2009年07月21日

☆富士登山☆

7月20日の深夜から21日にかけて富士山に登ってきました。
やっぱり日本でも指折りの観光地に行っておかないと…というのは若干建前で、純粋に自分の力を試したかったのです。

富士山に登れたら今度は九寨溝に、そしてマチュピチュに!という私の中での順番があるんです(笑)すべて高度の問題です。

新宿から5合目までバスで行き、ミーティングをした後11時頃から登り始めました。

五合目はかなり平坦で、なぜか下りが多いのですが、ここではしゃぎすぎるなと前々から言われていたのでテンション下げモードでぼそぼそしゃべりつつもくもくと登りました。かなり感じ悪かったです私(笑)

六合目にはすぐにつきました。本当に下りが多かった気がします。

そして6合目から7合目。7合目から8合目。あまりどんな道だったか覚えていません。だって時間は1時から4時過ぎまで。普段はとっくに寝ている時間なんです(私は普通12時前には寝る)。しかも周りは真っ暗。登山客のライトが点々と行く先に光っています。このライトがまぶしくて!頭にライトつけている人は私の方向かないで!!といったかんじでした。私は目が光に弱いのです(汗)この道でただ覚えているのは星がすごくきれいだったこと。天の川なんて生まれて初めて見ました!!空が汚れてるってくらい星が広がっているんです!これには本当に感動しました。

そして4時過ぎから8合目の山小屋前で御来光を待ちました。
地平線がぼぅっと赤くなっているのが見えます。まだ月も見えますね。
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4時半過ぎに、ついにおひさまが顔を出しました。

オレンジ色の光が先に広がって、最初はとても小さい真っ赤な点に見えます。光が地平線からあふれ出すような、そんなおひさまの姿でした。日食なんかより絶対感動する!!なんて思いました。
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そこからが長かったです。先に登っている人の列が山頂まで見えて、それをみてげんなり。…まだあんなに登るのかと。。しかし登山する人ってみんなカラフルな服にリュックですね。私なんか上下黒のウインドブレーカーでした。しかもリュックはまるでシベリア出兵(汗)

道の途中で休みつつゆっくり山頂まで。
山頂が見えるとつい足が急いてしまいました。
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山頂には浅間神社があります。

他にも山小屋がいくつかあり、ここで今回の登山初めて建物の中に入りました。そこで食べたのはラーメン。おもいっきりインスタントなメンでしたがあったかくておいしかったです。体にしみました。

そして、先生が剣が峰まで行こうというので、みんなで行くことに。
しかしここで悲劇は起こった。

風が強すぎてホントに飛ばされそうに!!
だって崖の方向に風が!!

足で一生懸命踏ん張ったけど、突風にはかないません。ウインドブレーカーがバタバタ音をたてます。岩にしがみついて耐える…。死ぬかと思った…3回くらい。「おかぁさあぁん…」って感じでした(笑)

気付けば後ろはついてきていない…。ということで先生含め4人で登ることに。風の中勾配の急な坂を必死で登りました。もうホントに本当に怖かったです。
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↑郵便局です。ここからお手紙が出せます☆

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↑富士山の火口。自分って小さいなって思いました。

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↑ここが最も高い場所!!今私、日本の誰よりも高い場所にいるって思いました!!

火口をくるっと一周したかったのですが、雪が崩れていて来た道を戻ることしかできませんでした。残念…。

また風にふかれ、テンションガタ落ち(泣)
でも最後のほう、もはや面白かったです。ラピュタのワンシーンみたいでした。

下山はあっさりいこうとおもいます。雲の上にいる感を得つつ、駆けおりました←
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途中から何もかもめんどくさくなって駆け降りたんです。7合目から6合目までは本気で走ったところもあります。下山レースなら自信あるかも。

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↑雲がきれいでした☆そして気持ちよかったです。

五合目に戻って食べた「御来光カレー」おいしかったです。

☆高山病とか☆
 心配していたのですが…
 12人で登ったけれどみんな元気に山頂まで行けました!山小屋に入ったわけでもなく、休憩は山小屋の前で座ったくらいです。でもそれをこまめにやりました。
 酸素の必要もなかったです。でも持っていたら安心できるのであればいいかも。私はタブレットの酸素をいくつか食べましたが、たぶん気休めです(笑)
 高山病は意識の問題だと思いました。大丈夫!って思っていれば大丈夫です!最初にはしゃぎすぎなければたいてい(っていうか普通)の人は山頂まで行けるのではないかと思います。


次は九寨溝だっ!!


3年鮫島由理恵
posted by 07さめしま at 12:31| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko07 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

☆熱川国内合宿☆

7月16〜17日に熱川に国内合宿に行きました。
1日目は天候に無駄に恵まれてしまい、残念な気分を味わいました。

ホテルからはこの景色。
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晴れた空の下、波の音を聞きながらサドンデスプレゼン大会。
でも思っていたより楽でした。みんなのプレゼンが楽しかったからと思います。みんないろいろと興味があることが変わっていたり、細かくなっていたり、本当に面白かったです。

去年のプレゼンから一年以上たって私が反省してるのは、本を読まなかったことです。今年までに魯迅読破している予定だったのに…。さっさと手に入れようと思います。何しろ魯迅全集を最初に出したのは日本ですから(笑)

でもこの一年やっぱり魯迅に目が向いていたかなとも思います。中国に行っては魯迅を訪ね、資料集めもできたし。それを消化するのが最近の課題!
この合宿で得たモチベーションを忘れないように生きていこうと思いました。

夜は夜更かししました!!
途中で一人抜けて寝たけど(笑)
花火して、足湯につかって、、
蚊に刺されなくてホントよかったです。

2日目のバナナワニ園がかなり楽しかったです。行ってよかった!
恐れ入りましたといった感じ。
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ワニが恐竜みたいでかわいすぎました。あとはレッサーパンダが異様に多かったです。

食事もすべておいしくて、温泉も広くて、あとは海に足だけでも浸かれていたら最高だったと思います☆


おまけ☆神様みたい…
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3年鮫島 由理恵
posted by 07さめしま at 21:55| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko07 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

日アジフィールドワーク〜浅草戦跡巡り〜

090711_1448~01.jpg090711_1642~02.jpg今回のフィールドワークでは、太平洋戦争がいかに悲惨だったかを肌で感じることができ、非常に有意義なものになりました。
被災者である中川さんのお話をどう聞くべきかという議論がありましたが、彼女1人のお話で戦争の全てが分かるわけではないし、戦争を考える上で、ひとつの主観的な意見として聞き入れるべきだと思いました。そこを批判的な目で彼女のお話を聞いてしまうと、戦争を理論的な考え方でしか捉えられなくなるし、戦争を多面的に考える上でも、今回は彼女の立場になって、感情移入してお話を聞いていいのではないかと思いました。『かわいそうと思って聞いてはいけない』という考えは、それは私達が戦争を体験していないからであって、体験していないからこそ、中川さんによる主観的な意見と、他の立場の情報を集めた客観的な意見の両方を持つ必要があると思います。

以下、足を運んだ場所ごとの感想を述べようと思います。

*隅田川
1945年3月10日、B29による東京大空襲で、11000人中7000人が隅田川で亡くなりました。浅草は木造住宅が多いため、火が燃え広がりやすかったそうです。米軍は、強い偏西風が吹いていたためと命中率を上げるため、高度2000mの低空飛行をし、アパーム弾40万個を浅草に落としました。樹木や家は全焼し、人々は川に飛び込んでも助からず、その死体は何ヶ月も経ってから浮いてきました。ここでは約4000人が亡くなったそうです。関東大震災の復興に伴ってできた言問橋ですが、親柱の根本が黒ずんでるのは、空襲を避けるため人が集まりましたが結局空襲で焼けてしまい、人体の油でしばらく焼け続けたためだそうです。こうしたお話を聞いている間も、何とも言えない恐怖感がありました。

*資料館
現物の展示品は生々しく、自分もその場にいるような感覚に陥りました。形見や、死者が握りしめていたもの、日記など、かつてそこに生きていた人が残していったものがたくさん展示されていました。
溶けた瓦もありましたが、瓦が溶けるのは1200〜1300℃だそうで、それだけの高熱を浴びた人達の苦痛は想像できるものではありません。溶けた茶碗・湯飲み・ガラス・硬貨はリアルで、見ているだけで鳥肌が立ちました。
敬礼登校、防毒マスクでおままごと、防空訓練する子どもの写真がありましたが、その光景は不気味でした。今では考えられないことですが、そう強制された時代があったことは事実で、改めて恐ろしい時代だと感じました。

*浅草寺周り
戦争を悼む建造物がいくつかありましたが、焼夷弾を受けた木々が最も印象深かったです。焼夷弾の威力は勿論、こんなに生々しい傷跡を残しているのに、その周りに腰を下ろす人々はそれに気付いていない様子を見ると悲しい気持ちになりました。もっとも、私はお話を聞いたからこそその傷跡に気付けたわけですが、何も聞かされないでその場にいても、私もその木の焼けた跡に目を留めなかったと思います。国内外を問わず、観光客には、やはり浅草の栄えた部分を観るだけでなく、こういったダークツーリズムも体験してほしいと思いました。少し意識するだけで、何気なく生えている木から戦争の悲惨さを知ることができます。


2年 池田菜摘
posted by masutanis at 18:15| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

おまけ。

zemi 026.JPG駅に向かう途中にて。
東京の住宅街にこんなとこがあるんだー
めっちゃ楽しそう!!いいなー

ちょっと感激♪

2年 浜田麻衣
posted by masutanis at 23:46| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

浅草フィールドワーク

zemi 032.JPG7月11日に日アジのフィールドワークとして、東京大空襲・戦災資料センターと浅草に行ってきました。

秋葉原からバスで防災資料センターまで行ったのですが、バスがどこを走っているのか、東京のどこら辺かも全然わからないまま到着です。到着してみると、そこは住宅街で、ひっそりとしたところにセンターがあり、少々驚きました。中に入ってみると、目を覆いたくなるような写真や、貴重な資料がたくさん展示されていて、きちんと英語でも説明が書かれていました。その数ある展示物の中には、戦時中赤ん坊を背中に背負い逃げるお母さんが、やっとの思いで落ち着いた場所に着くと、すでに亡くなっていた赤ちゃんの着ていた黒く汚れた服などがあり、様々な形見の品が展示されていて、大事なものであるが、戦争の悲惨さを伝えるために、提供したそうです。やはり、原爆資料館などと比べると規模は小さいがとても重要な意義のある場であり、訪れることができてよかった。
そして、歩いて歩いて浅草に向う。
ここで思ったのが、やはり、先輩は一年経験を積んでいることだけある。さすがだ。帽子にペタンコな靴。とても歩きやすそうで、先生の速さについていっている。さすがだと思った。私たち2年生は遅れをとり、ついていくのに必死だった。
私たちも来年には、「さすが、三年生だ。一年経験している。フィールドワーク慣れしている。」と思われるようになっているのだろうか?先生に鍛えてもらおう!

浅草戦跡ツアーは本当に参加してよかったと思った。普段、遊びに行っている場所が実は、戦争の跡が残っていて、気づいてないだけなんだなと思った。中でも、焼き焦げた銀杏の木には驚いた。何回か浅草寺は訪れているのに、全く知らなかったし、特に看板もなく、戦争を経験してきた木が普通にたっているからだ。今度から浅草寺を訪れた際には、見方が変わりそうだ。
ツアーで、一番印象に残っていたのは、やはり、中川さんのお話だ。
戦災により亡くなられた方々の碑の前で中川さんは思い出すだけでも辛いだろうに、当時の思い、状況、様子を詳しく話してくださった。戦争がこの地であったことは事実だし、ほんの60年前ぐらいの話なのに、今の状況とは違いすぎて、すぐには頭の中で整理がつかず、信じられないような気がした。中川さんからその当時の人々の戦争に対する思いをきいた。現在では、結果論として、私たちは、「なぜ、はやく戦争をやめなかったのか?」「なぜ、自ら死を選んだりするのか?」「なぜ、そこまで御国のためと言えたのだろうか?」と簡単に言うし、その当時の日本について批判する人もいる。あまりにも、その当時との考え方が違いすぎて、理解ができないのだ。しかし、中川さんによると、その「御国のため」という精神はとても強いもので、戦争に負けるなんて思ってもいなくて、そう教育されたからそう思うしかなかったそうだ。私たちが抱く疑問を頭に浮かべること自体がありえないのだ。中には、その教育に関して不満に思った人もいただろう。しかし、口にだすことはできず、口にだしたら、国に背くことになり、国自体に自分がおいつめられるのだ。この話をきいて、本当に教育って怖いと思った。ランチミーティングの時でも話にでたが、今、カリスマ的な人が「戦争をしよう。」と言い出したら、そう教育するようになったら、「ぜったい戦争はだめ。」と思っていても、戦争に賛成する人がでてくるのではないだろうか。そう考えたら、平和な状態ってのは、とても薄っぺらいもので、簡単に崩れてしまう可能性が大きいように感じる。それを防ぐために、「戦争はぜったいだめ。」と伝える中川さんのような人がいるのだなと思った。

私は、今回のようなダーク・ツーリズムをみんなに経験してもらいたいと感じた。
戦争を学ぶにあたって、教科書にのっている資料はいつも白黒で、映像も白黒だ。友達とも話したが、その戦争があった時代の世界の色が実際にも白黒であったような気さえする。頭の上が、赤い火の海と言われても、その世界に赤のイメージがない。完全に私の中では、戦争とは白黒の世界であり、現在の世界とはかけ離れている。しかしながらも、今でも世界各地で、戦争は行われているし、日本だってほんの60年前は戦争していた。中川さんも、一見優しそうな普通のおばあさんであるが、過去には悲惨な体験をしているのだ。戦争を過去のものとは思ってはいけないし、もっと戦争に関して学ぶことが必要だと強く感じた。

2年 浜田麻衣
posted by masutanis at 23:34| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月11日

☆浅草フィールドワーク☆

今日は浅草のフィールドワークをしました。
東京大空襲の戦跡をたどるツアーです。

みんなはお昼に秋葉原に集合して、戦災資料センターに行ったノですが私はいろいろ失敗して、浅草からの参加…。結果的にはよかった…かな☆

青い旗をもったガイドさんが3時間浅草を案内してくれました。
もともとはこのツアー、七福神めぐりツアーの抱き合わせだったとか。
平和学習として参加する中学生も多いみたいです。

最初に足を止めたのは隅田川の河原。ちょうど言問橋が見えました。
P1060508.JPG

隅田川は江戸一番の娯楽地だったそう。昔から人の集まるところだったけれど一時期は酸素が無くなって死の川とも呼ばれたそう。


そして1945年3月10日。
午前0時17分、B29号による東京大空襲がおこりました。
東京大空襲の死者は11〜12万人と言われていますが、そのうちの約1万7千人の人が浅草で亡くなっていて、さらにそのうちの7千人位がこの言問橋で亡くなったそうです。しかし実際、川の中に飛び込んだ人の数がよくわからないため、正確に人数は解りません。もっと多いという意見もあるそうです。
川の両岸が燃えていたため、両側から人が押し寄せ、橋の上で動けなくなってしまい、橋の上で焼け死んだ人もたくさんいます。
言問橋の親柱(橋を支える太い柱)は逃げ込んだ人たちの焼けた痕で真黒になっていました。

この日、焼夷弾が40万個も落とされたそうです。
B29はいつもは高度9000メートルくらいのところから投下していた爆弾を、偏西風の影響で命中率が下がることからさらに高度を下げて投下していました。さらに、投下は季節風の風下から、周辺を焼いて真ん中に追い詰める、などと計画的な投下を行ったそうです。

大空襲があった直後の写真を見ると、地面に小さな山がたくさんできていました。これは死体を埋めた後で、穴を掘って4段、5段にも積み重ねて死体を埋めたそうです。

そんな話を聞いた後に見る言問橋はただの橋には見えませんでした。

次に向かったのは戦災慰霊碑です。
P1060509.JPG

この慰霊碑の横には言問橋の縁石が置かれています。
中川さん(81歳女性)がお話をしてくださいました。
中川さんは大空襲の日、18歳の高校生でした。
普段は警戒警報は、鳴って30分から1時間程度で解除されるのですが、この日は様子が違いました。
中川さんの家には台所下に小さな防空壕(と言っても、座ってやっと入れるくらいの大きさ)があり、家族は父親以外は新潟に疎開していましたた。当時空襲で家が焼けるのは当たり前で、毎日家に帰るたびに家が焼けてないかと心配したそうです。

この夜、父親に危険だから外へ出ろと言われて防空壕を出ると、そこにはいつもと違う風景が広がっていました。空が真っ赤にひかり、ちょうど花火を逆にしたような焼夷弾がそこかしこで爆発していました。みんなの流れに合わせて、駅前の広場に逃げることにしたのですが、人の波が激しくて進めません。中には赤ちゃんを抱いたお母さんや子供も手を必死に引いている人がたくさんいました。

結局線路の近くで座って熱さに耐えました。熱い上に、立っていると飛ばされそうになってしまうためにそこに座っているしかありませんでした。火の粉が防空ずきんの上にたくさん飛びかかって来ました。それをはらってはらって、ずっと耐えていました。

このときに中川さんが言った、「当時は国のために戦争に協力するという一点で、その思いが身にしみているからみんな我慢していた」という言葉がとても印象的でした。

一晩耐えて目を開けようとしても、体の水分が抜けてしまい、目が乾いてあかなかったそうです。一晩で町の様子は信じられないほど変わってしまいました。
そしてたくさんの遺体がトラックで運ばれ、スコップで穴に投げ入れられるという光景を目にしました。

この碑は家族に手を合わせてもらうこともなく埋葬された被害者の遺族達の、どうにもならない、何もできなかったという気持ちから作られました。今でも毎日石碑の前にはお花が上がっています。

平和学習として今までも様々な戦争体験者の話を聞いてきましたが、今日もやはり心が重くなってしまいました。これから浅草を見る目が変わりそうです。

浅草寺にある大きな銀杏の木はほとんどが戦争の被害を受け、黒こげていたり、痛々しく傷付けられていました。
木は長い歴史を持っていて、関東大震災と大空襲の二回の被害を受けている木もあり驚きました。

浅草には平和への願いが込められたモニュメントや石碑、お地蔵様がたくさんあったのに今まで全然気付かなかった自分にびっくりしました。
本当に勉強になりました。この戦跡ツアーがもっと有名になってたくさんの人が参加することを祈っています。

ダークツーリズムは興味というよりも義務感で行くものだと思いました。私たちには知らなくてはならないことがたくさんあるんだなと強く感じました。

3年鮫島由理恵
posted by 07さめしま at 23:59| 埼玉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko07 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

二年ゼミ飲み

なっちゃん、大和田さん、彩花さん、村井さん、天野さん、星野さん、福司さん、ミキティがそれぞれ諸事情により来れなくて残念でした…
合宿等機会があれば触れ合いましょう^^

二年飲みは志木駅前の土間土間で行われました
どこの居酒屋も似たようなもんですが、照明もほどよく暗く、落ち着いた雰囲気で心地良かったです
料理は小さかったけど、けっこう美味しかったです^^
美味しい、且つ安いのために量を少なくした感じです

女の子はビビンバとかビーフンなど色々注文し、四、五人くらいで分けて食べてました
僕は一人でオムライスとかお茶漬けとか食べてました;

二十歳以上以外飲んでませんw

会話はやはり恋愛トークが六割ほど占めてました
意外にも、あの女性陣でフリーの方が多かったです
あんまり言っちゃいけないんですかね?
まぁ興味があればその辺の話、聞いてみてもいいんじゃないでしょうか(笑)

あと健太(名畑目君)の合宿参加への説得もけっこうな割合を占めてたんじゃないでしょうか
僕は師匠さんと鷹さんの説得を受け心が折れましたが、健太はかなり意志が固いようです
僕の場合、パスポートがまだないんで、実際問題として行けるのかどうか微妙ですけど(笑)
健太は、アメリカの旅は中学からの夢だったみたいですし、まぁ健太が後悔しなければなんでもいいんじゃないでしょうか
もちろん、一緒に行ってくれたらみんな大歓迎すると思うので、気軽に合宿への参加表明をしてもいいと思います

健太が一人で女の子六人くらいを相手に盛り上がっててすごかったです^^
途中で席替えなんかもしましたが、波に乗った健太の勢いは止まるところを知りませんww
遠かったんで話の内容はよく分からなかったですが、音楽関連で語っていたんじゃないかな
流石ですね^^
僕と権は大人しく飲んで、周りとのんびり話してました

のんびり話すのが好きなんで、僕は楽しかったですぴかぴか(新しい)
外に出てから写真撮りました↓↓
P1000680.JPG

健太の友達がたまたま近くにいたので撮ってもらいました
終わった後、二次会で花火をやりにいった人も数名いたみたいですが、僕は家に帰って…これ書いてます(笑)

こんな感じでした
下手な説明ですが、イメージ湧かせてくれたら幸いです

横井彬人(ヨコイ アキヒト)
posted by 08よこい at 22:56| 埼玉 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | kanko08 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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