2009年07月11日

☆浅草フィールドワーク☆

今日は浅草のフィールドワークをしました。
東京大空襲の戦跡をたどるツアーです。

みんなはお昼に秋葉原に集合して、戦災資料センターに行ったノですが私はいろいろ失敗して、浅草からの参加…。結果的にはよかった…かな☆

青い旗をもったガイドさんが3時間浅草を案内してくれました。
もともとはこのツアー、七福神めぐりツアーの抱き合わせだったとか。
平和学習として参加する中学生も多いみたいです。

最初に足を止めたのは隅田川の河原。ちょうど言問橋が見えました。
P1060508.JPG

隅田川は江戸一番の娯楽地だったそう。昔から人の集まるところだったけれど一時期は酸素が無くなって死の川とも呼ばれたそう。


そして1945年3月10日。
午前0時17分、B29号による東京大空襲がおこりました。
東京大空襲の死者は11〜12万人と言われていますが、そのうちの約1万7千人の人が浅草で亡くなっていて、さらにそのうちの7千人位がこの言問橋で亡くなったそうです。しかし実際、川の中に飛び込んだ人の数がよくわからないため、正確に人数は解りません。もっと多いという意見もあるそうです。
川の両岸が燃えていたため、両側から人が押し寄せ、橋の上で動けなくなってしまい、橋の上で焼け死んだ人もたくさんいます。
言問橋の親柱(橋を支える太い柱)は逃げ込んだ人たちの焼けた痕で真黒になっていました。

この日、焼夷弾が40万個も落とされたそうです。
B29はいつもは高度9000メートルくらいのところから投下していた爆弾を、偏西風の影響で命中率が下がることからさらに高度を下げて投下していました。さらに、投下は季節風の風下から、周辺を焼いて真ん中に追い詰める、などと計画的な投下を行ったそうです。

大空襲があった直後の写真を見ると、地面に小さな山がたくさんできていました。これは死体を埋めた後で、穴を掘って4段、5段にも積み重ねて死体を埋めたそうです。

そんな話を聞いた後に見る言問橋はただの橋には見えませんでした。

次に向かったのは戦災慰霊碑です。
P1060509.JPG

この慰霊碑の横には言問橋の縁石が置かれています。
中川さん(81歳女性)がお話をしてくださいました。
中川さんは大空襲の日、18歳の高校生でした。
普段は警戒警報は、鳴って30分から1時間程度で解除されるのですが、この日は様子が違いました。
中川さんの家には台所下に小さな防空壕(と言っても、座ってやっと入れるくらいの大きさ)があり、家族は父親以外は新潟に疎開していましたた。当時空襲で家が焼けるのは当たり前で、毎日家に帰るたびに家が焼けてないかと心配したそうです。

この夜、父親に危険だから外へ出ろと言われて防空壕を出ると、そこにはいつもと違う風景が広がっていました。空が真っ赤にひかり、ちょうど花火を逆にしたような焼夷弾がそこかしこで爆発していました。みんなの流れに合わせて、駅前の広場に逃げることにしたのですが、人の波が激しくて進めません。中には赤ちゃんを抱いたお母さんや子供も手を必死に引いている人がたくさんいました。

結局線路の近くで座って熱さに耐えました。熱い上に、立っていると飛ばされそうになってしまうためにそこに座っているしかありませんでした。火の粉が防空ずきんの上にたくさん飛びかかって来ました。それをはらってはらって、ずっと耐えていました。

このときに中川さんが言った、「当時は国のために戦争に協力するという一点で、その思いが身にしみているからみんな我慢していた」という言葉がとても印象的でした。

一晩耐えて目を開けようとしても、体の水分が抜けてしまい、目が乾いてあかなかったそうです。一晩で町の様子は信じられないほど変わってしまいました。
そしてたくさんの遺体がトラックで運ばれ、スコップで穴に投げ入れられるという光景を目にしました。

この碑は家族に手を合わせてもらうこともなく埋葬された被害者の遺族達の、どうにもならない、何もできなかったという気持ちから作られました。今でも毎日石碑の前にはお花が上がっています。

平和学習として今までも様々な戦争体験者の話を聞いてきましたが、今日もやはり心が重くなってしまいました。これから浅草を見る目が変わりそうです。

浅草寺にある大きな銀杏の木はほとんどが戦争の被害を受け、黒こげていたり、痛々しく傷付けられていました。
木は長い歴史を持っていて、関東大震災と大空襲の二回の被害を受けている木もあり驚きました。

浅草には平和への願いが込められたモニュメントや石碑、お地蔵様がたくさんあったのに今まで全然気付かなかった自分にびっくりしました。
本当に勉強になりました。この戦跡ツアーがもっと有名になってたくさんの人が参加することを祈っています。

ダークツーリズムは興味というよりも義務感で行くものだと思いました。私たちには知らなくてはならないことがたくさんあるんだなと強く感じました。

3年鮫島由理恵


posted by 07さめしま at 23:59| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko07 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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