2015年09月13日

2015 北マレーシア合宿

8月3〜8日、今年の海外合宿はマレーシアのペラ州で行われた。マレーシアへはエアアジア利用の際のトランジットで数多く入国しているが、宿泊を伴い滞在するのは2年ぶりだった。その2年前は早期体験プログラムでクアラルンプールと国立公園のタマンヌガラを訪れた。今回の合宿では当時感じたこととはまた違ったマレーシアの姿を発見できた点で、大変収穫の大きいものとなった。

始めに簡単に今合宿の行程をあげる。主な活動内容はペラ州のKamparにあるUTAR(University Tunku Abudul Rahman)での交流プログラム、州都イポーの見学、新都市Putrajayaの5つ星ホテル体験宿泊といったものだった。1日目はKLに宿泊したが、早期体験の時に泊まったホテルや訪れたセントラルマーケットにも寄ったので、個人的に懐古に馳せる瞬間であった。2日目から3泊はUTARの学生寮一軒をゼミメンバー、舛谷先生でシェアするスタイルだった。KamparまではKLから約2時間、マレー鉄道のKTMで向かったがその車窓からは開発の範囲が進んでいるなという印象を受けた。以前はもっとすぐにKLから離れると熱帯雨林やプランテーションが広がっていた印象だったが、KLから離れてからも高層ビルが建てられている地区を何か所か確認できた。それでも40分ほど(?)走るともうプランテーションやその後背に高地や山が連なっており美しい景観だった。以下合宿での活動のうち特に印象深い2つの項目について、前回の滞在で感じたこととの比較も交え述べていく。

1つ目はUTARでの学生との交流や、学生へ向けて行ったプレゼンテーションなどの活動から得たことである。まずUTARについて簡単に紹介する。2002年設立の私立大学で、学生の9割が中華系マレーシア人である。近年はマレー系、インド系のマレーシア人学生も増加傾向にあるそうだが、実際に大学内で行動してみてほぼ中華系の学生が占めていたため、マレーシアにいるということを忘れ、中国に来ているかのような感覚であった。それこそKLに滞在している時とは全く違った感覚である。これは今回第一に受けたマレーシアの新たな印象である。KLでは三民族が共生しているという印象を強く受けたが、この地域では完全に華人のコミュニティで形成されており、「マレーシア」という国単位より独立した地域のように感じられた。これほど違和感のようなものを感じてしまった要因は、マレーシアは多民族共生の社会を持つという既存の認識に安心しきっていたからだ。このように地域ごとに人口を占める民族の比率は均等ではない。この地方に中華系が多い理由は、かつて展開された錫産業と深く関係している。広大な大学のキャンパスに存在する湖も錫鉱山の露天掘り跡にできた人口湖であり、市内にはTin Mining Museumもあるようにかつて錫の一大産地であったこの地方に労働力として中華系の移民が流入したため、比率が高くなっているのだ。多民族共生という言葉では互いの文化や風習を許容して共に生活しているかのように見えて、現実は単純ではなく距離を保ちつつ成り立っているということを知った。KLでもこのころ飲酒禁止となる地区が発生するなど民族関連の問題が発生していると聞き驚いた。

この多民族社会への認識は、今回マレーシアの大学で日本語を勉強する学生に向けたプレゼンテーションを行う我々にとって課題をもたらすことになった。このプレゼンは土佐君と共に担当したが、日本の文化について日本食をテーマとし、それに絡めて日本におけるハラルフード対応への動きについて紹介した。華人が多いという情報はありながらも、マレー系の多い「マレーシア」という国単位で捉えれば、ムスリムやハラルの話題について取り上げても通用するだろうという期待を持ち臨んだ。しかし、実際にはある1つの衝撃的な質問をぶつけられた。その質問は以下である。「なぜ、日本でハラルフードを提供するのか。」この理由については我々のプレゼンにおいて、日本食が世界の人にも人気がある為、日本を訪れるムスリムの観光客が増加している為という2点をもって説明していたのだが、それを踏まえた上でさらに投げかけられたものであった。その時我々が答え得る回答は上記の2点のように、日本食を食べたいというムスリムの人たちの需要があると考えるからといったものであった。しかし彼女の質問が意味したことはもっと根本的な部分であった。その根本的な部分とは、他民族に対する関わり方であり、つまり意図するものは中華系は他民族に対しあまり干渉しないような姿勢が取られているということである。そのため、中華系の彼女にとっては、同国に住む我々であっても他民族に距離を持つのに、何故日本人がムスリムに関心を寄せるのか、という解釈である。この質問は多民族社会の様相について捉え直し、民族の共生について改めて考える契機となった。また今回のやり取りで今までの自分自身の単純な認識の仕方を反省するのと同時に、複数民族が共存する社会への耐性を持ちにくい日本人の、世界に対する遅れのようなものを痛感する機会となった。

また、今回のプレゼンは日本語で行ったが受講者は日本語を習い始めて半年満たないということだったので、全編UTARの先生の通訳を介すことになり、英語で準備すべきだったと後悔した。しかし舛谷先生によれば学生にとって同年代の日本人の生の日本語を聞く機会は限られており何らかの影響にはなったはずだということであった。よって彼らにとって少しでも日本語を学ぶ上での活力または日本に対する関心を引くものとなったことを願ってやまない。プレゼンに加え2時間の日本語クラスを2コマ、みっちり学生同士のディスカッションを通すことで本当の意味でのinteractionになったと感じた。このようにUTARでの活動は、自分に対し多民族社会について新たな観点を与える経験になった。

二項目述べようとしていたが、長くなってしまったので2つ目は簡潔に…、新行政都市Putrajayaの開発について書きたい。プトラジャヤはKLIA国際空港とKLの間に位置し、もとはプランテーションだった土地を大規模に開発し造られた新しい都市である。KLの郊外に政府機関を移行し副都心として開発が進行しているこのような都市があるとは知らず学習不足であった。古い時代の建造物が残るイポーのように大規模開発が成されていない地方都市や、Kamparのような田舎街を見て非常に好ましく感じるが、プトラジャヤのように完璧な計画都市にも心奪われてしまい若干複雑な気持ちになった。体験宿泊させて頂いたシャングリラは、都市開発と同時に建設が計画されてできたホテルであり、ともに「自然との調和」をコンセプトとしていたことが印象的であった。開発するにあたって闇雲に高層ビルを建てるのではなく、確かに自然が多く空間に余裕を持った都市景観は魅力的であった。イギリスの植民地時代と日本占領時代を感じるペラ州都のイポーを訪れた後、合宿の最後にプトラジャヤを訪れたことは特別な意味を持ったと思う。まさに現在進行形のマレーシアの発展を目の当たりにした感覚だった。

終わりに、今回直面した多民族社会の様相と外国語教育の現場から、今後はマレーシアの教育制度と実体について民族の観点からより詳しく調べてみたい。この6日間、マレーシアについて前回考えが至らなかった点に至るなど新たに学ぶことが多く、再訪出来て本当に良かった。もちろん、また行きたい。ブログを書いてみるとイポーの歴史や食文化など記述したい項目は他にも出てきたが、ひとまずこの辺にしておく。

3年 眞鍋智佳


posted by 13まなべ at 17:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko13 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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