2010年05月22日

今までで一番楽しかった旅行

私は小学校1年から3年まで父親の仕事の関係でスイスに住んでいました。父がスキー大好き人間だったので週末になると私たち家族は毎週のように山へスキーに出かけていました。私はその週末のイベントがいつも楽しみでしたが、姉は「頭が痛い、足が痛い」などといつも何かしら文句を言っていてすんなりと参加したことがありませんでした。姉は私の嫌いなインドア派の人間だったのです。
そういうわけで、私が今までで一番楽しかった旅行ももちろんスキー旅行なのですが、それは4家族合同で行った一週間のマッターホルンでのスキー旅行でした。当時、私はスイスの日本人学校に通っていたのですが現地の日本人学校は子どもの人数が少なかったので学年関係なく家族ぐるみで仲良しだったのです。マッターホルンでのスキー旅行は私にとって初めてな体験ばかりでした。例えば、マッターホルンがあるツェルマットの町には排気ガス規制があり、一切の排気ガス自動車の進入を禁止しているため、私たち一行はツェルマットに入る手前の町からツェルマットまで車ごと電車に乗ります(この時点で車のエンジンを止めているため、排気ガスで町が汚れる心配はありません)。ツェルマットに着くと自家用車を専用駐車場に停めて、私たちは電気自動車に乗り換えます。これらの体験に幼い私の好奇心を掻き立てられ、完全に心を奪われました。ホテルは私たち家族と他の3家族で分かれて宿泊したのですが、夜は3家族が泊っている方のホテルに集まって憩いのひとときを過ごしました。その時にスキーガイド(旅の最初から最後まで付き合ってくれる専属スキーガイド)の一人である谷さんが子どもたちにトランプマジックを披露してくれるのを見るのがとても好きでした。結局最後はちゃんと種も教えてくれるのでその後、私たちの猛特訓が始まりました。そこでものにした数々のトランプマジックをそれからしばらくの間学校で友達と披露し合いながら旅の思い出を噛みしめていたように思います。
スキーに関していうとマッターホルンの上の方からイタリア側へ行きスキーで国境を越えたことや、越えた後にいつも見ているマッターホルンを裏側から見ることの出来るスポットに行き景色を楽しみながら滑ったこと、10センチ先も見えない悪天候の中私たちグループしかおらず泣きべそをかきながら滑ったこと、誰も足を踏み入れていない新雪を滑り降りたこと、ガリガリに凍った斜面を自分の恐怖心と闘いながら滑り降りたことなど、その全てが今もなお私の心の中に鮮明に焼き付いています。赤いスキーウェアにペンギンの帽子が私のトレードマークだったのですが、リフトを待っている時にスイス人に「ペンギン帽似合うわね、可愛いわ」と褒められてうれしかったことなどもこのレポートを書きながら懐かしく思い出されました。両親もゲレンデでは、ペンギン帽で私の存在確認をしていたようです。
スキーガイドには谷さんの他に河野さん、柿沼さんがおりこの旅以外でもその後何度かお世話になりました。その時は年の離れた河野さんと柿沼さんがまさか結婚するなんて誰ひとりとして予想していなかったでしょう。私たちが日本に帰国し何年か経ったある日、届いた一通のハガキには「結婚しました」の文字があり、それを見た時に私は子どもながらに心の中に広がる温かいものを一人で噛みしめたような気がしました。最終日の夜、皆で夕食を食べたのですが、そこで私たち子どもはスキーガイドの皆さんから、名前入りの小さなサバイバルナイフを一人一人にプレゼントされました。今も大事に持っています。
こうして旅の思い出が文字にすることでより鮮明に蘇ってくると、河野さん夫婦は相変わらずらぶらぶなのか、あの時若かった谷さんももう結婚したのだろうか、スイス日本人学校にいた皆は元気だろうかなどとすごく懐かしい気持ちと皆に会いたい気持ちでいっぱいになります。この旅での経験、そして思い出はこれから先も私の中にとどまり続け私の人生を豊かにする肥やしとなってくれることでしょう。
                            2年 FS


posted by 09ふむろ at 11:02| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。