2014年07月06日

エスニックタウン清瀬

半年ぶりの投稿です。4年拓です。
先日のハンセン病とフィリピン料理FWのフィリピンの部分だけ行ったので共有しておきます。

駅を降りると非常に普通の郊外都市というイメージの清瀬ですが、商店街を奥へ奥へと進んでいくとエスニック料理店やフィリピンパブなどが増えてきました。
昼食先のフィリピン料理屋のご主人(妻はフィリピン人)とお話したところ、清瀬は非常にフィリピンと歴史の深い街だそうです。
ここからはお店の主人の方に聞いたお話なので信じるか信じないかはあなた次第ですw
1936年清瀬に初めてキリスト教の教会ができたのは日本が軍国主義へ走り始めるきっかけとなった二二六事件の年だったそうです。
当時の清瀬はハンセン病患者の隔離された街というイメージが強く、街の雰囲気も非常に暗く、まだ畑も多かったそう。
しかし日本軍によるフィリピン占領時に多くの日本兵がフィリピン人女性と交流し、フィリピンは女性を出稼ぎの手段として戦後多く移民させたそうです。
戦後間もない中で、日本で一番人口の多い東京都心部の近くで、しかも教会のある土地として多くのフィリピン人女性が清瀬に住み、パブを運営したり、都内のパブで働いたそうです。
そして今その孫や子供たちがパブだけでなく英会話教室やレストランという形で清瀬の教会付近に多くのエスニックなお店を残している。
日本人の旦那、フィリピン人の妻という構図が一般的なようです、「外ごもり」の構図ですね。
そしてこの清瀬の付近の滝川団地などには元日本兵としてフィリピンに派兵された方々が当時の思い出をしのびながら住んでいるそうです。(研究事例はなかったですが)

前回聖蹟桜ヶ丘で、高齢化社会への移り変わりを団地が表象している様子を感じましたが、宗教拠点や歴史があることでまた街に新たな文化があるのですね。
それをこないだ楓か誰かが言っていた群馬の富士重工の労働者がつくりあげたブラジル人街のように商品化するかどうかはそれが日本にとって輝かしい歴史だったかどうかにもかかっているのではないかなとおもいました。

短い時間ながらとても興味深い時間でした。
既存の観光地を回るのも楽しいですが、こういう観光地じゃないとこのおもしろさを探れるのも観光学部、舛谷ゼミならではかなと思います。
後期のFWも楽しみです。


4年日本とアジア 近藤 拓


posted by masutanis at 15:40| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko11 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。