2010年10月12日

グアム合宿

私は今回、リゾート地といわれる、いわゆる「王道の観光地」に初めて行くこととなった。
ゼミ合宿や語学研修などでしか海外に行ったことがない私にとって、多くの観光客が遊びに行く観光地とはどのような魅力があり、研究や学習を目的としない観光客が何を求めてグアムを訪れるのか大変興味があった。

結論から述べると、研究、学習などの知的好奇心を刺激するようなものがグアムにはたくさんあったが、遊ぶことだけを目的とするならばグアムに観光地としての魅力をあまり感じられなかった。
そこではイメージだけが商品として存在していた。観光客はイメージしていたものが提供されることに満足し、自ら新しい観光資源を探したり、「グアムでないとできないこと」を求める姿勢はないように思えた。リゾート地にきてそんなことを考えるような日本人は少ないのだろうが、今回グアム観光について学習し芳賀さんのお話を伺ったあとでは、そのようなイメージ通りの観光だけしている日本人観光客をとてももったいないと感じた。

はじめは私も他の観光客と同じように「リゾート地グアム」しか思い描いていなかったが、今回の合宿の中で学んだ「海岸以外の自然、戦跡などのリゾート地以外の側面」は自分たちで積極的に調べない限り見えない、気づかない、いわば隠された側面だということに気付いた。提供されている作られたイメージを超越する「本物」を見つけるのは、一般の観光客にとっては難しいだろう。

グアム観光の今後を考察し、観光地としての可能性や観光客側のあり方についての見解を述べたいと思う。

<グアム観光の現状>
現在グアムに訪れる観光客の約6割は同じ行動をとるといわれている。パッケージツアーが7割を占め、観光形態はマンネリ化してきているといえる。ホールセラーではなくFITの割合を増やすことが重要だと考えるが、そのためには多様な観光資源が必要である。イベントや他の観光地を真似た一時的な資源ではなく、コンスタントに顧客を誘致することのできる資源、システムが必要である。
また観光が第一産業であるグアムは他国の経済状況に大きく左右される。その顧客の最も多くを占めるのが日本人観光客であり、よってグアム観光は日本人に特化しものとなっている。しかし一国に頼った経済状況というのは極めて不安定であり、グアムは日本以外の顧客を獲得する必要がある。westinの土肥さんによると、次のターゲットは韓国人であるという。しかし韓国人観光客の人数は多くとも日本人の方がお金を持っており、日本人向けの質の高いツアーやホテルに韓国人は満足するが、韓国人向けに安価に設定したツアーでは日本人は満足できず、結果として利益が多くあるのは日本人向けのツアーであることからもグアム観光やホテルは日本以外の国の観光客に特化したシステムを発展させることがなかなかできないでいる。
幅広い顧客を確保していくためにも、現在の「青い海、ショッピング観光」の形態から抜け出し、新しい観光資源を開発することが求められている。

<新しい観光形態>
新しい観光を考えるとき、それは持続可能かつ、グアムならではのものでなくてはならない。グアムはその歴史から独自の文化を精力的に発展させていくということがなかった。宗主国が幾度も変わったこともあり、順応性はあるが変わりに独自性は欠落しているといえる。そこで今考えられる新しい観光資源の創造には2つの方法があると考える。1つ目は時間はかかるかもしれないが、有名施設などの建設を行い、グアム独自のものとして売り出すことである。しかしこれには「ニセモノ観光」となる恐れが伴う。グアムならではの本物を求めてやってくる観光客に、後から人工的に作られた観光資源が受け入れられるかは疑問であるが、現在のグアム観光自体が人工的に作られた観光形態であることを考えると(それを知る日本人観光客は少ないが)、ニセモノが時間を経て本物となることも可能であろう。
そして2つ目はグアムの「歴史、文化」を観光資源とするものである。その一例として今回私たちが行ったような「戦跡観光」が挙げられるだろう。現在のグアム観光には「made
in
Guam」が非常に少なく、その点にグアム観光のポテンシャルを発掘する可能性があるのではないかと考えられる。チャモロ文化の見直し、植民地ならではの偏った、特殊な文化的発展、戦争の歴史、青だけでない緑の観光。掘り下げて整備すれば十分に観光資源となる要素がたくさんある。これらをいかにして売り出すかが重要になってくるだろう。芳賀さんがおっしゃていたように、観光ビジネスを持つ者がローカルの誇りとなるような開発を行うことが求められている。そういった観光を考えた時、今回私たちが体験したような戦跡観光やトレッキングは日本人がグアムの歴史を考える観光の一部としてもとても大きな役割を担うだろう。

日本人は芳賀さんがおっしゃるように戦争を悪とし、その内側にある真実を知ろうとしない傾向にある。私たちは戦争を体験してはいないが、幼いころから戦争についての教育、平和学習を受けてきた。私の受けてきた戦争教育では兵隊さんの心境や家族の想いといったことよりも、いかに戦争が悲惨であったか、恐ろしいものであったかということが強調されていたように思う。戦争に対するイメージは恐怖であって、平和学習はいつも「二度とこんな恐ろしい戦争を起こしてはならない。多くの亡くなった方たちのためにも平和を守り続けましょう」という内容で締めくくられた。「戦争はいけないこと、怖いこと」といイメージだけが植えつけられ、なぜ戦争が起こったのか、どうしてあそこまで大きな戦争になったのかといった歴史の背景や当時の風潮に関しての知識はとても乏しいのが実情である。今回の合宿ほど「戦争」をリアルに感じたことはなかった。自国の歴史のことなのに知識もなく、調べようとする姿勢すらなかった。知らないうちに戦争を重いテーマだと考えて戦争関係の番組や映画は「気が重くなる」と、むしろ避けていたようにも思う。芳賀さんがお話の中で何度もおっしゃる「英霊のために語る」、「兵隊さんがかわいそう、浮かばれない」、「彼らのおかげで今がる、兵隊さんありがとう。彼らの情熱を伝えたい」という言葉や発想は自分にないものであった。戦う兵隊さんの心情、軍の判断、家族の気持ち、戦争はそういった多くの人間の心情が交錯した出来事であり、決して簡単に善悪で語られるものではない。戦争を体験していないからこそ、戦跡観光は心の中に入り、自分とリンクさせられるようなものでなければならないと思う。ダークツーリズムは得てしてネガティブなイメージを持たれがちだが、大切な歴史の一部として紹介することが大切だろう。

これからのグアム観光を考えた時、グアム側はダークツーリズムのポジション、誘致方法を考える必要が出てくるが、同時に日本側も戦跡観光に対する意識改革が必要となるだろう。観光においては芳賀さんがおっしゃるように、感情の行き来があること、能動性が求められる。新しいグアム観光を形作っていくためには、観光客側の積極的な行動が必要不可欠となる。今の「リゾート観光」から「戦跡観光」へと観光客の目を向けさせるには時間がかかるだろう。新たに芳賀さんのように非戦争体験者の語り手が現れるのは難しいかもしれないが、芳賀さんのお話を聞いた人たちがそれぞれにまた語りを広げていくことでグアムと日本を繋ぐことはできるのではないだろうか。

今回の合宿を通して、グアムという観光地の歴史、日本とのつながり、これまでの観光、これからの観光のあり方などを学習することができたし、実際に見たり聞いたりすることで「観光」というもの自体を考える機会にもなった。
今後リゾート地グアムがどのような発展を遂げるのか注目したい。「リピートするかどうか」は今のところ「リゾート地グアム」にもう一度行きたいと思わないが、トレッキングの滝つぼダイブをしには行くかもしれない。

最後に合宿係りの愛梨、さとえり、ちーちゃん、たくさん調べて貴重な体験をさせてくれた浜ちゃん、お話してくださった芳賀さん、ありがとうございました。

手島智美
posted by masutanis at 17:03| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月11日

エジプト旅行〜トラブった編〜

それは私が小学1年生くらいのことだっただろうか。家族でエジプトへ旅行に行った時のことである。エジプトといえば有名なのはギザのピラミッド。それはエジプト国王の墓として知られているが、今から何千年も前、もちろん科学技術など発達していない時代にどうしてあんな巨大なものをいくつも作ることが出来たのか、未だ多くの謎に包まれている。観光客はその墓の中に入ることが出来るが外から見る壮大さとは打って変わり中は暗く肌寒く、その上歩く通路の幅は狭い。両親や姉が身をかがめて歩く姿を横目に当時幼く小さかった私はそんなことはお構いなしにズンズンと奥へ進んで行った。ピラミッドへはラクダに乗って行くのが普通であるが、行きで不安定なラクダの背なかにすっかり怖気づいてしまった私は、ピラミッドからの帰り道、歩くことをチョイス。母が乗ったラクダの綱を引いていたお兄さんに手をつないでもらい、ラクダには乗らずに歩いて帰ったことはここだけの秘密にしておいていただきたい。
 事件が起きたのはその次の日の朝だった。朝目が覚めてから、「おはよう」を言いに両親の下へ行った私の顔を見て母が叫び、父も目を丸くした。
「あんたその顔どうしたの。」
何事かと思い浴室にかけこんだ私を待っていたのは、顔中を赤いプツプツに侵された私の姿であった。一瞬誰かと思ったが私であることに間違いはなかった。
「昨日の夜食べたザクロにあたったのかしらねぇ。」
なるほど、そう言えば昨日の夜に家族皆でザクロを食べた。いや、待てよ。もしそれが本当だとしたら家族全員に発疹が出ても良いはずだ。しかしこの赤いプツプツに侵されたのは私と姉の二人だけなのだ。
「でも発疹が出ているのは顔だけで体には出てないわね。」
うむ、確かに体には出ていない。ん? この痒みは一体何なのだ。

 そんなこんなで家族会議を30分ほどした後、私たち娘が侵されたこの赤いプツプツの原因が何と蚊に刺されだということが判明。体は布団の中に入っていたため刺されなかったというわけだ。それにしても顔だけで20か所以上刺されるという経験はその当時6年間生きてきた中で初めてだったし、20歳になった今も経験したことがない。エジプトに行った思い出というと家族の中で真っ先に出てくるのはその話であるが、今となっては笑い話だ。
 あの時、日本のお化け代表である“お岩さん”と怖い顔対決をしていたら勝っていたのは私であっただろう。


2年 文室早百合
posted by 09ふむろ at 17:22| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月10日

私が今までで一番苦労した旅行

私は高校3年生の学校のない2月の間を利用して、オーストラリアに2週間の超短期留学をしに行きました。私は小学4年生の時からテニスに打ち込んでいて、さらなるレベルアップを目指しテニス留学という形で一人でオーストラリアへ行きました。とにかくテニスがうまくなりたい一心で決心したもので自分が英語が全く話せないことなど考えもせず留学してしまったため、現地についてからというもの非常に苦労をしました。
わたしは出発をする際、万全の準備ができているという勘違いのもとオーストラリアへ気持ちよく出発しました。しかしそれもつかの間、現地の空港についていきなりトラブルを起こしてしまいました。乗り換えをする際、今自分がどこにいるのかわからない状態の中、荷物を違うターミナルで預けてしまいました。荷物を預けた後に乗り換えをしたいのに一向に自分がいるターミナルの中に自分が乗るはずの乗り場がないのです。どんどん焦り始めた私は半べそ状態で走り始めました、途中グランドホステスの方に自分のチケットを見せて案内の催促を試みたが・・・何を言っているのか全くわからない。とりあえずOK!Thanks!とだけ言ってまた半べそになりながら走り始めました。どんどん飛行機が出発する時間が迫っていました。そしてようやく日本人スタッフを見つけました。日本人スタッフの方に乗り換えは違うターミナルであることを聞き、急いで移動しました。あっ・・じゃあさっき預けた荷物は・・。僕は先ほど預けた荷物を日本人スタッフの方と一緒に死に物狂いで探しだしました。しかし荷物がない。もしかして違う飛行機にのってどこかへ飛んで行ってしまたのかという疑惑のなか必死に荷物を探しました。そして1時間後、ようやく荷物が見つかりました。僕とスタッフさんはもうへとへと。僕は準備が万全だという勘違いのおかげで乗り継ぎの飛行機に乗れませんでした。すぐにチケットを変更していただき、次の便で乗り継ぐことになりました。つい何時間前までのあのうきうき感は何だったのだろうと思いながらやっと飛行機にのり、目的の場所アデレードに到着しました。この時感じたことが、留学は日本での準備の時点から始っているということでした。
私は幸先の悪いスタートになりましたが留学をスタートさせました。アデレードについた時点ですでにへとへとでしたが、その日は手続きや挨拶を済ませたあとお世話になるテニスクラブで軽くテニスをしホームステイ場所へと行きました。出迎えてくれたのはボスニアヘルツェコビナの老夫婦でした。とても優しそうな2人は暖かく迎えてくれ、夜には近くのカフェでパンケーキをご馳走してくれました。
そして次の日からついにトレーニングが始まり、始まりは朝の8時から終わりは夜の6時まで練習やトレーニングに励む日々が続きました。とても厳しいトレーニングばかりでしたが本当に一日一日が充実していました。オーストラリアの練習は日本とは違いとてもアットホームな雰囲気の中一人一人が自由に楽しくやっているイメージでした。当時日本で私が通っていた高校の練習は非常に厳しく自主性もなく、完全に監督の支配下の中で息詰まる練習、生活を送っていました。そのためなにか自分が解き放たれた感覚になり自由にトレーニングに取り組める幸せを感じながらのトレーニングをすることができました。また練習やトレーニングは幸先が悪かった割には非常に充実していた反面、私は自分の英語の力のなさでかなり苦労し、もったいないことをしました。ホームステイ先ではうまくコミュニケーションがとれず少し引きこもりがちになってしまいました。また練習でもせっかくアドバイスをいただいたのに理解することができず自分のものにすることができませんでした。私はむしろ英語やコミュニケーション能力の乏しさにより苦労したというより損をしたわけです。そしてここでは一人一人の自主性を大事にしすべて自分で管理し早い年齢から独立した人間性が確立されているなという印象を受けました。一人一人の自己主張の強さもとても印象的でした。ここでは日本のように過保護に扱われることはないので自分からアピールして意見を伝えなければ理解してもらえない現実が存在していて、その点が自分が一番苦労した点でもありました。しかし関心したのが自分よりはるかに幼い子供たちが堂々と自分の意見を主張している点でした。ここに文化の違いを感じるとともに刺激を受けました。
私はこの留学で技術以外のことで多くのことを学ぶことができました。まずは準備の大切さ。準備にはもっと慎重に時間をかけて取り組むべきでした。そして自己アピールすることの大切さ。日本では協調性が重視されることが多いため自分の意見があったとしても周りに合わせるといったケースはよくあります。私もそれは正しいと思っていましたがオーストラリアでの経験により、この常識を見直すことができました。私はもっともっと海外に出て一つでも多くこの常識を見直す経験をしたいとこの留学を通じて感じました。
話題がなく旅行ではなく留学に関するものになってしまいました。申し訳ありません。


2年 松沼豊人
posted by 09まつぬま at 00:41| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月09日

日本は誰のもの?


万博についてのみに焦点を当てて報告したいと思います。

突然ですが、正直な話、誰もが少しは思ったかもしれませんが中国館やサウジアラビア館に比べるまでもなく、僭越ながら日本館は満足のいくものではなかったです。特に私はそう感じました。

当然、万博はもちろん上海合宿は非常に貴重な体験であり大学2年の時にゼミ合宿として仲間とあのような経験をできた事は本当に大切なものを頂けたと考えています。

だけどもここでは敢えて勉強として上海合宿でいちばん強く感じた事、つまりは私が上海万博に行って日本館を観た事での思いを述べたいと思います。

……とにかく、私は日本館の出来,内容に納得する事ができなかったという話です。

「4時間弱並んで自分としては満足できる内容でなくて残念」や
「ディズニーのアトラクションのほうが楽しめたのではないか」
といった個人的に楽しめたかそうでないかという問題ではなく(実際、非常に楽しませて頂いた)

ただその楽しみ方は自分の中で興味のあるテーマを発見する事ができて、それを考える楽しさだったという話です。


とにかく私は、日本館の最後で演劇が終わった後に外国人観光客が「つまらなかった」と言った事が、自分の事を言われたように辛く、それについて考える事がたまらなく面白かったです。

「万博来場者からすれば日本館≒日本になってもおかしくない」

「日本のイメージ,文化,主張は、この日本館によってのみ形成されている」

「それは、この日本館の作成に携わった人達のみが万博における(世界における)日本の像を形成する力がある事になる」

「昔から万国博覧会といえば各国に自国の文化や技術を紹介する絶好の機会であり、どこも国を挙げて素晴らしいパビリオンの完成を目指した。現代でも自国の国力顕示が一番の目標に目指されているのか」

「全て物事の目的は人それぞれに思うけど、万博は,日本館は何を目的とされているのか。万博のテーマは『より良い生活を』といったものだったが、日本館は従来通り(?)日本文化の紹介,国力顕示が目指されていたのか。」

「だとしたら、私からしたらもっと顕示すべき国力は日本に多様に存在すると思うし、言ってしまえば間違っているようにさえ思う(正解とか存在しないはずですが)」

「日本館は誰が何を思ってあのように造られたのか。もし例えば日本館に性的な出し物が大量に用意されていたら、外国人に日本は好色な文化というイメージを容易に植え付ける事ができるのではないか(その真意はさておき)」

「国力顕示を、文化紹介を目指したパビリオンだとしたら『つまらない』と言われる事はこの上ない失敗ではないのか?」

…そのような事を思いながら、万博の持つ影響力や目的,意識の問題。人によって異なる基準の難しさや、自分の『日本を大切に思う気持ち』など、色々な価値に気づかせて頂きました。

だからこそ、私は自国のパビリオンを「退屈だ」と言われた事がとてもショックでならなかったです。

例えばの話、もし私が日本館の総監督(?)になれるとしたら、もちろん日本を『自分の考える』最高の形で表現したいです。
例えば万博来場者は足が疲れている人が多いであろうから、ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドのような低速の乗り物に乗りながら周囲で日本文化を主張する事で『日本=心地よい
』という印象を与える事のできる建物をつくりたいと考えたりしました。

ただ、それと同時にまた日本館の関係者は彼らなりの『最高の日本』をアピールするためにあのパビリオンを作ったとも考えられる話で、
『ただ、それは私の考えるものとは大きく嗜好が違う』…もはや、好みの違いにも思いました。

例えば、天皇が総指揮を執ったからと言ってその日本館が『誰の目にも最高な日本館』になるわけがない。絶対的な最高なんてどこにもあってはいけないと私は考えています。

私は、私の力で私が最高と思う日本の像を異国文化に届けたい。

この変な愛国心にまみれた思いの確認が、上海万博で私が強く思った事です。

否定的な視点でいる事は申し訳ないし子供っぽいとも言われるけども、現状に否定的な視線を送り続けるなかで、私はより良いと自分で考える将来を築いて自分で納得したいです。

ゼミ合宿、ありがとうございました!
舛谷ゼミ 2年 遠藤 圭介
posted by masutanis at 14:55| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上海合宿

 投稿遅くなってすみません。私が今までで一番大変だった旅行として上海合宿の感想を書こうと思います。詳しい日程は他の方を参考にして頂くとして、印象に残った出来事だけ書いていきます。

【言語】
 私は第二外国語として中国語を選択しているので、この合宿でどれだけ中国語を話せるかを個人的なテーマにしていました。と言いながらもどうせ実際使うのは英語なんだろうなあと思っていたら、驚くほど英語が通じない!有名な観光地の店員さんですら簡単な英語も話せないなんて、欧米人の方々は一体どうしているのでしょうか。万博のインフォメーションセンターですら英語が通じず、英語でおみやげ屋さんの場所を聞いてもお姉さんは困った表情を浮かべるばかり。むなしく響くわたしの「Where is a souvenir shop?」の声・・・。見かねた隣のお姉さんが後ろからお兄さんを呼んできてくれほっとしたのもつかの間、お兄さんに「どうしました?」と流暢な日本語で聞かれ、日本語が通じるなら早く言ってくれよと思いました。
 また万博の地図で各パビリオンの国名がすべて中国語で表記されていることも非常に困りました。漢字だけ見てどこの国かを当てるというクイズで最初は盛り上がりましたが、答えがわからないためすぐに飽き、地図はそのまま鞄の奥底へ。万博という世界的なイベントなのだからもう少し言語に対する配慮が必要だと感じました。それとも私がもらった地図がたまたま中国語表記だっただけなのでしょうか?
 そんな環境なので、必然的に中国語が求められ、数少ない中国語の知識を総動員しての旅となりました。はじめは発音や文法に自信が持てずほとんど話せなかったのですが、次第に慣れてきて(開き直って?)お店の人に値引き交渉をしたり、私たちだけでタクシーに乗ったりと簡単な会話ができて嬉しかったです。
 また、唯一と言っていいほど私が覚えていた中国語「过奖、过奖」(褒めすぎ、褒めすぎ)。1度使ってみたいと思っていましたが、日本でもあまり褒められない私が果たして中国人に褒められることはあるのでしょうか。日程が終わりに近づき、この単語を使うのを半ば諦めかけていたそのとき、現地の学生が私に「いつもみんなの中心にいるね」と言ってくれたのです!すかさず「过奖、过奖」と言うと、彼女は笑ってくれました。この旅で1番嬉しかった出来事かもしれません。


【上海の街と人】
 日本にも「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という言葉がありますが、中国の交通マナーの悪さは本当に驚きでした。信号おかまいなしに隙あらば、いや隙がなくても進もうとするのです。信号は申し訳程度にあるだけでした。クラクションが怒声のように飛び交っている様子は、はじめはとても怖く、マナーの悪さに苛々していましたが、人間何事も慣れるものですね。1週間もすると信号無視に対する罪悪感は消え去り、少しの隙を見つけるとそこから道路を横断するようになりました。人間の適応能力には驚かされます。
 また中国人は態度が悪かったです。まず衝撃だったのがコンビニ店員の態度の悪さ。通路でぶつかっても謝らないし、レジでは小銭で支払えと勝手に財布を奪う始末。バスの運転手は横柄だし、レストランの店員も態度がでかいしで、日本ではあり得ないことだなと思い、愛想笑いという文化が日本独自のものだと改めて気付かされました。しかし案内してくれた華東師範大学の学生さんは本当に親切で、以前中国語の授業で、中国人はお客さんをもてなすことにとても力をいれると教わったことを思い出しました。彼らもコンビニでアルバイトしたら、あのような横柄な接客態度をとるのだろうかと思うと、なんだか不思議な感じがします。
 上海の食事はあまり私の好みではありませんでした。日本では中華料理は大人気で私もよく食べるので、本場で食べる中華料理を楽しみにしていたのですが、私が想像していたものとかけ離れていました。よくわからない食材がよくわからない香辛料で味付けしてあり、食べられなくもないけど好んで食べたくはないようなものがずらりと並ぶ中華テーブル。この調子で1週間やっていけるのかと正直不安になりました。しかしそんな中でも気に入る料理はあるもので、華東師範大学の学食で食べたとうもろこしに衣をつけて揚げたおかし?は個人的に大ヒットでした。やめられない止まらない、あとをひく美味しさで中華テーブルを回す手が止まりませんでした。とうもろこしの甘さと衣の甘さが奏でるハーモニーが絶妙で、思い出すだけでもまた食べたくなってきます。日本に帰ってから【とうもろこし 中国 お菓子】で検索したのですが、うまくヒットしません。せめて料理名だけでも分かれば・・・。
 日本で食べる中華料理は日本人向けの味付けになっており、中華料理とはまた別モノで、日本と中国の文化が混淆して新たな食のジャンルとなっているように感じました。



 上海は高いビルや綺麗な夜景が存在する一方、中国の歴史を感じさせる場所もあり、新しさと古さが混在したとても魅力的な街でした。前進していく強い力のある上海のような街で暮らし、発展を体感できたら素敵なことだろうと思います。上海万博によってごみのポイ捨てがなくなりつつあるように、文化や経済が発展していくとマナーやモラルも向上していきます。10年後にまた上海を訪れたときに、街並だけでなく生活している人がどのように変わっていくのかも興味深いです。個人的に今の中国人の図々しさは好きなので、寂しくも感じますが・・・。

ゼミ合宿からもう1か月も経つんですね。細かい思い出は消えていくのに、私はいまでも中国のアニメの映像が頭から離れません。海宝くんと気持ち悪いパンダが恋しいです。




2年 毛塚悠香里
posted by 09けづか at 05:20| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゼミ上海合宿(本番)

約一か月前に私たちは上海にゼミ合宿に行った訳ですが、そこでの出来事について印象に残ったことをジャンルごとにまとめて書いていきたいと思います。また、それぞれ予想外だったことなどについても触れていきたいと思います。

@食べものについて

上海に行く前、中華料理と言えばエビチリ・麻婆豆腐・チンジャオロース・餃子などが出てきますが、実際に中国に行ってみてそれが日本人特有の゛中華料理゛だったことに気づかされました。私たちが向こうで食べた物はあら汁・脂っぽい炒め物・日本では馴染みのない食材を使った料理など、私たちがほぼ初めて見たものばかりでした。日本人と中国人の間にやはり微妙な感覚の差があるように味覚にも差があるようで、お世辞にもおいしいとは言えないものも多々ありました。また、比較的おいしいと思っていたあら汁でさえも味噌汁には断然劣ると思ったし、炒め物だって日本の調味料で味付けされたものの方がおいしいと思ったし、中国人にとって馴染みのない日本特有の食べものである納豆や生魚なども中国のものよりは百倍ましではないかと思ってしまいました。やはり、日本の食べものはすごくおいしかったのだと改めて感じました。しかし、ひとつ疑問点が残りました。先ほど味覚の違いを話に出しましたが、では中国人の味覚からすると日本の料理はどう感じられるのでしょうか?やはりおいしいのか、はたまた中国の現地の料理の方が舌になじみ深くておいしいと感じるのか……。ぜひ調べてみたいと思いました。


A中国人のマナーについて

これは私がこのゼミ旅行で最も苦戦したことの一つでもあります。
〜コンビニ編〜
T…100元札で5元くらいの商品を買おうとしたところ(日本で言う1万円札で100円のものを買う感覚)、「無理無理」と取り合ってくれなかった。私はそれが客をなめきったような態度に感じてしまい、非常に腹立たしく感じた。
→日本ならば、絶対に想定して用意してある。たとえ無理にしてももっと言いかたがあるだろうに。

U…夜コンビニに行ったところ、たぶん客があまり来ないと思っていたのだろう、フロアに座るものを持ち込んで店員全員がトウキビを食べていた。私たちが来店したのに気づいたにも関わらず食べるのをやめない、およびわたしにも勧めてくる。
→こんなことは日本では考えられない。誰もする人がいないし、しないが常識として日本人の頭にはあるから。しかし、みんなの常識が違えば立ち振る舞いの大きく変わってくる、怖いけどある意味興味深い事柄に触れたと思った。

〜交通編〜
T…バイクが多い、みんな信号を守らない、運転が荒すぎる。上でも書いたように、それが中国では普通のことなのでみんながそうしても批判されないし、誰もが同じようにひどい状況を受け入れ、実行している。
→交通ルールがあってみんなが割と守っている日本、その安全な国で暮らす快適さを中国の人も分かったら絶対真似したくなると思うのになあ

U…電車での出来事。満員電車の扉付近に立っている人が駅で停車したときに降りたい人や乗りたい人に場所を譲らず踏ん張ってその場から絶対動きまいとする。
→日本はやはり「ゆずりあい」の心を誰もが少しずつでも持っている良い国だと再確認し、日本に生まれてよかったと思った。日本では扉付近の人は一旦降りたりして降りやすいように乗りやすいように気を使う人も多い。当たり前のことだと思っていたが、やはり素晴らしいことだと思った。


このように、中国旅行で中国の日本との歴然とした違いに大いに戸惑ったが、そのおかげで日本の良さを再確認出来たという点ではとても有益な旅になったと思う。しかし、ただ中国の悪いところをみて嫌な気持ちになっただけではない。一見横暴に見える中国の人々の態度も、立ち止まって譲ってばかりいたら置いていかれてしまうという強い気持ち、なにに対しても挑戦的に向かっていくエネルギーの表れなのだということも分かった。国が違えば、国民の考え方や態度も全然違ってくるのだというのを、理屈だけじゃなくて実際に体験できたのは一番良かったことではないかと思った。


2年 阿部
posted by 09あべ at 02:08| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月04日

モンゴル合宿(2010.8.16-23)

遅くなりましたが・・・
モンゴル合宿で感じたこと、主に3点に分けて書きます!

1.【言語】
一番驚いたのが、言葉の壁。
私達が交流していた人たちが、日本語学科の人たちであるからこそ気付きにくいこともありましたが、世界の共通言語となっている『英語』が通じなかったことに、衝撃を隠せませんでした。

まず私が「留学生用寮」で、オートロックをかけてしまい寮の管理者に「鍵をあけて欲しい」ということを伝えたところ・・・英語が通じない!!!
なんとか、ジェスチャーで「部屋が開かない!鍵がない!」
と伝えたところ、紙とペンをおもむろに取り出し、部屋番号を書け!(というニュアンス)を言われました!
その後、ナラやモンゴル大学の学生が来て通訳をしてくれたおかげで、意思の疎通ははかることができました。ただの寮ではなく、留学生寮なのに・・・いいのか?と疑問にも思いました。

また、このような言語の厚い壁は寮だけではなく、お土産を買いに立ち寄った大きなスーパーでも感じ、モンゴルではまだまだ「共通語としての英語への意識」が少ないと感じました。(日本人も話せないのですが・・・笑)

※青年海外協力隊21年度1次隊としてモンゴルへ来ている方のブログにも、現地のお医者様は日本人の医者よりも英語が読めず、英語の説明書が読めない為に医療機器を使いこなせていないという実態が書いてありました。以下↓
http://blogs.yahoo.co.jp/mayu55122/16430491.html

2.【食】
次に、学生とのディスカッションのテーマでもあった、「食」です。
まず驚いたことは、『主食=肉!』
現地の人が言うのだから間違いないのですが、とにかく肉を食べるのだそうです。
でも思っていたほど羊肉を食べたわけではなく、牛肉も食べるそうです。(実際に羊・牛肉を良く食べました)
しかし、羊肉ではなくても羊の臭みを感じることがあり、モンゴルでボランティアをしていた人に伺ったところ、「羊の脂」を料理に使うそうです。
ちなみに、全てのモンゴル人が羊肉を好んで食べるわけではなく、ソコは牛肉の方が好き!と言っていました。

3.【イケメン】
最後に、今日本では韓国ブームが起きていますが、モンゴルブームが起こらないのはなぜか?
まず、第一にインフラも整っていないし、観光者が行きにくい場所であること、第二にモンゴルでのエンターテイメントが日本にまで伝わらない、もしくは日本人受けしないこと、そして最後に、日本人とモンゴル人ではかっこいいと感じる異性への趣向が違うことがあげられると感じました。(私の個人的主観が大きく入っていますが・・・笑)

ニニさんの弟さん(モデル)も、日本人が「格好いい☆」と感じる外見ではないと思いました。
確かに背が高くモデル的な体系なのですが、日本人や韓国の人が好むような細マッチョ系はあまり見かけませんでした。

日本人は西洋人や欧米人の体系や、容姿にも憧れを感じ、時には「かっこいい」と思うこともありますが、モンゴルで会ったイケメンは、日本人が思わず「かっこいい」と思ってしまうタイプとは違った傾向があると感じました。

【まとめ】
まず、『言語』ですが、観光化、外部からの人を今後受け入れたいという姿勢があるのであれば、言葉の壁はこれからのモンゴル全体にとって課題となると考えます。
次に、『食』文化は主食が肉でありながら、ボーズなどパン生地に挟まれた肉料理であり、また全てが羊の肉であるわけではないので、むしろモンゴル料理が世界に広がればもっと外部の人も親しみを持って、モンゴルに行って食べてみたい!と感じることも増えると考えました。
最後に、『イケメン』(異性への趣向)ですが、これはまずはモンゴルの俳優や歌手の情報をモンゴル外の人が知っていくことで、女性だけに捉われず、男性がモンゴル女性に魅力を感じ、それをきっかけにモンゴルへの興味も高まっていくのではと考えました。
異性への憧れからその国への憧れに発展することもあると思います。

今後、モンゴルが観光地として成功していく為には、外への広報や自国に対する外部者を受け入れる意識の拡大をはかる必要性があると考えます。

4年 山崎絵美
posted by 07やまざき at 16:51| 埼玉 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko07 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グアム合宿

9/14からグアム合宿にいってきた。
先生も行ったことのない国ということでどんなかんじになるのだろうと思っていたが、すごく楽しく、勉強になり、充実した6日間を過ごせた。
やはり合宿へ行く前はグアムといえばビーチやショッピングというイメージを持っていたが、今回の合宿でそのイメージはがらりと変わった。様々な場所にあった戦跡が実際にそこで戦争があったということをひっそりと伝え続けていて、そこから車を走らせてタモン湾付近に戻ればそのことを何も知らずに日本人がビーチやショッピングを堪能している。その光景がすごく対照的で不思議なかんじがした。戦跡を見て回っているときは日本人にまったく会わないのにタモン湾には日本人や日本語だらけで、ここまで違う面を持った国は他にないのではないかと思った。ビーチがグアムの魅力であるのは事実だが他にもグアムの魅力があるということを知らずにイメージで過ごすのは観光とは言えない気がした。ガイドブックだけの情報に頼らず、自分で調べて行くことの大切さを教えられた。
グアム大のリンさんによる戦跡観光は時間を大幅にオーバーしたが(笑)、それだけたくさんの戦跡がグアムにあるということを忘れてはいけないと思った。講読していた「グアムと日本人」にトーチカのことが書かれていたが実際に綺麗な海の横にあるトーチカを見た時は当時ここで戦争をしていた人を思い怖くなった。ラテストーン公園の日本軍の防空壕に入ったときもあまりにリアルに感じてしまい怖くなった。本などから情報は得ていたけど、実際に目で見て体験することで本当に戦争があったのだということを身をもって感じた。以前行った日アジのフィールドワークでも実際に足を運んだり体験した人の話を聞いたりすることで読むことだけでは感じなかった戦争を感じることができた。自ら行って見て聞いて体験することの重要さを認識し、そういった意味でダークツーリズムというのは今後必要になってくる分野だと感じた。
平和祈念塔にあった慰霊碑は最近作られたものが多く、今もなお様々な形で戦争は続いているのだと教えられた。
そしてやはり私も今回の合宿でトレッキングやそのあとのお話はすごく印象深かった。お話を聞くまで愛国心というものを意識したことがあまりなかったし、日本人なのに日本のことをちゃんとわかっていないことをすごく恥ずかしく思った。日本のことをちゃんと知らないからこそ愛国心というのも持てていないのだと思う。トレッキングに向かう車中で芳賀さんにグアムの米軍基地に多額の日本の税金が使われていると聞き、私たちが払っているお金なのに私はそんなことも知らなかったのかと感じた。
浜ちゃんが送ってくれた芳賀さんのメールで「戦争語りは客観的でなければなりませんが、必ず日本の立場に立ったものである必要があります。」という言葉が印象的だった。私がこの夏広島の原爆資料館に行ったとき、似たような感情を持った。資料館には様々な国から来た人がそれぞれの国を思い資料を見ていて、同じ戦争でも当たり前だけど感じることは違うのだろうと感じた。原爆を落とされた、たくさんの人が亡くなってしまった、それだけで終わりにせず、日本が他の国にしてしまったことも全部客観的に見たうえで戦争を考えなければ解決の道へはたどりつけないと感じた。その上でやはり私たちは日本人として愛国心を持って国のことを考えていかなければならないのだと思う。

最後に、私は今回二回目のグアムだった。小学生の頃一度来たことがあるのにあまり記憶に残ってなくて行ったことがあるのに役に立てずにごめんなさい;
まだ小さかったのと家族に連れられて行った旅行だったからというのももちろんあると思うが、ビーチ・ショッピングといったあまり外国に来たと実感できない経験だけだったのであまり記憶に残らなかったのだと今回の合宿を経験して感じた。
ビーチはグアムでなくてもフィリピンも近くて綺麗であったし、ショッピングなら韓国でいいと感じてしまうので、そのような旅行ならまたグアムに行こうとは思わない。しかし芳賀さんのようなちゃんとグアムを伝えようとしている人はいるし、グアム大のリンさんもグアムの戦跡観光を伝えるDVDを作成しようとしている。このような努力によってグアムの観光は変わっていくのではないかと思う。そのような新しいグアムはまた見てみたいと思う。

森田千晶
一緒に係をしてくれたあいりさとえり、トレッキング企画してくれた浜ちゃんありがとう!すごく楽しい合宿でした!
posted by masutanis at 07:13| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月03日

グアム合宿

今回初めてグアムに行って、自分が思い描いていたグアムのイメージとは違っていました。やはり「グアム」は、ビーチやショッピングのイメージだったけれど、実際のグアムはそんな事はありませんでした。ここまで「作られた観光地」のような場所も珍しいのではないかと感じました。

1番印象に残っているのは、トレッキングです。行く前まではジャングルを下ると思っていたらそこは実際にかつて戦場であったと芳賀さんからお話を聞いてから降りることができたのがとてもよかったです。トレッキングコースになっている今でさえ歩きにくいあの山々を、戦時中どんな思いで、どんな状況でそこに立ち戦っていたのかと思いながら下りました。その答えはいまだにわかりません。しかし、歩きながら銃弾を見つけたり、戦機の欠片のようなものを見つけ、本当に戦争があったんだな、日本とアメリカが戦っていたんだなと感じました。
芳賀さんのお話を聞いたこととグアムに行き、戦争に対しての考え方が私は曖昧というか、はっきり考えを出せなくなっています。簡単に善悪がつけられる問題ではないという事はわかりました。グアムに行って数々の戦跡を目にして、なんとなく知っていたけど日本が攻撃していた事実を目の当たりにし、わたしたちは被害にあった方ばかりに目を向けていて(そうならざるを得ない教育環境だとも思うが)、自国がしてきたことを知らなさすぎると痛感しました。これは芳賀さんもおっしゃっていましたが、日本人は歴史や政治を知らなさすぎるからなのだと思います。戦争は悪いこと、戦時中の人々は「お国のために(愛国心)」と「洗脳」されていたのだと思っていました。しかし、芳賀さんが言う「祖国愛」というのは私が思っていた「愛国心」とは少し違うように感じました。その点から、戦争を単純に「悪かった」と負のイメージにするのは違うのかなと思い始めました。矛盾点が生じるかもしれませんが、悪かったと一概には言えないとしても、もちろん私は平和を望むし、戦争に反対します。わたしが前まで思っていた「愛国心」と芳賀さんのおっしゃる「祖国愛」が似ていて違うものであると感じました。わたしたちは、芳賀さんが考える「祖国愛」というものを、もう少ししっかりと理解してから歴史に触れたら、歴史の見方が少し変わるようというか多角的に捉えることができるように思います。これらが、芳賀さんのお話とメールでの返信を読んで改めて思ったことです。

そして、グアム観光にリピートしたいかという点に関しては、私は好んでリピートしないと思います。理由は、作られた「観光」過ぎて実際のグアムを知ることが観光者にとって難しい事であったり、あまりに簡単に言語(日本語)が通じてしまい旅行ならではの言語での意思疎通に少し苦戦したり、異国風の場所に訪れたりといった雰囲気がない点からです。現地の方もやはりグアム観光の現状について課題をおっしゃっていたけれど、これは私が行く前に思っていた以上に深刻な課題であるように感じました。

3年 竹内友香

合宿係のあいり、さとえり、ちーちゃん、トレッキング手配してくれた浜ちゃん、ありがとう。すごく充実したグアム合宿でした。
posted by masutanis at 23:33| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グアム合宿

3年グアム合宿
9月14日(火)〜19日まで3年グアム合宿に行きました。アメリカ圏に行くのは初めてだったのでとても楽しみにしていましたが、今回は2年台湾合宿以上に感じる事が多かったように思います。
14日→移動日。21:30成田発。02:00グアム着 飛行機ではゼミ生皆で固まって席を取ることが出来ずバラバラになってしまう。グアム着後はホテルへ。3時間ほど仮眠をとる。
15日→朝から戦跡ツアー。National Park Service Museum などでその当時使われていたものなどを観る。翌日のトレッキングのオリエンテーション。チャモロビレッジのナイトマーケットへ。屋台で夕飯を食べる。
16日→戦跡ツアー。警視庁を表敬訪問。疲れのためみんなが車から出てこなくなる。恋人岬へ行くが有料の場所に行ったのは先生だけ。笑
17日→トレッキング。過酷。スコールかと思いきや本降りの雨。楽しみにしていた滝壺ジャンプが出来ず。トレッキング終了後、芳賀さんとお話。夕飯は中華バイキング。夜は買い物。欲しかった時計をゲット。グアムは日本人多い。
18日→ウェスティンに移動。午前中GMの方にお話を聞く。ホテル内の見学。昼はバイキング「テイスト」にて昼食。午後は念願のビーチへ。少しだけ買い物へ行き、少しだけヘブンリーベット体験。寝る暇なく02:00空港へ04:00発07:00成田着。
簡単にまとめてみました。

グアムに行って思ったこと
グアムのイメージと言えばビーチ、青い海、買い物、バカンス、楽園…けれど実際はそれだけではない。今もなお戦争の爪痕が残る地であり、それが見えない(メディアなどによって見えなくなっている?)ように感じた。
私の友人に何人かこの夏グアムを訪れた人がいたのだが、皆パッケージツアーで買い物やビーチアクティビティを楽しんでいた。それはそれで楽しいと思うし、旅のカタチとしては主流であると思う。私の研究テーマである「若者の海外旅行離れ」に関連して考えてみると、出発する前に行った先での出来事や、風景が想像出来てしまうから行く必要がないと考えるのではないかと考える。パッケージツアーも楽しいしいく先々での出来事も安全、安心で楽しい。今回私たちが経験したトレッキングなどの戦跡観光はどんなものか予想も出来ないしそこにいかないと経験出来ない経験である。そういう体験のできる形態の旅行を若者達は求めているけれど、今の旅行業界にはないのではないのかと思う。
芳賀さんのお話から。愛国心について。普段の生活をしている中で愛国心を感じる事は少ない。というか“日本”を意識する瞬間があまりないかもしれない。ワールドカップでスポーツバーに集まっている時、海外旅行へ行く時、テレビで日中関係が報道されている時。たぶんそれくらい。

よく耳にすることだけれど戦争の時、「お国のために」と言って亡くなった人は多い。愛国心は当然あった。戦後復興する時も皆が日本を思って必死になり一方向をむいていたからこそ高度経済成長を迎える事が出来たのではないか。今の日本は違うと思う。政治家は私利私欲のための演説をし、政策をとるといってもどこからその財源がでるのかわからない。みんな違う方向を向いてるように思う。私自身も誇りを持って日本が好きと言えるかわからない。今回改めて自分の政治に対する無知さを知った。知らなければならないことがたくさんあると思った。戦争も政治のことも、「お国のために、未来の子供たちのために」と亡くなった英霊のためにも。グアムと日本がこんなに関係が深いなんて知らなかったし、今回グアムを訪れなかったらずっと知らずにいたかもしれない。至る所で日本兵が、日本軍がという言葉を聞いたし石碑には日本語を見た。今でも慰霊に訪れる人は多いという。
ショッピングとビーチの島グアムではないことを多くの人に知ってもらう必要があるし、自分が聞いたこと感じたことを人に伝える責任があると思った。

グアムをまた訪れるか。
買い物とビーチなら別の目的地に行ってしまうと思う。けれどグアムの人ともっと触れ合えたり、観光地としてのグアムではない部分を知れるのであれば行くかもしれない。

最後に
合宿係のあいり、ちーちゃん、えりか、トレッキングをセッティングしてくれたはまちゃんお疲れ様☆ありがとうございました!!

中橋いずみ
posted by 08なかはし at 21:46| 埼玉 🌁| Comment(1) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

GUAM合宿!

私も初めて行った、行くことがないと思っていたグアムへのまさかのゼミ合宿での渡航。やはり、行きの飛行機から私たちと同じような人が多いと感じ、着いてタモン地域を見ても、なるほどな、ガイドブックのイメージ通りで、どこを見ても日本語。日本人。日本人。しかも、日本ではできない格好をした楽しそうなはしゃいでる日本人。それを見た瞬間、海外旅行好きな人は「やっぱ、違う。ここは海外じゃない。」と幻滅する人もいると思う。ぱっと見、ビーチとショッピングだけの場所である。私のイメージもそうであった。だが、今回はゼミ合宿ということで、通常のグアム旅行とは全く異なるものになった。それにより私たちはグアムの真の姿、魅力に気付くことができた。グアム一周もよくわからないものもあったが、こんなにも戦跡があり、慰霊碑などを見て、本当に戦争がこの地であったということ、きちんとグアムには歴史があるのだということを実感しました。けど、そのような戦跡は「観光地」ではなく、観光地として客向けにグアム自体も認識していないと思います。慰霊碑が最近できたものもあり、まだ終わっていないのだと感じ、戦争があったという事実はずっと消えないことで、このことを日本人としてもっと知るべきだと改めて感じました。今回に限らず、芳賀さんもおっしゃってましたが「日本人ほど歴史を知らない人はいない。」。私も含め全くそうです。もっと「なぜ、戦争がおこったのか」「何をしてきたのか」「どんな気持ちだったのか」知らなければならないと思いました。芳賀さんのお話の中でたくさんのことを知ることができました。芳賀さんは実際多くの戦争関係者にお話しを伺っているので、話しが「本物」で芳賀さんを通して、あの時代を生きてきた人たちの心の内が少しわかったような気がします。話を聞く中で心が動かされる部分も多々ありましたが、違和感を感じる場面もありました。何度かおっしゃっていた、英霊への「ありがとう」の気持ち。「私たちが訪れることで英霊の方々が喜ぶ」。正直、戦跡を訪れた時、私は「ありがとう」とはあまり思いません。そこでふと考えたのが私はなぜ戦跡に行くのかということです。慰霊でもなければ学習?興味本位?何なんだろうと思いました。確かに戦跡を訪れて感じることもたくさんあります。芳賀さんのメールにもありましたが、戦争を善悪で考えるのではなく、歴史事実として考えることが大事だとおっしゃていました。そしたら、やはり「学習」なのでしょうか。何だかいろいろ考えたらわけわからなくなってきました。けど、トレッキングとお話を通して、戦争に対して新たな考えが生まれたのは確かです。これを機会にもっと勉強していきたいと思います。
そして、一番思い出に残ったトレッキング。まさかあんなことになるとは思っていませんでした。幹事がびっくりだから、みんなはもっとびっくりしたと思います。ごめんね。雨の中のおにぎりは一生忘れないでしょう。みんなとあのような経験ができてよかったです。たぶん、ふつうにグアム旅行に行って、トレッキングに行こうってOKしてくれる友達はいません。私の案に賛成してくれたみんなに感謝です。やりたいことをやらせてくれてありがとう!!きっとみんなも思い出に残ったよね?そして、参加して思ったことは芳賀さんのお話含め、もっと戦争を知らない私たちのような世代に参加してもらいたいということです。ビーチでぷかぷか浮いてるより、よっぽどためになると思います。けど、芳賀さんもおっしゃていたようにPRが大変なんだろうな、「観光」としての在り方が難しいのだろうなと感じました。近々、旅行会社でも扱うようになるということで、これからグアムの観光は変わっていくのだと思います。むしろ、変わっていってほしいです。ビーチ&ショッピングだけのイメージを変えるのはなかなか難しいと思いますが・・・・
GUAMは確かに日本人ばかりでしたが、制度等は確かにアメリカでした。そこが何だかとてもおもしろかったです。スーパーマーケットもおもしろいものばかりで楽しかったです。やっぱ世界のスーパーマーケットは素敵です。ゼミのみんなとも濃い時間が過ごせてよかったです。楽しかったよ。

最後に「もう一度グアムに旅行しに行くか」私はトレッキングの滝つぼに未練があるので、それに行きたいという理由でそこへ行ってくれるような友達がいればありです。けど、それ以外だったらなしです。ビーチもショッピングもGUAMじゃなくてもできるし、何より人や言葉、食事やショッピングなどその海外旅行で楽しめることがGUAMにはないからです。GUAMらしさを感じることができません。GUAMのまるごと本来の姿を観光にできるのはまだまだ先のように感じます。これからのGUAMがどう変わっていくのかそれだけは気にして見守っていきたいです。芳賀さんには頑張っていってもらいたいです。

浜田麻衣
posted by masutanis at 21:00| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

上海合宿

私の中国に対するイメージは「中国語がきてる」とか「中国は発展してる」とかテレビや授業で聞いてきたので、中国はもう世界で1、2を争うくらい発展してるんだろうなと思っていました。しかし、実際に中国に行ってみるとまぁ空港は綺麗だったんですけど、大学の付近に近づくにつれ汚いし、バスを降りた瞬間漂う異臭にはかなり驚きました。また、コンビニの店員の対応の悪さ。日本ではお客様は神様みたいな対応なのに中国では売ってやってんだろ有り難く思え的な対応で、ムカつきました。しかも私はバイトをコンビニでやっているので、とても目につきました。あと中国で一番印象に残ったのが、トイレです。中国に行ってまで一番がそれかよってかんじなんですが、私にとって重要でした。まず、トイレットペーパーがないのが当たり前。次に使った紙はゴミ箱へ。そうとう臭くて吐きそうでした。中国で色々なトイレ体験をした私ですがついに想像をこえたトイレが現れました。そのトイレというのが仕切りは確かにあるんですが、ドアを開けた中には溝しかないんです。入っ
たとき「これはトイレなのか?」という疑問が頭をよぎりました。さらに流すレバーがないと思ったら一斉にに流れていくものだったんです。これは一生に一度しかない体験だろうなと思いました。

上海万博では日本館が時間をかけて並んだ割りに日本人として余り楽しめるものではなかったのが悲しかったです。見た目の形状は目をつぶるとしても中で展示されているものが、中国を贔屓しているように見えて日本の立場は弱いのかなと心配にもなりました。最後の方にある劇みたいなのは日本というよりむしろ中国というかんじのもので、ある意味シュールでおもしろかったんですがやっぱりそこまで楽しめませんでした。他にモロッコとかパキスタンとかも見たんですが、モロッコ館は見た目もアラジンとかにでてくるようなお城の形をしていて中もかわいく気に入りました。


とりあえずカルチャーショックばかりの合宿でしたが、中国に行かなかったら絶対経験できないことがたくさん経験できたのでよかったのではないかと思います。
posted by masutanis at 12:21| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko09 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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