもや、ご飯。笑

1日目は食べてばっかりでした(笑)


2日目はタマヌンガラに出発!
バスと船?で走ること数時間!
みんな移動の時はほぼ爆睡!笑

ついた時には
もうジャングルの中でした。笑

私たちが泊まったのは
四つ星リゾートホテル☆
隣には自然公園があって
普通に猿やらリスやら
うろうろしてました!

滞在中に、
猿に襲われたのはここだけの秘密。笑

ホテルは本当に綺麗で
快適ー(*´Å`*)
と思っているのもつかの間、
先生に連れられて
隣にあるジャングルに
探検しにいきました。

木々が茂って
虫がわんさかいるジャングル。
みんな早く帰ろうと言う中
先生はそんな声も無視して
ジャングル奥地まで
スタスタ歩いていきました。笑
とにかく、先生は歩くのが早い!
追いつくのに必死で、
周りなんて見てられませんでした(笑)

先生にとっての散歩が終わって
夜ご飯ー☆
ご飯を食べに行くにも船で移動!
すごく斬新でした!
ママチョップという
海上レストランに行きました。

その後は今回の目的である
ナイトサファリに出発!
ハリネズミなどの動物も
何匹か現れましたが
主に昆虫が沢山いました(笑)
タランチュラやらサソリやら…
気持ち悪すぎて
直視できませんでした(笑)

次の日は、舛谷ゼミ恒例
トレッキング!
なぜ、マレーシアに来てまで
トレッキングをしているのだろうと
考えつつ、連れられるがまま
山を登りました。笑
でも、キャノピーウォークは
楽しかったです!

そのあとは水遊び!笑
っといっても
そんな可愛いものではなく
船のドライバーの悪意による
水浴びとでも言った方がいいくらい、激しく濡れました。
一種のアトラクションでした。笑
終わった後はみんなお風呂あがり状態でした(笑)

そのまま現地住民の方の話をきいて
吹矢の特訓したりと
珍しい体験ができました。

帰りもドライバーの悪意による
水浴びをうけ(笑)
その日の夕食は豪華ビュッフェ☆
久々に美味しい食べ物食べれました☆

その後日は、市街地に戻り、
自由行動☆といった感じでした!


現地住民の方に話をきいて、
もし自分が住む場所が
観光地として
観光客がくるようになったら
どのように感じるだろうかと
思いました。
観光客にとっては
自分と違う生活を見たりすることは
いいことかもしれませんが、
その現地に住む人にとって
ずかずかと自分のテリトリーに
踏み入れられることは
いい気分がしないと思います。

そんな風に感じているのだろうと
感じて、さらに現地の人たちの
警戒する視線も感じて、
すごく居た堪れない気持ちになって、
実を言うと、
早くここから出たいと感じてしまいました。

観光地化が進んでいる今、
観光客の気持ちだけではなくて
観光地に住む現地の人々の
気持ちも考えていくことが
今後の課題なのかなと感じました。


普段経験することの出来ない
出来事や体験をすることができたので
良かったです☆


またマレーシア行きたいなー(((o(*゚▽゚*)o)))



藤嶋
posted by masutanis at 13:36| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブルネイ〜マレーシア

私がこの合宿で1番印象に残っているのは、やはりオランアスリの村での居心地の悪さだったのですが、それについては他のゼミ生が書いてくれているのて、私はこの合宿の個人的な感想を述べたいと思います。
ブルネイホームステイから参加し、東南アジア生活を2週間送りました。ブルネイホームステイを終え、ほどよく疲れているうえ、暑いところと動物が苦手な私にとってこのジャングル合宿は恐怖でしかありませんでした。
皆も書いているように、タマンヌガラにはやはり野生の動物がたくさんいて、私は襲われることはありませんでしたが、猿に襲われたり、バクに押し倒された人もいました。毎日滝のような汗をかきました。小さなボートに乗り、泥水をたくさんかぶりました。サソリも見ました。原住民の村にも足を踏み入れ、吹き矢体験もしました。こんなにワイルドな経験をしている女子大生はなかなかいないのではないか、と考えたらこの経験はやはりとても貴重なものなのだと感じました。
周りの友達に、マレーシアのジャングルに行ってきたと話すと、「すごいね…」とすこし引くか、「ジャングルとか行ってみたい!!いいな!」と本気で良い反応を示すかのどちらかでした。このように、ジャングルに興味はある人はたくさんいても、実際に行く機会や気力がある人はとても少ないと思います。タマンヌガラ国立公園はクアラルンプールからバスで4時間ほど?で交通の便は良いと思いますが、やはりわざわざ行くというかんじ。タマンヌガラを訪れる人々はジャングルに対してよっぽど強い気持ちがあるか、何か理由があるのだと思います。そのような人々はある程度環境に対する配慮やエコツーリズムに対する心得があるのではないか、と考えました。そのせいか、タマンヌガラでは、ゴミが捨てられているなど観光客によって汚されてるという面は目に付きませんでした。国立公園に入るときに、名前やパスポートの番号などを記入し、入る人の情報を徹底的に管理しているところも、私たちに、ここを汚さないようにしようという気持ちにさせるきっかけとなっている気がしました。

自分たちと違う文化の国を訪れたときは、そこの土地の文化、習慣に適応することは旅行の楽しみのひとつだと思い、私はいつも楽しんでいます。特に、一般家庭に宿泊し、生活を共にしたホームステイでは自分たちとの違いをリアルに感じることができ、毎日が刺激的でした。食生活、トイレ、言葉、服装など最初は違いに戸惑いながらも真似してみたり、だんだんと慣れていき、それなりにこなしている自分に気づいたとき、すこし嬉しくなりました。

3年 瀬口
posted by masutanis at 13:01| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マレーシア合宿

多民族国家マレーシア。日本から約6時間半のこの国で一週間合宿を行った。
今回はオランアスリの村とKLについて紹介したい。

オランアスリとはいわゆるマレーシアの先住民の一つであり、オーストラリアのアボリジニに近い。今回我々が訪れたオランアスリの村はエスニックツーリズムの舞台であり、彼らの生活を見て楽しむ形態の観光である。

正直気が進まない。人様の生活に土足で踏み込んでまじまじと見るなんて一体何様なのだろうかーそんな思いを胸に村に上陸した。

いやはや住人の目の冷たいこと。より正確に言えば大人の目が、である。一部の子どもたちは我々に興味を持ちチラチラとこちらを見るのだが、その目を覆うのは大人である。彼らのギスギスとした雰囲気からは「私たちは見世物じゃない」という無言の主張を感じ取れた。

エスニックツーリズムはどうしても人間観察という側面をもってしまう。第三者目線で見るとまるでゲストはホストを展示物として見ているようである。しかしエスニックツーリズムはゲストとホストの交流を主眼におけばそういった側面を減らすことができるのではないだろうか。例えば中間の里のエコツアーのように。交流を通して彼らを知ることは多様性を認める能力を養うことにつながると考える。



さて、以上がマレーシアのエスニックツーリズムについてであるが、ここから先は首都KLを紹介したいと思う。筆者の見たことを徒然なるままに書き連ねていくこととする。




暑い。マッタフェアを一歩出たらまたムワンとした暑さが私を包んだ。目指すはユウキ曰く「最もマレーシアらしい場所」、チョウキット・マーケット。

チョウキットまでの道のり、これは怖い。ホームレスや目のやばい人の多さよ。チョウキットの入口もタバコ屋などいかつい感じの店が多い。これは入りづらい雰囲気だなあ・・・

しかし、入ってみるとこれは以外にも、いわゆる市場である。果物が多く目につき、なんだ生活の場じゃないか。「東南アジアの市場」と聞いて想像するものとだいたいあっていると思う。この活気はエネルギーをくれる。マーケットの中と外では全くポジティブさが違った。
これはおもしろい。なんか旅してるって感じだ。さて次は、、バトゥ・ケイブに行こう。どうやらヒンディーの聖地らしい。ここから45分程で着くだろう。

しかし迂闊だった。乗る路線を間違えたのだ。一時間のロスである。壊れかけた扇風機に当たって考える。アイス食いてぇ。

さて、バトゥ・ケイブに着いた訳だが、、

想像以上に聖地だ。
ガンダーラに続いてるんですか?って感じの階段を登った洞窟にあるのは本殿。ちょうど礼拝の時間だったらしい。鐘や楽器の音が洞窟にこだましていた。最後まで残っていた観光客にも灰や果物を与えていたが、信者からヒンシュク買わないのだろうか、

ところで、ここバトゥ・ケイブにはサルがいる。人のものを奪うモンキーである。しかもソーメニーモンキーズである。
ヒンディーはいろいろな神様がいてサルの神様もいる(?)から放置なのかな、と思っていたら土産屋のおっちゃんがホーキで追い払おうとしていた。逃げられていたが。スイカ食べたい。


この後クアラルンプール駅やKLタワーを訪れたのだがそれは割愛。

夜になり路上ライブをみた後、さすがに腹が減ってきた。
前々から考えていたが、最終夜の今日は酒を飲もう。チャイナタウンに行けば飲めるだろう。
と、いうことで適当な店でビールとチャーハンを注文した。
記念にと思いTigerを写真に収めていると
「日本人の方ですかー?」
「はいそうでーす」
「よければご一緒しませんかー?」
「いいですよー」
昨夜マレー鉄道でKL入りした子とタイから飛んできた子の二人組であった。どうやら旅なれているご様子。シェリムアップの邦人殺人事件やインドの武勇伝、安宿情報などを教えてくれた。深夜特急でバックパッカー同士で情報が回る、というのを読んだがなるほどこういうことか。Tigerをもう一本注文する。

盛り上がっていると、たった今KL入りした男性が訪ねる。「バックパッカーズインってどこですか?」
「ああそれなら私泊まってたけどレッドドラゴンの方がいいよ云々カンヌン」
最終的にジャパニーズがさらに3人増えて、驚いたことに店の店主も親戚がジャパニーズということだった、、Tigerをもう一本注文する。

彼女はタマンヌガラを知らなかった。彼女はチャイナタウンの市場に詳しかった。彼女はKLは一日で十分と言っていた。私はもう一日KL見てもいいなと思った。彼女らと接してみて思ったのはいろいろな場所でいろいろな経験をしているから人生のすそ野が広く、重厚だなってこと。と、同時に旅行至上主義的な面も感じた。それを否定する気は毛頭ないけど、ただ単純に「あぁ自分は違うな」って思った。なるほど旅する人はこういう人なんだって。


空港へ向かうバスの中、MP3から流れてくる「これはもう青春じゃないか」を聞きながら、いろんな人に出会ったなって思った。
まったく、俺も人生楽しんでやんよ。待ってろ人生Life is Party.




空港で土産スられた。
東南アジアトイレデビューした。つまり紙がないので備え付けのシャワーでケツをダイレクトアタック

かつ・小野田
posted by masutanis at 04:12| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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