2013年12月25日

日アジ 遊就館FW

 遊就館 入口.jpg
 12月22日にプロジェクト日アジの一環として靖国神社内にある遊就館を訪れました。FWの目的としては領土問題を扱う中で「日本の右翼思想の根源に触れてくる」ということで一応の設定をし、今回は2時間で遊就館を一周するコースを係の方に組んで頂きました。館内に入ってすぐ過去の特攻隊機の0戦の模型が私たちを出迎えてくれました。遊就館にはそうした明治以降から太平洋戦争終了時にまで使用した武器や戦闘機の模型が実物大で多く展示されています。そうした展示品の数の多さを受けて『軍国主義』や『戦争賛美』と少し偏った解釈をしてしまう人がやはり多いのか係の方から、「本日は先入観をひとまず忘れて、国を守るために戦った過去の日本人の精神を学び今後の自分の人生の指針に欲しい。」という一言がありました。館内は終始視覚に訴えかけてくる展示品が多く歴史の授業を通じては教わらない話を多く聞き、飽きることなく2時間のツアーを終えました。ツアーの序盤に英霊として祀られている過去の元帥全員の写真が展示されている部屋があるのですが、どこからか自分の中にもナショナリズムが湧き上がってくるような感覚に襲われたのが印象に残っています。ツアーを通じて、過去の日本人の持っていた愛国心は現代と比べると異質なほどにその重みが違っていたことが係の方の説明からは伺えると思います。先に絶った仲間を思い自ら特攻隊に志願する人々の話などからは特にそうした印象を受けることでしょう。また同じ年代の少年にもそうした国を守る思いがあったことは今の日常の生活の中では考えもできないと思いました。彼らは今の私たちの平和な学生生活をどう捉えるのでしょうか。
 遊就館は「戦争賛美」や「軍国主義」を連想させるものでは決して終わらないと思います。あれだけの展示品があるのだから確かにそうした偏った見方をしてしまうのも頷けます。しかしながら、日本の歴代首相のスピーチにもあるように私たちは過去に自らの命をかけて家族や国の為に戦った人が、日本という国の土台を作っていることは紛れもない事実であり、過去の死を無駄にしないためにもそうしたメッセージは最低限日本人として受け取るべきなのではないでしょうか。そうした大前提を共通認識とした上で過去の日本の功績を誇りに思うか、批判的な目を向けるかはまた個人それぞれの解釈としてお互いを尊重していくのが理想的であると感じます。今の日本の歴史教育では得ることのできないメッセージも感じるためにも一度足を運ぶ価値はあると思います。
 また遊就館は最近、私たちのような大学のゼミ活動の一環として訪れる人々ばかりでなく、修学旅行の目的地の一つに設定している学校も多くあるそうです。私としては再びそうした行動が日本の憲法にも記されている「宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」との項目に反するかどうかの議論の熱が上がり、靖国神社含め、遊就館は今後も日本のメディアの注目を浴び続けていくことになると予想しています。現時点で既に何件か問題になっているようですが。

 最後に、今回はツアーでの参加でした。そのため個人で訪れた場合にはまた違う何かを感じることになると思います。より客観的な視点を持つためにも一度個人で訪れ、次にツアーに参加して感じたものの比較ができたならばもっと深い解釈に結びくと思います。
  

とクリスマス当日の更新でした笑

 

日アジ2年 小松崎欽一
posted by 12こまつざき at 17:30| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本とアジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

6/22 日吉防空壕FW


慶應義塾大学、日吉キャンパスに隣接する防空壕でFWを行った。
僕は、防空壕というものに対し、間に合わせで造られた雑なもの、ただ一瞬の避難のために造られた穴蔵というようなイメージを持っていた。たとえば小学校の国語で習った「ちいちゃんのかげおくり」に登場するようなものである。
しかし、この日吉防空壕は、僕のイメージとまるで正反対のようなものであった。
入口を下るとすぐ、構造を教えてくれる壁があった。意図的なのかはわからないそうだが、壁が一部破壊されていて、レンガをむき出しにしている。レンガの厚さは40センチほどあり、「地下」の防空壕という存在を実感させられた。
また、防空壕は風がひんやりとしていて、とても快適であった。むしろ、終盤は寒ささえ感じた。
防空壕には暗号室、地上との連絡階段、食料室、通信室などがあった。
当時はこの場所で戦争の指令がだされていたそうだ。
いま僕が立っている場所で、当時たくさんの人の命を動かしていたのだと思うと、なんともやりきれない想いになった。
いま僕は大学で興味関心のある分野を勉強させていただいている。
戦争当時、日吉にも僕たちと同じ学生が勉学に励んでいた。
日本の戦況が悪化し学徒出陣となり、志半ばに亡くなった方々もたくさんいるのだろう。
経験したことのない戦争というものを、知ることをきっかけに様々な思考をめぐらすことができた。
先生経験者が減っていくなか、リアリティをもって戦争を伝えるのは、場所やものであると強く感じた。
「負の遺産」をどのように理解することが正しいのか考える良い機会となった。
posted by 12平井 at 14:44| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本とアジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月12日

日アジ 浅草戦跡FW

今年も8月がやってきました。
この季節、戦争についてテレビで取り上げる機会が多くなりますね。

便乗して。
遅ればせながら、7月31日に行った日アジ浅草戦跡FWについて書かせて頂きますm(_
_)m

参加人数は4人。2・3年の日アジメンバーのみ。笑

午前は台東9条の会の方にガイドしてもらいながら、言問橋やら浅草寺の戦跡を回りました。
浅草戦跡マップを下調べして行ったものの、ガイドさんから聞く説明はやっぱり印象深く心に残るものがありますね。
特に印象的なのは墨田公園内にある戦災慰霊碑の話でした。
この慰霊碑は“あ、東京大空襲 朋よ安らかに”と書いてあるだけなんですが、戦後には多くの戦災孤児や子供を見失った親が訪れたそうです。
というのも、大空襲の中、大勢の人が逃げ惑い、中には戦災孤児・子供を見失った人がたくさんいたそうなんですが、親・子と離れた人がここでなら会いつかえるかもという期待で毎年3月10日になると、この記念碑を訪れていたとか。
戦争を知らない私たちには慰霊碑にしか見えなくても、ただの記念碑ではないんですね。考え深いものでした。

また、わざわざガイドさんが東京大空襲の爆撃方法のしおりを作ってきてくださったんです。感謝。
その中には、日本も中国に空襲を行っていたことや、観光学部には好きな人が多い飛行機の登場によって空からの攻撃(一番人に恐怖を与える攻撃らしい)ができるようになってしまったという事実が載っていて。
今では国際交流に欠かせない飛行機が、国際的な凶器に変わっていたなんて、複雑です。


そういえば、アインシュタインがアメリカに原爆を作るように推奨したらしく、日本に原爆が落とされたときはすごく責任を感じたそうです。
この事実に驚きました。

午後は東京大空襲資料センターへ。

戦争の写真を見るには気力がいります。本当に。汗
子供が描いた絵とか見てると、なんで子供がこんな絵を描かなきゃいけないんだろうって切なくなります。

戦争って怖いから、出来れば知らずに、写真も映像も見ずに終わりたい。
だけど、そうじゃないと思うんです。
私のひぃおじいちゃんも東京大空襲でなくなっているんですが、自分って先祖が一人でも違うと生まれてこないじゃないですか。
つまり、変な話、ひぃおじいちゃんがそのとき亡くなってなかったら、自分はうまれてなかったかもしれない。
逆にもっと親戚がいっぱいいたかもしれない。笑
そう考えると過去のこと、空襲って、自分と無関係じゃないなって思うんです。
自分の今の環境は、戦争で亡くなった人がいたからこそあるもので。
だからやっぱり戦争は現実としてちゃんと受け止めるべきで、目を背けてはいけないと改めて思いました。
戦争のない日本を残してくれた方々のためにも、私たちは平和に対して真剣に考えなきゃいけないんですね。

悲劇を忘れないために戦跡は必要なものなんだと思います。

また熱く深く(笑)、日アジメンバーで考えていきたいです♪

長文、乱文、失礼しました。 塩脇
posted by masutanis at 10:34| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本とアジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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