2015年09月13日

2015 北マレーシア合宿

8月3〜8日、今年の海外合宿はマレーシアのペラ州で行われた。マレーシアへはエアアジア利用の際のトランジットで数多く入国しているが、宿泊を伴い滞在するのは2年ぶりだった。その2年前は早期体験プログラムでクアラルンプールと国立公園のタマンヌガラを訪れた。今回の合宿では当時感じたこととはまた違ったマレーシアの姿を発見できた点で、大変収穫の大きいものとなった。

始めに簡単に今合宿の行程をあげる。主な活動内容はペラ州のKamparにあるUTAR(University Tunku Abudul Rahman)での交流プログラム、州都イポーの見学、新都市Putrajayaの5つ星ホテル体験宿泊といったものだった。1日目はKLに宿泊したが、早期体験の時に泊まったホテルや訪れたセントラルマーケットにも寄ったので、個人的に懐古に馳せる瞬間であった。2日目から3泊はUTARの学生寮一軒をゼミメンバー、舛谷先生でシェアするスタイルだった。KamparまではKLから約2時間、マレー鉄道のKTMで向かったがその車窓からは開発の範囲が進んでいるなという印象を受けた。以前はもっとすぐにKLから離れると熱帯雨林やプランテーションが広がっていた印象だったが、KLから離れてからも高層ビルが建てられている地区を何か所か確認できた。それでも40分ほど(?)走るともうプランテーションやその後背に高地や山が連なっており美しい景観だった。以下合宿での活動のうち特に印象深い2つの項目について、前回の滞在で感じたこととの比較も交え述べていく。

1つ目はUTARでの学生との交流や、学生へ向けて行ったプレゼンテーションなどの活動から得たことである。まずUTARについて簡単に紹介する。2002年設立の私立大学で、学生の9割が中華系マレーシア人である。近年はマレー系、インド系のマレーシア人学生も増加傾向にあるそうだが、実際に大学内で行動してみてほぼ中華系の学生が占めていたため、マレーシアにいるということを忘れ、中国に来ているかのような感覚であった。それこそKLに滞在している時とは全く違った感覚である。これは今回第一に受けたマレーシアの新たな印象である。KLでは三民族が共生しているという印象を強く受けたが、この地域では完全に華人のコミュニティで形成されており、「マレーシア」という国単位より独立した地域のように感じられた。これほど違和感のようなものを感じてしまった要因は、マレーシアは多民族共生の社会を持つという既存の認識に安心しきっていたからだ。このように地域ごとに人口を占める民族の比率は均等ではない。この地方に中華系が多い理由は、かつて展開された錫産業と深く関係している。広大な大学のキャンパスに存在する湖も錫鉱山の露天掘り跡にできた人口湖であり、市内にはTin Mining Museumもあるようにかつて錫の一大産地であったこの地方に労働力として中華系の移民が流入したため、比率が高くなっているのだ。多民族共生という言葉では互いの文化や風習を許容して共に生活しているかのように見えて、現実は単純ではなく距離を保ちつつ成り立っているということを知った。KLでもこのころ飲酒禁止となる地区が発生するなど民族関連の問題が発生していると聞き驚いた。

この多民族社会への認識は、今回マレーシアの大学で日本語を勉強する学生に向けたプレゼンテーションを行う我々にとって課題をもたらすことになった。このプレゼンは土佐君と共に担当したが、日本の文化について日本食をテーマとし、それに絡めて日本におけるハラルフード対応への動きについて紹介した。華人が多いという情報はありながらも、マレー系の多い「マレーシア」という国単位で捉えれば、ムスリムやハラルの話題について取り上げても通用するだろうという期待を持ち臨んだ。しかし、実際にはある1つの衝撃的な質問をぶつけられた。その質問は以下である。「なぜ、日本でハラルフードを提供するのか。」この理由については我々のプレゼンにおいて、日本食が世界の人にも人気がある為、日本を訪れるムスリムの観光客が増加している為という2点をもって説明していたのだが、それを踏まえた上でさらに投げかけられたものであった。その時我々が答え得る回答は上記の2点のように、日本食を食べたいというムスリムの人たちの需要があると考えるからといったものであった。しかし彼女の質問が意味したことはもっと根本的な部分であった。その根本的な部分とは、他民族に対する関わり方であり、つまり意図するものは中華系は他民族に対しあまり干渉しないような姿勢が取られているということである。そのため、中華系の彼女にとっては、同国に住む我々であっても他民族に距離を持つのに、何故日本人がムスリムに関心を寄せるのか、という解釈である。この質問は多民族社会の様相について捉え直し、民族の共生について改めて考える契機となった。また今回のやり取りで今までの自分自身の単純な認識の仕方を反省するのと同時に、複数民族が共存する社会への耐性を持ちにくい日本人の、世界に対する遅れのようなものを痛感する機会となった。

また、今回のプレゼンは日本語で行ったが受講者は日本語を習い始めて半年満たないということだったので、全編UTARの先生の通訳を介すことになり、英語で準備すべきだったと後悔した。しかし舛谷先生によれば学生にとって同年代の日本人の生の日本語を聞く機会は限られており何らかの影響にはなったはずだということであった。よって彼らにとって少しでも日本語を学ぶ上での活力または日本に対する関心を引くものとなったことを願ってやまない。プレゼンに加え2時間の日本語クラスを2コマ、みっちり学生同士のディスカッションを通すことで本当の意味でのinteractionになったと感じた。このようにUTARでの活動は、自分に対し多民族社会について新たな観点を与える経験になった。

二項目述べようとしていたが、長くなってしまったので2つ目は簡潔に…、新行政都市Putrajayaの開発について書きたい。プトラジャヤはKLIA国際空港とKLの間に位置し、もとはプランテーションだった土地を大規模に開発し造られた新しい都市である。KLの郊外に政府機関を移行し副都心として開発が進行しているこのような都市があるとは知らず学習不足であった。古い時代の建造物が残るイポーのように大規模開発が成されていない地方都市や、Kamparのような田舎街を見て非常に好ましく感じるが、プトラジャヤのように完璧な計画都市にも心奪われてしまい若干複雑な気持ちになった。体験宿泊させて頂いたシャングリラは、都市開発と同時に建設が計画されてできたホテルであり、ともに「自然との調和」をコンセプトとしていたことが印象的であった。開発するにあたって闇雲に高層ビルを建てるのではなく、確かに自然が多く空間に余裕を持った都市景観は魅力的であった。イギリスの植民地時代と日本占領時代を感じるペラ州都のイポーを訪れた後、合宿の最後にプトラジャヤを訪れたことは特別な意味を持ったと思う。まさに現在進行形のマレーシアの発展を目の当たりにした感覚だった。

終わりに、今回直面した多民族社会の様相と外国語教育の現場から、今後はマレーシアの教育制度と実体について民族の観点からより詳しく調べてみたい。この6日間、マレーシアについて前回考えが至らなかった点に至るなど新たに学ぶことが多く、再訪出来て本当に良かった。もちろん、また行きたい。ブログを書いてみるとイポーの歴史や食文化など記述したい項目は他にも出てきたが、ひとまずこの辺にしておく。

3年 眞鍋智佳


posted by 13まなべ at 17:18| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko13 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

延辺ゼミ合宿

8/16〜23まで中国延辺朝鮮族自治州でゼミ合宿を行った。1日目は北京に宿泊し、飛行機を乗り継いで延辺へ向かい、延辺大学の留学生寮に滞在した。
出発前の私の中にある中国のイメージはお世辞にも良いものとは言えなかった。食品に表記とは異なるものどころか食用以外の物質が混合されるなどの食品偽装問題、ルール無視の建築による道路や建物の陥没や倒壊などメディアによる様々なショッキングなニュースが負のイメージを形成し、不信感で一杯であった。更に日本が過去に中国に対して犯してしまった罪と近年の両国間の関係悪化が加わり、一種の罪悪感と無意識的に日本を擁護しようとする反感のようなもの、敵だらけの中に足を踏み入れるような恐怖など様々な感情が交差していた。

中国ではやはり日本の文化は通用せず、驚かされることばかりであった。まず驚いたのは接客である。客は商品を選ぶとき手に取ったり、試しに身につけてみたりするものであるが、それにより乱れた陳列を客の目の前で直す。商品は汚れるからと触らせない。客にべったり付いて回ることが多く監視されているようで兎に角落ち着かない。比較的高級なレストランでケーキを注文した時も注文を忘れてたいた上、ケーキのパックを取りながら店員がやってきて失笑してしまった覚えがある。どれも日本でしてしまえば注意されるのは勿論のこと、最悪クビにされるような対応であり、日本人が不快感を覚えるのも無理はない。しかしよく考えてみれば、売り手は常に買手より下の立場に立ち、「買っていただく」という接客の価値観自体が日本のものであり、この価値観を中心として中国をみても通用しないのは当然のことである。
延辺大学で行われたシンポジウムにおける日本人と中国人の価値観の違いをテーマにした公演で聞いたことだが、日本人はある人から手伝いましょうかという趣旨の好意の申し出を受けてそれを断る場合、一般的に折角の好意に添えなくて申し訳ないとまず謝罪をする。一方で中国人はまず好意に対する感謝をし、これからの関係に言及するようである。日本人は依頼だけでなく、様々な事柄において上下関係を作り出し相手の下に立つことを礼儀とするが、中国では依頼する側される側、売り手買い手であろうと基本的に立場は対等なのである。このような根本的な価値観の違いを知らずに客である自分は上の立場だという前提で良し悪しを判断するのは正しくない。

列に並ばないというのも噂では聞いていたが、やはり実際体験すると驚いてしまった。はじめ列に並ばないのは、自分さえよければいいという自己中心的な考えのもとの行為だと思っていたが、中国で暫く生活していくうちにそうしなければ自分の順番は一生回ってこないということがよくわかった。交通も同じである。いちいちクラクションに反応して譲っていたらいつまでたっても道を渡れないのである。はじめは抜かされても唖然として何も言えなかった私も後半には自分の番だと主張するようになっていた。しっかり主張すれば抜かす相手も悪い顔などすることなく納得する。日本では全てがルールに頼って動いているが、ルールのない中国では間違っていたらそれは違うと自分の口ではっきり言うしかないのである。
ルールよりも対等な個人と個人が主張しあい、物事が進んでいくという感覚は不思議であるが暫くすれば当然のように馴染んでくる。私自身も帰国した日、電車待ちで無意識に列を抜かしていた自分にとても驚いた。そこに悪意などは全くなく、私には当然になっていたのである。

你好と谢谢しか分からない状態で行ったため、語気の強い中国語に圧倒されはじめは全員が怒っているように思えた。しかし観光案内をしてくださった延辺大学の学生はじめ中国語の発音矯正をしてくださったスーパーのおばさん、ラーメンを食べさせてくれたおじさん、飛行機で色々助けてくれたおばさんなど親切な人は多かった。日本は嫌われていると疑心暗鬼になっていた自分がなんだか恥ずかしい。国の括り関係なく一個人として相手を見るべきという当然の事を忘れていた。

日本と中国の文化は真逆のような相容れない関係であるため、理解し難いまさに異文化と言えるだろう。そのような異文化に浸った一週間は驚きと学びの連続であり、非常に貴重な体験であった。

平川 絢景
posted by masutanis at 14:25| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015.08.16-08.23海外合宿 

今回ゼミ合宿で訪れた延辺は、今まで私が経験したことの無いような地であり、またそれと同時に如何に今まで実際の事実に触れないまま、色眼鏡をかけていたまま物事を見ていたかということに深く反省させられました。正直、いままで「中国」という地や民族に対して大きなイメージを持っていました。具体的に言えば、「中国人は何だか愛想や態度が悪い」や「国に制限されてばかりで自由に物事を考えられていないのではないか」と言ったものです。確かに、すべての人がその型にはまることはないことは訪れる前から分かっているつもりではいたのですが、やはり、新聞やマスメディアから得た一口サイズに食べやすく、理解しやすく、切り取られた情報からのイメージはあまりにも怖いことに簡単にぬぐうことはできませんでした。それは、大きな国である中国に対してあまりに単純すぎる幼稚な考えであったと恥ずかしく思っています。そのイメージをかえた契機となる出来事というのは合宿の中でいくつもありました。

まず、一つ目は延辺大学での学会準備でのことです。学生たちは、学会の準備を始める前から私たちと交流を持とうと、積極的に声をかけてきてくれました。個人同士での交流をはぐくむ中で、学生たちは「中国人」という枠にはまった人間ではなく、日本語を一年勉強して小柄でほのぼのとした性格のソンさんや、新潟に一年留学していた日本語の上手なメイシンさんといったように「名前のある個人」として考えることが出来ました。合宿4日目の学会閉会式前の準備の際は、前日の大雨のせいか会場の座席が水浸しになるというハプニングがありましたが、お互い冷静に案を出し合い、試行錯誤した上で何とか閉会式に間に合わせることが出来きました。(結果、延辺大学の学生の案で、モップに水を吸わせて手で直接絞るという大胆な方法で処理をすることになり、非常に驚いたのですが良い交流を持つ機会となったと思います…。)

夜のホテルでの懇親会では、中国人の日本語教師の方や、中国でマーケティングを教えていらっしゃるという先生方と相席になり、お話をすることが出来ました。中国では、(地方にもよると思うのですが)日本語の授業が英語や、第二外国語のように中学生から学校で学ぶのだそうで、会食の席でお話しをさせていただいた日本語教師の方は「特にやりたいこともなかったから日本語教師になんとなくなった。」とおっしゃっていて驚きました。それでも、日本語は流暢ですし、学会に参加されているので相当努力をされたのだろうと感じました。やはり、日本と中国の間には暗い歴史的背景があったことは頭に染みついてしまっているので、彼女が「なんとなく」という思いでも日本語に興味を持ち、選び取り、今は学生たちに教えている立場となっていることが、とても不思議で、また同時に素直に嬉しく思いました。マーケティング専門の先生からは、中国語の基本中の基本の発音を根気よく丁寧に教えていただきました。

懇親会の後、(舛谷先生に連れていかれるがままに)登った通称帽子山では、朝鮮系の中国人の親子と方とゼミ生のメンバーが仲良くなったことをきっかけに、市内を案内していただいた上に、アイスクリームやスナック菓子のようなものをゼミ生全員分買って下さり、さらには晩御飯の中国式?BBQまで御馳走して下さるという出来事もありました。

合宿7日目には、延辺大学の学生とともに尹東柱のゆかりの地である龍井に訪れました。その道中、シュウさんという学生の方に親しくしていただき、また短い時間でしたが深いお話をすることが出来ました。日本と中国の間にある「戦争の傷」という大きな壁に関しては、やはり向こうの学生も気になるようでシュウさんから「かなえはどう思うか」と尋ねられました。(不意に投げかけられた質問であったので)うまく答えることが出来ず、そこは少し心残りですが、シュウさんは、言葉をじっくりと選びながら「私は、国同士にあった歴史はお互いの立場で正しく知るべきだけれど、私たちのように仲良しな友達の関係が沢山出来たらもっと国の関係はよくなると思う。」とおっしゃっていました。核心をついた鋭い発言だと思います。国という大きな国同士での交流ではどうしても過去の歴史やそれらの認識の違いに縛られて前になかなか進めず、八方塞がりの様に思えてしまいます。ですが、個人レベルでの交流であれば多少の意見のぶつかり合いがあったとしてもより柔軟性を持って物事を考えていくことが出来ます。その個人での交流が大きく広がれば、日中の国交の完全な回復に一歩歩みを進めることが出来るかもしれません。彼女の発言の内容はもちろん、そのような話題を私と話してみたいとシュウさんが思ってくれたことは本当に驚きつつも嬉しい出来事でした。

最終日の朝には、寮から15分ほど離れた川沿いの朝市で、「君は日本から来たのか!」と色んな方に声を掛けていただきました。買うわけでもないのにも関わらす気さくに話しかけてくださる方もいらっしゃって、自分の今まで抱えていた偏見が馬鹿らしく思えました。

もちろん地域にもよると思いますが、今回の延辺合宿では出会う方、お話しする方みな一人ひとり「中国人」ではあっても個性的で気さくで、私たちに好意的な好奇心を持って接してくださったことが驚きでした。以前、私が旅行で訪れた台北では、出店の商品を眺めた後「やはり買わない」と立ち去った瞬間に塩を投げられるという経験をしました。韓国に旅行に出かけた友人は買い物をした際にお釣りを投げられたというエピソードを私にしてくれたこともあります。日本でも、コリアンタウンである新大久保駅で韓国の方を非難するデモ行進があったことも事実です。日本と中国、また朝鮮半島の間に大きな「暗い歴史の壁」が未だにあるのは事実でしょうが、だからといって「これだから中国の人は」などという安易な考えを持つのは「これだからB型の人は」などという発言と(同じと言ってしまうと語弊がありますので)似たようなものであると反省させられました。シュウさんは「絶対に日本に遊びに行くからね。」とWeChatの番号を渡してくれました。今度は私たち日本が本当の「おもてなし」を見せる番です。



舛谷ゼミ14生

中島加奈恵
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2015年09月12日

延辺合宿

1週間にわたり私は中国の延辺朝鮮族自治州延辺大学に滞在した。私自身初めての中国滞在ということもあり、多くの驚きや発見があったが、特に印象に残った事を3つ述べていきたい。
まず初めに、街に出て車のクラクションの音にとても驚いた。中国の道路ではクラクションがなり続けていた。日本の道路ではクラクションの音はそんなに聞くことができない。クラクションの音がなれば皆が振り向き、注目する。中国では自分が通る道に車や歩行者がいれば、すぐクラクションを鳴らしていた。その音には3日もすれば慣れたが、非常に不思議な体験であった。
2つめに、日本のレストランではお冷が飲み物としてでてくるが、中国ではお湯がでてきた。中にはトウモロコシ茶が出てくるところもあったが、ほとんどの場合お水を頼むとお湯が出てきた。以前中国人の友人が日本に遊びに来ていて、一緒にレストランに行った際、「なぜ日本のレストランでは冷たい水がでてくるのか?お腹が痛くならないのか?」と言っていたことを思い出した。友人によると、健康のため中国では白湯を飲むのが一般的であるそうだ。夏では氷水がでてくる日本と対照的な文化の違いを体験することができとても面白く感じた。
最後に、中国では七夕に薔薇の花を男性が女性に贈る習慣について。七夕の夜、韓国料理店に行った際、お店の方から薔薇の花を頂いた。薔薇の花を持ってお店の外に出ると街を歩く多くの女性が薔薇の花を持っていた。調べてみると、中国では旧暦7月7日は「恋人の日」と称され、伝統的な記念日であり、男性が女性に薔薇の花をプレゼントするそうだ。また、送る薔薇の本数により相手に伝える気持ちが変わるそうだ。日本にはこのような習慣がないので、とても面白く感じた。
以上のことが私が特に印象に残った事である。他にも中国ではここでは書ききれないほどの貴重な体験をした。日本では中国について多くの報道がされ、両国の関係も深い。そのため、中国についての報道から多くの日本人は中国について勝手なイメージを持っていると感じる。私もその一人だった。譲り合いがなくクラクションが鳴り響く、自己の主張が激しく並ぶ列を無視する。日本人にとってそれがとも不快に感じるのは、日本に暗黙の了解として「譲り合い」と「列の順番は守る」というルールが存在し、中国ではそのルールが全く無視されているからだと考える。だが、その自国ルールに従っていないからといってある国を嫌ったり、嫌悪感を持つことは余りにも自分勝手だと今回合宿に行き、気づいた。日本には日本のルールがあり、中国には中国のルールが存在する。そこには優劣もなく、それぞれの個性と捉えた方が面白いのではないか。今回のゼミ合宿は自分の視点をかえる、私にとって大きないみのあるものであった。

参考
http://www.hirogin.co.jp/lib/kaigai/shanghai/report/s1203.pdf
2015.9.11アクセス

観光学部交流文化学科2年
鈴木 佳穂子
posted by masutanis at 20:54| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教育とアイデンティティ

今回の訪問地は、中国の吉林省(省都は長春)延吉市延辺朝鮮自治州(州都は延吉市)である。名称から明らかなように、この地は朝鮮族により自治が行われている。私にとってこの地が初めての中国であった訳だが、そこには思い描いていたものとの大きな差があった。特に私は、延辺大学のような立派な教育機関があることに驚いた。事前学習の際に、延辺が「教育之郷」と呼ばれているのは知っていたが、私は頭のどこかで延辺の人々の教育水準は、日本に劣ると考えていたようだ。また、前述にあるように、延辺は朝鮮族が中国人として生きている場所である。私は、ここに住む人々のアイデンティティ・クライシスはどのようになっているのだろうか、と非常に気になった。そこで、今回は延辺朝鮮自治州の教育制度について特筆することとする。私は、教育とは人格形成の土台であると考えるため、中国朝鮮族の教育について調べることで、彼らのアイデンティティについても考察することが可能であると考えた。執筆に際して、花井みわ(2011年3月)、「中国朝鮮族の人口移動と教育」、早稲田社会科学総合研究第11巻第3号 を参考とする。
 まず、中国における朝鮮族の人口からその規模を考察する。中国全土の人口は13・57億人(2013年)、中国朝鮮族総人口は約192万人、吉林省には延辺朝鮮自治州を含み約114万人の朝鮮族がおり、この数値は中国の55の少数民族の中で14位を占めている1。現在延辺朝鮮族自治州の総人口は約218万人、この地における民族区分は、およそ漢族60%・朝鮮族40%である2。
中国朝鮮族とは、朝鮮半島から中国に移民してきた、中国国籍を持つ朝鮮民族である。延辺朝鮮族自治州は、中国朝鮮族の民族共同体の中心地であり、他地域の中国朝鮮族は延辺朝鮮族自治州の教育・文化モデルを手本としてきた。中国朝鮮族の民族共同体を維持できた要因は何か。私は、今回の旅でそれが教育システムなのではないかと感じた。朝鮮族は農耕民で、移民してから東北地域で稲作栽培に貢献していたようだ。彼らには元来、子女の教育を重視する傾向があり、村には必ず学校が建てられた3 。この農村部における学校建設は朝鮮民族の民族教育の発展に寄与し、民族共同体の発展にもつながったと考えられる。花井によると、朝鮮族教育共同体には、以下の特徴が挙げられる。@自立を重んじる。A朝鮮族教育は、基礎教育から師範教育、民族芸術教育及び高等教育に至るまでの自身の教育体系を持つ。B朝鮮語を第一言語とし、漢語を第二言語としている⁴。このような朝鮮族教育が維持された結果、朝鮮族の教育は功漢族を含む中国56の民族の中で、最も高い教育水準となった。朝鮮族の学校教育の発達は、朝鮮族の民族文化と言語を継承・維持する上で重要な役割を果たしたことが分かった。
しかし、論文を読み進めると、中国全土で行われた一人っ子政策の影響や戸籍問題などによる朝鮮族の人口移動が、教育システムに大きな影響を及ぼしていることも分かった。現在ほとんどの大学が学生数を確保するために、漢族の学生の受け入れをしている。学校によっては、漢族の学生数が朝鮮族の学生数を上回るところもあるようだ。また花井によると、延辺から毎年4000人以上の若者が大学卒業後延辺を離れ、都市へ就職する。私が現地でお世話になった学生(黄さん)は、黒龍江省の出身であったが、彼女自身も将来は都市部での就職を望んでいると語っていた。また、彼女の両親は韓国のソウルで働いているらしい。日本では多くない家族の別国居住というのは、中国では非常に一般的であるようだ。朝鮮族が中国社会で生きるためには、漢語能力は必須である。そのため、近年は朝鮮族の子供を漢族の学校へ通わせる親も増えているようだ。私は朝鮮語の存続を危ぶんだが、延辺朝鮮族の自民族言語に対する意識は非常に高く、民族教育の特色はまずは自民族言語を学ぶことであり、それがアイデンティティに直結すると考えているようだ。このような意識の結果、朝鮮族は朝鮮語・漢語・英語を操るトライリンガルとなったのである。三種言語に加えて、日本語の学習も盛んである。街中でも、日本留学を推奨する宣伝を良く目にした。
 ここまで延辺朝鮮自治州における朝鮮族の教育について執筆してきたが、これはあくまでも延辺という地域的考察であり、民族的考察までは及んでいないと考える。しかし、中国という国単位で行われる教育政策と共生しつつも、民族教育という個性を潰さない教育にも力を注いでいる姿は、賞賛に値するものだと思うし、日本も見習う部分があるのではないかと思った。日本生まれ育った我々は、民族や国という単位でのアイデンティティ・クライシスに陥る機会は少ないのではないだろうか。その点延辺では、漢族の学校に入学するか、朝鮮族の学校に入学するか、などと家族一体となって考えるのである。この機会というのは、自身について考察するまたとない機会になるだろう。自己分析というのは、人間にとって生きていく上で非常に重要なことだと考える。何故ならば、職業選択の類のみならず、生き方を変えるものだからである。この機会にしっかり向き合った者は、人によっては国や民族の一員という意識が生まれ、責任感が芽生える。この意識は度が過ぎると危険であるが、パワーの源にもなり得るだろう。よくオリンピックなどで、国を背負う、などというフレーズを耳にするが、中国人選手などが発する場合はその重さが日本とではどことなく違うように聞こえてしまう。また、各々アイデンティティについて考えることの意味は、私は自己の確立に直結することにあると考える。何故自己の確立が必要なのか。それを私は、今を生きるために必要だからだと考える。私は、今を生きるという言葉を以下のように定義する。「反応すること」。何か刺激物に出会った時、素早く鋭く反応できるのは、柔らかいものと硬いものとどちらであろうか。無論、硬いものだ。私は、固くなるために自己の確立、アイデンティティの考察が必要であると考える。自分を固くする、というのは一見、一つのものの見方に固執してしまうような、頑固になってしまうような印象を受けるかも知れないが、他人の考えを撥ね付けるための固さを必要としているのではない。比較するための固さが必要だと考えるのである。私は常にフレキシブルな状態でいたいと思っている。アイデンティティの考察とはすぐに出来るものでは無いし、考えれば考えるほどに絡まる面倒なものだと思う。それでいて明確な答えがあるとも限らない未知のものなのだ。しかし、自分は一番自分を知らないとも言えるだろうが、それでも一番自分に近い他人なのだと思う。今回の訪問で、私は自分のアンテナの足りなさも痛感したし、考える力の不足も実感し恥ずかしく思った。舛谷先生と、少しばかり観察する目を養う練習という内容のお話しをさせて頂いたが、本当にその通りだと思う。日頃からの癖漬けが不可欠なのである。
本稿執筆により、教育が民族共同体形成の核であることを再確認し、またアイデンティティの形成についても少し考えることが出来た。また、私にとって未開の地であった中国・韓国が少し身近に感じられるようになり、連日のニュースなどにも、関心が向くようになった。最後に、今回の合宿に際して、舛谷先生を筆頭にお世話になったすべての人に感謝を申し上げる。

<註>
1 許青善・姜永徳『中国朝鮮族教育史』(延辺教育出版社、2009)p.152。
2 延辺朝鮮自治州統計局『延辺統計年鑑』(吉林人民出版社、2007)p.55。(尚、これは
戸籍上の人口であり、居住人口ではない。中国では人の移動は可能だが戸籍は農村戸籍・都市戸籍と区別されており、移動は原則出来ない。)
3 鄭仁甲「中国朝鮮教育共同体反思」金 炳鎬『中国朝鮮族人口問題研究』(民族出版社、2007)。 p.181。
4 鄭仁甲・前掲(註3)p.176。

<参考文献>
・花井みわ(2011年3月)、「中国朝鮮族の人口移動と教育」、早稲田社会科学総合研究第11巻第3号

舛谷ゼミ 延辺合宿 2015.8.16〜23
立教大学観光学部交流文化学科2年 小杉 真奈
posted by 14こすぎ at 13:53| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

延辺合宿 

私は今回の合宿を通して、経験することが一番大事だと改めて感じた。一日目は羽田空港から北京への移動。初めての中国だったので想像しかない状態で臨んだのだが、始めの北京は郊外だったこともあって道がガタガタしていたりお店も古かったりと少し心配になった。しかしながら、お店に入ってしまえば料理の味は口に合うものも多く、また、コップやお皿などの食器が一人分ずつパック詰めになっていたことには驚いた。ホテルで一番衝撃だったのはシャワーとトイレである。ユニットバスなら普通だと感じただろうが、トイレのすぐ近くに給湯器とシャワーが簡素についているだけだったのでどのように使ったらよいのか始めは戸惑った。ホテルではWi-fiが通じていたので、その点に関してはとても便利であった。日本を出国する前にVPNに関して聞いており、そのアプリで登録をしていたのですぐに日本で使っているSNSを使うことが出来たが、VPNを介していないとWi-fiが通じていても全くをもってSNSが使えなかったので、日本とは全然違うなと感じた。二日目は北京から延辺への移動。全く日本語も英語も通じなくて完全なる異国という感じだった。北京のイメージのまま延辺に向かったので、空港に着いた時は街の綺麗さや空気が澄んでいることに嬉しくなった。夜の街ではお店の看板がたいへん明るく、イルミネーションみたいなものもあったので夜景がきれいだった。延辺大学の寮は過ごしやすくて気に入ったが、やはりシャワーとトイレはホテルと同じ感じで日本が恋しかった。寮・大学のトイレにはトイレットペーパーがなく、お店でも置いてないところがあった。また、交通ルールも驚きで、赤信号でも右折車両は進行可能なので安心して横断歩道を渡っていても轢かれそうになったり、何度も大きな音でクラクションを鳴らしてきたりと道路はとても騒がしいという印象を受けた。国は中国であるが延辺は朝鮮族自治州であった為、街の中は中国語と韓国語の両方が表示されていてどこか不思議な気持ちになった。三日目四日目は延辺大学での中日韓朝言語文化比較研究国際シンポジウムの手伝いとして参加した。今回の学会に参加している方はほとんどが日本語を話すことが出来て、日本語が普及して外国の方に話してもらえていると思うと嬉しく感じた。延辺大学の学生さんと話す機会もたくさんあり、発音だけでは通じない部分があったものの、漢字を通して意思疎通を図ることが出来た。お互いに日本語と中国語を教えることが出来たのはとても良い経験だったと思う。文字は読めなくても、漢字を見ればなんとなく意味が分かるような場面も増えていった。学会が終ったあとは帽子山に登った。道は整備されていたもののなかなか暑くて距離もあったが、頂上からの景色は自然が広がっていてとても気持ちがよかった。五日目は長白山見学、六日目は防川国境見学、七日目は朝市に行ったあと尹東柱に関するコースを回った。どの観光スポットに於いても、店員さんの接客態度やお客さんの態度には大変疑問が残った。日本では「おもてなし」の精神を第一として接客が行われているが、この基準で外国に行くとショックを受けることもあるということを考えるべきだと思った。並んでいてもどんどん抜かしたり、遠くにいる知人に大声で話しかけたりと、もう少しマナーを考えてほしいなと思う場面もあった。しかし、全てのお店がそういうわけでもなく、日本好きな方は日本語で話しかけてくれたり、中国語でもジェスチャーや表情で優しく接してくれる人もいた。八日目は延辺→北京→羽田空港への移動。北京空港で二時間近くフライトが遅れたのにも関わらず、アナウンスやお客さんへの対応がきちんとしていないことには残念だった。しかしながら、安全に日本へ帰国することが出来たので良かったと思う。
一週間日本から離れて過ごしてみて、やっぱり日本は大変恵まれている環境だと感じた。日本に帰りたいと思うこともあったけれど、徐々に延辺での生活も慣れて食事はおいしいものもあったので、最終日にはもう少しいたいと思うようになっていた。日本の観光事業を考える上で、日本を訪れている人の気持ちになって色々な場所に行ってみたら、これからさらに発展させていけばよい点が見つかるのではないかと思う。楽しかった部分も、いやだと思った部分も、日本では経験できないことを体験できたのでとても貴重な一週間だった。
井上華奈穂
posted by masutanis at 15:01| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月04日

中国と日本の価値観の違いと英語について

私は、中国に約1週間ほど滞在した中で特に気になった、中国と日本の価値観の違いと、英語について考えていきたいと思う。
まずは接客に関して、サービスの違いを感じた。具体的には飲食店などで、私たちが中国語を全く理解できないとわかったら、あからさまにいや顔をしたり、食事を提供するときに無言で雑にテーブルにおいていったり、まるで怒っているのかと感じてしまうほどのところもあった。また、北京空港では飛行機が2時間ほど遅れているにも関わらず、グランドスタッフはwechatや携帯ゲームをやっていて、飛行機が遅れているとクレームが入っても、私たちにはどうすることもできないから関係ないといった様子で、私は少々驚いてしまった。しかしよく考えてみると、これは中国の国民が不親切であるとかではなくて、「普通」の基準が違うからなのではないかという考えに至った。日本では「お客様は神様」という言葉にもあるように、常にお客様のために全力を尽くすのが一般的である。自分自身もそれをよく心得ているし、幼いころからそのようなサービスを受けているから、それが当たり前であると思っている。だから自分が飲食店でアルバイトをしていて、もしたとえ自分のせいではなくても店の不手際でお客様に不快な思いをさせてしまったら謝るし、笑顔もふりまくし、きちんとおもてなしをする。これが日本の「普通」である。それに対し中国はラフな対応で、しかしそれが彼らにとって「普通」なのだ。お客さんもそれが「普通」だと思っているから、特に気にならず、不快に感じることもない。このように、育った環境の違いで何が「普通」であるかというのが違うので、こちらの「普通」を観光客の立場で中国側に押しつけるのはよくないのではないかと感じた。
次に、延辺で英語があまり通じないことに驚いたので、その点に関して少し調べてみた。中国の英語教育は、すでに2001年の時点で小学校3年生からの必修化されているらしく、これは日本以上の量と質と言われている。ではなぜ延辺ではあんなに英語が通じなかったのであろうか。それは延辺の位置と何か関係があるのではないかと考えた。延辺は吉林省朝鮮自治区というところに属していて、中国の中で北朝鮮、ロシア、韓国、日本まで一番近い所にある。そして、民族別人口では漢族の人口が最も多く、全体の57%を占め、その次の朝鮮族は約40%を占めている。町の看板にはハングルと中国語どちらも表記することが法律で定められていて、中国なのか韓国なのかわからなくなってしまうほど町は韓国のものであふれていた。現地の学生に、「なぜこの地域の人々はこんなに英語が通じないのか。」と尋ねると、「この地域では英語よりも朝鮮語ができる方が暮らしの役に立つし、英語を使う機会があまりないから英語を学校で習ってもすぐに忘れてしまう。」と言っていた。延辺は観光地として世界によく知られているというわけではないし、実感として特に西洋や欧米からの外国人観光客が極端に少ないことを感じたので、あまり英語を話す観光客と接触する機会がないために、英語での対応に慣れていないのではないかと考えた。
日本と中国は隣の国であるにも関わらず、お互いがお互いのことをよく思っているとはあまり言えない状況である。実際に私自身も、中国で生活する中で嫌悪感を抱いてしまったこともたくさんある。だが冷静に考えると、すべて自国を基準に考えるのではなくて、その国の状況や土地柄、歴史的背景、文化など、いろいろなものを考慮したうえで、相手を理解しようとする心が大切なのではないだろうかと思った。旅で得た印象を、いい悪いではなく、考察的にとらえられるような人になりたいと考えさせられるようなそんな旅だった。

野原ほのか

参考文献
・Sience Portal China現代中国における英語教育(2015.9.4 閲覧)
http://www.spc.jst.go.jp/experiences/education/education_1304.html
・中国朝鮮族の民族語に対する言語意識からみる アイデンティティの考察
――延辺大学における質問表調査を通して 趙 南実 (論文)
posted by masutanis at 12:32| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko14 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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